五メートル
鍋谷葵
五メートル
「ねえ、まっちゃん。どうして、まっちゃんは私に告白してくれたの?」
桜舞い散り麗らかな春の日差しがゆったりと降り注ぐ、真新しい舗装の成された満開の桜並木を歩く白いセーラー服を着た少女は、自分の右隣で歩く一人の少年に悪戯っぽく問いかけた。
可愛らしく笑う美少女の欠点の無い容姿は、二人の傍を通る人々の視線を集めている。心地の良い春風になびく、長く艶やかな黒髪は優しく光り、セーラー服から覗かせる白い肌は、自然と人を魅了するのだ。
けれども、隣の平々凡々な黒髪の少年はそんな美少女の顔を見ず、自分たちの通う高校の校門まで伸びる一本道を歩く同級生の後ろ姿を遠目で見ている。それから、今日が最後となる愛着と哀愁が染み付いた学ランのズボンポケットを懐かしむように両手を突っ込んで、我関せず、ぶっきら棒に歩く。
照れ隠しのためだろうか、はたまた少女の悪戯めいた言葉に辟易しているだけなのか、どちらであるかは分からない。
何せ、彼の面持ちは素っ気なく、眉一つ、皺一つ、動かさずに平凡かつぶっきら棒な表情を浮かべ続けているのだから。
けれども、少年は隣の美少女の言葉に答える。美少女を傍らに歩いて澄ましているが、受け答えは出来るらしい。
そこまで、キザな少年じゃないのだ。
「好きだからだよ。それ以外ないよ」
「ふふ、そうなんだ。やっぱり、そうなんだ」
「みっちゃんは、僕が答えることを知ってるくせに、三年の間ずっと聞いてくる。意地悪だ」
平凡な少年は、清楚な顔の造形に似合わない悪い微笑をする美少女の顔を見る訳でも無く、彼女の意地悪を呆れたように言葉を紡ぐ。
しかし、彼女からすれば彼のその反応を待っていたらしく、さらに意地悪い微笑を浮かべた。また、彼としても彼女が自分の言葉に対して、意地悪く口角を上げることを察していたので、彼女に顔を向けることは無かった。
こうした楽しげ? なやり取りを終えた二人の間に生まれたのは、沈黙であった。
ただし、それは息の詰まるような気まずい沈黙なんかでは無い。もっと、心地良く、いつまでもこの空気に浸っていたいと思える素敵な沈黙だ。気分は温まるのだ。それゆえに美少女の歩みは、軽快になり、夢見心地のお転婆なスキップを決め込むのであった。
つい先程まで少年の隣を歩いていた美少女は、彼に背中を見せている。そして、彼女の軽快な歩みはどんどんと彼を引き離して行く。こうなれば、彼の歩みは自然と早くなる。彼のぶっきら棒な顔にも、自然の笑みが浮かんでいる。彼の切り揃えられた清潔な黒髪は、ふわりとなびいた。
そして、二人の温もりのうちの追いかけっこは、『祝・卒業』と書かれ、花で彩られている看板が立てかけられた簡素な石造りの校門を前にして終えた。ただ、彼女はその先には進まなかった。先には、同級生たちが集まって、白と黒が不規則に動き続けるコントラストの中、サヨナラの若いざわめきを成しているのだから。
先に到着した上機嫌な美少女は、はにかむ。彼女は少し火照り、顔を赤らめながら遅れる少年を笑いながら佇んでいる。遅れる彼は、そんな彼女の笑みを見ながら、自然な微笑みを浮かべながら彼女の下は足早に歩み寄る。
距離にして、五メートル。そんな小さな距離を彼は、心から楽しんで歩いて行く。
ただ、その歩みは美少女の一声で止められてしまう。その一言は、少年と彼女の距離であったのだから。決して近づくことの出来ない距離なのだ。
「遅いよーまっちゃん! だから、私にフラれるんだよ! もっと早く来てよ! 三年間つかまえられなかった私を早くつかまえてよ!」
美少女の大きな声は、それなりの生徒の注目を集める。そして、彼女の声の矛先となっている少年にも視線は向く。
これに少年は、赤面した。
自然の笑みは、羞恥から逃れるための苦笑いとなる。そして、ぽろっと言葉を漏らす。誰にも聞こえない声を。
「みっちゃんは、やっぱり意地悪だ」
羞恥の熱を含んだ少年の言葉は、桜の花弁を乗せる春風の中に溶け込んだ。
されど、彼の羞恥は消えない。
けれども、彼は美少女に歩み寄って行く。
五メートルの距離は、あっという間だ。
だが、少年と美少女の心の距離は、近いようで離れている。
高校三年間は短い。現実の距離も短い。
しかし、五メートルは遠いのだ。
五メートル 鍋谷葵 @dondon8989
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