【ある日の侯爵家の出来事】ツァニスと若返りの薬①

 カラマンリス侯爵家後妻・セレーネは、大慌てで飛んできた家人たちに呼ばれて、とある部屋に急行した。

 慌てる家人たちの言葉は要領を得ず、まずは行って実際に確認しないと何が起こってるのか分からないと、彼女は思った。

 考えて分からなければ即行動。それがセレーネの行動規範きはんである。


 そして。


 とある部屋の入り口で──中には入らず、しかし中で何が起きているか確認しようとして、押し合いし合いをしている──家人たちを押しのけ、セレーネはその部屋の中へと入って行った。

 そして、部屋の中央に鎮座ちんざするキングサイズベッドの横で、困った顔でそのベッドを見下ろす執事代行兼家庭教師──サミュエルの姿を確認する。

「どうしました?」

 セレーネにそう声をかけられ、サミュエルは困惑顔のまま振り返った。

「それが……ええと……、どう、いう、状況か、と言われても……」

 やっぱり、サミュエルからの返答も、他の家人たちと同じで要領を得ない。

 仕方なく彼女はサミュエルの方へと近寄って行き、そして彼が視線で指示した方へと目を向けた。


 そこには。


 少しだけクセのあるツヤツヤな黒髪と、ほのかにピンク色に染まった真ん丸の頬っぺた、ちょこんと突きだす小さな鼻とヒヨコのような唇を枕に添えた──


 幼児がスヤスヤと眠りについていた。


「……………………………………」

 一瞬、驚愕きょうがくの顔をしたセレーネだったが、言葉を発する直前、何かに気づいたかのように空気を飲み込む。

 そしてその表情を、段々と苦々しいものへと変化させていった。

 セレーネの表情の変化を、いぶかに見るサミュエル。

「………………………………乙女ゲーム、ファンディスクあるあるネタ……」

 セレーネが苦虫を嚙み潰したかのような顔で呟いた言葉の意味が分からず、サミュエルは小さく首をひねった。

「なんですか? それ」

「いえ、なんでもありません」

 サミュエルの問いかけに、セレーネは小さく首を横に振っただけだった。


「しかし……この子供は……どこから侵入したのでしょうか。それに……」

 サミュエルは困った顔で子供を見下ろした後、顔をあげて辺りをキョロキョロと見回す。

「ツァニス様は、どこへ行ってしまわれたのでしょう」

 そう、ここはツァニスの寝室。

 サミュエルは、本来であれば今子供が寝ている場所にいる筈の、この屋敷の主の姿を探した。

 適当に脱いだと思われるジャケットが椅子の背もたれにかけられている。

 ツァニスは、昨夜は遅くに帰宅したと家人から聞いていた。何か今朝も用事があってすぐに屋敷を出たとしても、いつも着ているジャケットがそこにかかったままである事を不自然に感じる。

 また、家人の誰も、ツァニスが出掛けた事を知らない。

 こっそり出て行くなど、横に立つセレーネならいざ知らず、ツァニスはそんな事しないのに。


 サミュエルがそう疑問に思っていると、セレーネは

「はァ~~~~~~~~~~~~~~~………………」

 と、大げさ過ぎるぐらい大げさな溜息を一つ吐き出しつつ、ガックリと肩を落とす。

 息を全て吐き出し終わった彼女は、鋭く息を吸うと、小さく「ヨシ」と自分に気合を入れた。

 そしてベッドに片手をつき、もう片方の手で幼児の頭を優しく撫でる。

「……ツァニス様。朝ですよ。起きてください」


 彼女から発せられた言葉に、サミュエルは思わず身体を硬直させた。

 今、彼女は何て言った?


「ツァニス様。朝食のご用意が整いました。起きてください」

 驚いて息が止まっているサミュエルを後目しりめに、彼女は再度、幼児の頭を優しく撫でる。

 すると、大きく呼吸をした幼児が、ゴロンと仰向けになってから、ウーンと伸びをした。

 ゆるゆると開かれたまぶたの向う側から、美しい菫色ヴァイオレットの瞳が現れる。

「……せれーにぇ? なでわたしのへやにいりゅ?」

 たどたどしく舌っ足らずな口調でモニュモニュと応えた幼児は、小さな手でゴシゴシと目をこする。

 パチパチと瞬きしたのち

「……さみゅえりゅまで。どうした? にゃにかあったのか?」

 キョトンとした顔で、ベッド脇に立つ二人を見上げた。


 ***


「これが……本当に……ツァニス様だと……」

 サミュエルは椅子にドッカリと腰を下ろし、片眼鏡モノクルを外して、目頭を何度も何度も揉みしだきながら、そう絞り出すかのような声を出した。


「そうだ。わたしだ。ちゃにすだ」

「……舌っ足らず過ぎて、ご自身の名前すら言えなくなっておりますね」

 冷静なツッコミを入れたのは、少し離れた場所にスンとした顔で立つ子守頭のマギー。

「可愛い」

 ニコニコ顔で、幼児の顔を覗き込むニコラ。

「なんでこんな事に……」

 ソファに座りながら、頭が痛そうにコメカミを揉みほぐすのはセレーネ。

 そして、そのすぐそばに、ニコニコ顔のセレーネの侍女・クロエがいた。


 そこは応接室。

 取り敢えず、余計な混乱を招かないよう最小限の相談できそうなメンツで集まり、現状についての確認を行う事になった。

 アティとゼノは、午前中のカリキュラム勉強の為に、他の子守が相手をしており、ここにはいなかった。


 どうやらこの幼児がツァニスらしい、本人がそう言ってるし、というところまで確認できたところで。

 起きるはずのない現象を、飲み込むことができない面々は、二の句を継げずに言葉を失う。


「いやでも……もしかしたら、自分をツァニス様と偽ろうとしている、ただの幼児の可能性も……」

 片眼鏡モノクルを装着し直したサミュエルが、モノの数分で十歳ぐらい老けた顔で幼児に向かって言葉を絞り出す。

「さみゅえる。わたしはちゃにすだ。なんでこんなことになっているかわからないが、わたしはわたしだ」

 幼児なりのキリッとした顔で、そう真っ直ぐに告げる幼児・ツァニス。

 確かに、舌が上手く回らない辿々たどたどしい口調だったが、使う言葉自体は確かに幼児とは思えない、サミュエルは信じられない事実に更に混乱した。

「しょうめいしたいところだが、それはむずかしいな。わたしはわたしなのだが……」

 幼児・ツァニスは、ショボンとした口調で自分のてのひらに視線を落とす。


 それを見兼ねたのか、セレーネが口を開いた。

「ツァニス様。ツァニス様は、私の身体前面にある傷を見ましたよね。その傷は、どこからどこまで走っていたか、覚えていらっしゃいますか?」

 彼女は幼児・ツァニスに向かってそう問いかける。

 尋ねられた幼児・ツァニスは、視線を上にあげて口元に手を当て、ウーンと考える素振りを見せた。

 そして

「みぎむねから、ふくぶをとおってひだりしたばらへぬけていたな。むねのきずにくらべると、ふくぶのきずはまだあさかったようにおもう。おもったいじょうにおおきなきずで、しょうじきおどろいた」

 ぽつぽつと、そう答えた。

 一部聞き取りにくい発音ではあったが、それを聞いて大人達が目を見張る。

「正解です。この屋敷にいる人間で、私の体の傷を見たことがあるのはアティとマギー、クロエ、そしてツァニス様しかおりません」

 やっぱりな、といった顔でセレーネは頷いた。しかし、表情には微妙な困惑が混じっていた。

「え。お前は、ツァニス様の前で裸になった事があるのか……?」

 何故か違う所に驚きの反応を見せるサミュエル。

「ありますよ。結婚初夜に見せました。子作りを諦めてもらう為に」

 セレーネがサラリと返答すると

「こづ……ッ!?」

 何故かサミュエルは顔をボッと赤くした。

「こっ……子供がいる前でそんな言葉をッ……!」

 若干椅子から腰を浮かせてアワアワするサミュエルに、不思議そうな顔をするセレーネ。

「もしかして、ニコラがいるのにって事ですか?

 別にXXXXピー(※作者自主規制)とかXXXXXXXXピピーー(※作者自主規制)ってスラング使うワケでもないですし。

 第一、ニコラには既に性教育は始めています。

 子作りぐらい、ニコラはとっくに知ってますよ」

 なんて事はない、そんな素振りで話すセレーネに、ニコラは苦笑いした。

「最初はビックリしたけど……

 でも生物の生殖と遺伝、そして男である僕が女の子であるアティの事をちゃんと理解できるようにって、セレーネ様が」

 そう言いつつ、ニコラは自分の記憶をまさぐるかのように視線を宙へと這わせる。

「男には男性生殖器、女には女性生殖器があって、ホルモンの働きによって、それぞれ体つきが変わっていくんだよね。

 それで、だいたい思春期前ぐらいに女の子は初潮があって、僕はまだだけど、たぶんそろそろぼ──」

「もういいですもういいですもういいです!!!」

 ニコラが語り始めた言葉を、サミュエルは慌てて遮る。額には大量の汗をかいて、顔を真っ赤にしていた。

「ふむ。おしえることはいいことだ。わたしはほんでしかまなべなかったし、さいしょはやっぱりこまったぞ。じょせいのからだにどうふれたら──」

「ツァニス様も乗じないで下さい!! 分かりました! 分かりましたから!! 貴方はツァニス様で間違いない!!」

 幼児・ツァニスまで語り始めたのを、サミュエルは腕を振って制止した。

 ニコラは、サミュエルが何故慌てているのか理解出来ずにキョトン顔。

 幼児・ツァニスとセレーネは『あー……ま、そうなんだなぁ』という微妙な顔をした。


 今度は違う意味で、談話室に静寂が降り立った。


「このお子様がツァニス様だと理解できたところで……話の腰を折ってしまいますが」

 沈黙を破ったのは、セレーネの侍女・クロエだった。

「何故ツァニス様は、当然のお顔をなされて、セレーネ様の膝の上にお座りになっていらっしゃるのでしょうか?」

 クロエの言葉に、その場所──談話室に『シン……』というオノマトペが見える程の静寂が訪れ


 そして。


「ホントだ!! なんでナチュラルに私の膝に座ってんのっ!?」

 今気づいたかのように、セレーネは自分の膝に座る幼児の後頭部を見て、驚きの声をあげた。

「いや……セレーネ様がソファに座った時に、隣によじ登ろうとしたツァニス様を、自然に抱き上げてご自身の膝の上に乗せておりましたよ」

 今更何を言ってるんだ、と言わんばかりのサミュエル。

「そして、それを自然にツァニス様は受け入れただけでございますね」

 スンとして、別になんて事はない、という顔でマギーはそう解説した。

「ほほほ。降りる事もできますでしょうに」

 微笑みながらも、何故か少し眉間に皺を寄せるクロエ。

「そ……そうですよ。つい条件反射でやってしまいましたが、すみません、ツァニス様、お隣にお座りください」

 セレーネは、慌ててツァニスの脇に手を差し入れ、その体を持ち上げようとした。

 が。

「……だめなのか?」

 幼児・ツァニスが、少しショボンとした声で少し振り返った為

「……ダメじゃありません……ッ」

 セレーネは、顔を背けつつも、持ち上げようとした手を引っ込めてしまった。

「本当に貴女、子供に激弱ですね。チョロすぎる」

 マギーは呆れた顔をして、そう鋭いツッコミ。

「条件反射……条件反射なんだよ……もうたぶん遺伝子にそう組み込まれてるみたい……ッ」

 苦しそうな顔で、セレーネはそう言い訳をした。

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