【ある日の公爵家の出来事】イリアスの妄想
欲しいのに手に入らない。
傍にいたいのにずっとは居られない。
セレーネ。
彼女と自分を隔てる壁は高くて分厚い。
現実を直視すると、その障害のデカさに
なのでイリアスは、夢想する。
その壁のうちの一つ──そう、例えば年齢。
もし自分が、セレーネと同じぐらいの歳だったら。
恐らく身長は彼女を抜けるだろう。彼女もそう言っていたし、自覚もある。このところ、成長痛による関節の痛みが酷い。
筋肉がなく厚みのなかった身体が、エリックと色々やっているうち大きくなってきた。去年の服が、どれももう着られない事に自分でも驚いた。
どれぐらいの身体になれるのだろうか?
イリアスは、知ってる大人の男性の姿を次々に思い浮かべていった。
獅子伯並み──は、無理中の無理。骨格から違う。ゼノが羨ましい。
イリアスはギリリと歯軋りする。
ゼノはまだ身体は小さいが、骨が太くてしっかりしてる事に気づいた。まだまだチビなゼノだが、あと十年もしたら自分よりデカくなる。クッソ羨ましい。
当初、イリアスはゼノを敵認定してなかった。しかし、油断できない事を知った。ゼノの顔は、セレーネの好みだそうだ。クソっ。
若くて好みの男がいたら、そっちに流される可能性もある。
見た目の好みより強いものはないと、イリアスは思っていた。
獅子伯レベルは無理でも──ツァニス侯爵レベルまではいけるのではないか?
いや、でも彼は手足が長い。獅子伯のように筋骨隆々というタイプではないが、引き締まっていてしなやかだ。
……出会った当初は、ちょっとダラシない身体付きだった事をイリアスは知ってるが。
セレーネと結婚して、陰でコッソリ鍛え直し始めたな。
そりゃそうだ。当初のあんな身体では、セレーネを組み敷けない。いや、どのみち鍛えたところでセレーネは簡単には組み敷けないだろうけど。そんな事したら、逆に関節技食らって関節を壊されかねない。
──そうだった。身体のデカさや強さは、セレーネにはあまり関係ないじゃん。イリアスは気づいて溜息を一つつく。
だって、どんな強い身体になった自分でセレーネを組み敷く想像しても、関節外されて倒されるか、ボッコボコに蹴り倒されるか、木刀で全身の骨バッキバキにされて終わる。なんでだよ。
薬を盛って身体の自由を奪うしか方法がないってどういう事だ。何故妄想ですら上手くいかないのか。
どんな夢を抱こうと、知ってる理論に忠実に矯正されて、全然上手くいかない。
ムカつく。
イリアスは、自分の頭脳の聡明さを恨んだ。
でも。逆に言えば、身体はハンデにはならない。
イリアスはその事に自分で納得する。
まぁ、そりゃあ強い男の方が好みだろうが、セレーネのアレは、強い身体が好きなのではないだろう。強くあろうとする男が好きなのだ。そんなのはイリアスだって見てて分かる。
今カラマンリス侯爵家にいる男性で、恐らく一番強いのは、ゼノの護衛のヴラドだ。次ぐのはツァニス侯爵とアティの護衛のルーカス。そしてサミュエル。
しかし、セレーネが向ける視線に違いはない。特に、ヴラドとサミュエル。子供と大人ぐらい強さが違うのに、サミュエルの方が親しげに見える。
たぶん、そういう事だ。
強さはあるに越したことはないが、全てではない。
身体の強さは捨てよう、年齢が近ければそれでいいんだから。
イリアスはあっさりそう結論づける。
じゃあ親しくなれれば──いや、それも難しい。
何せ、セレーネは大人の男にとても厳しい。
結婚して夫となったツァニス侯爵に対してもああだ。親しくなるにはどうしたらいいんだ?
イリアスは大人になった自分が、親し気にセレーネと話す姿を思い浮かべる。
──ああ、包容力か。
セレーネが何をしても、受け止められるその度量。そう、それこそ獅子伯の如く、ドーンと構えて全てを受け入れ──られるかコンチキショウ。無理だ。
セレーネが誰かと話してるのすら見るの嫌なのに。無理中の無理。こればっかりは、自分の性質がそうなんだからどうしようもない。
包容力なんて皆無だ。それは自覚してる。それをセレーネにも突っ込まれた。
世界に二人っきりならいいのに。ならセレーネが自分だけを見て──
くれないや。
イリアスは速攻で気づいて首を横に振った。
『世界に二人きりになったとしても、その人が自分を見てくれるとは限らない』
これは、セレーネがイリアスに教えてくれて、目覚めたキッカケだった。
そう、例え世界に二人きりになったって、相手が自分を見てくれるとは限らない。
特に。
セレーネは孤独を恐れていない。世界に二人きりになったって、きっと彼女は独りでどこかへ、他に人がいないかどうか探しに行ってしまう。そういう人だ。
クッソダメじゃねぇか。なんで妄想なのに上手くいかない。
じゃあ、どうやって親しくなればいいのか?
イリアスは、セレーネのまわりににいる男性たちを再度思い浮かべていく。
……ああ、アイツだ。セレーネと一番親しいのは。
セレーネの幼馴染で元婚約者の、アイツ。アレクシス。
イリアスはアレクシスの顔を思い浮かべて、苦々しい気持ちが胸に広がるのを感じた。
最初、アレクシスがセレーネと幼馴染で元婚約者と聞いて、嫉妬で狂うかと思った。そして、セレーネを手のひらで転がす姿を見て、物凄く羨ましいと思った。
でも。
イリアスの、アレクシスへの嫉妬は継続しなかった。
イリアスはそんな自分に驚き、そして理由を考えてみた。
当初は、貴族ですらなくなり、地位も名誉も金もコネも持ち合わせていないアレクシスなので、敵ですらないからかと思った。
しかし、よくよく考えると違った。
逆だ。
何も持たないからだ。
彼には、地位も名誉も金もコネもない。
なのにセレーネと親しい。
つまり、地位や名誉や金やコネを持っていたとしても、自分では彼の敵にすらなれないという事に他ならない。
生まれながらにして傍にいたというアドバンテージ。
これには嫉妬のしようがなかった。
アレクシスには勝てようもない。
だから嫉妬もできない。彼を引き摺り下ろせるモノが何もない。
クッソ勝てねぇ。
イリアスは、再度苦々しく思った。
幼馴染というアドバンテージを持たず、じゃあどうやってセレーネと親しくなればいいのか。
他に親しい男は、とイリアスは考える。
ツァニス侯爵。確かに親しいだろう。なにせだ。彼女をアレコレする社会的権利を持ってる。でも、言うほど親しげか? 何か違くね?
イリアスは速攻でツァニスの事を脳内から除外した。
次に、獅子伯。あー、考えるだけでムカつく。辺境伯という地位を持ち、広大で
イリアスは、アレクシスの時とはまた違った意味の苦々しさを感じて歯軋りした。
あんな風にはなれない。無理だし。
イリアスはすぐに獅子伯の事を脳内から除外した。
次は……サミュエルか。
彼は、貴族ではなく使用人の一人である筈なのに、セレーネと親しげだ。そこには、雇い主と使用人という立場を越えた何かがあるような気がする。
でも、アレはダメだ。おそらく、セレーネは眼中にない。サミュエルをそういう対象として見ていない。だから親しげなのだ。友人みたいな感じで。じゃあ意味ないじゃん。イリアスは溜息混じりにサミュエルも脳内から除外した。
ヴラドは、親しい、というか。セレーネはヴラドに対して敬意を払っているように見える。それは、親しさとは少し違う気がした。除外。
ルーカス。いや、あれはルーカスが一方的にセレーネのファンなだけだろ、除外。
あれ?
ちょっと待てよ?
もしかして、セレーネと親しくなるって、滅茶苦茶ハードル高いんじゃね?
セレーネって、そんなに気位が高い人だったっけ? おかしい。そうは見えない。むしろ、彼女は誰とでも仲良くしているように見える。
でも、よくよく考えると確かに気位が高いな。だって、失礼な態度を取る男に、これ以上ない程厳し──
そこでイリアスはふと気づく。
あれ、失礼な態度の人間を嫌いになるのは、誰でも当たり前じゃないか。
男に厳しいんじゃない。男がセレーネに最初から馴れ馴れしく舐めた態度を取るから、彼女は一刀両断するんだ。
相手が男だからじゃない。男がセレーネに失礼な態度を取る事が多いからそう見えるだけで、別にセレーネが特別気位が高いワケじゃない。人間なら当たり前の反応だ。
なんだ。
つまり、失礼な態度を取らず、丁寧な態度で接すればいいんじゃん。ただそれだけじゃん。
彼女と親しくなるのって、実はそれほど難しい事じゃないじゃん。
なーんだ。
イリアスはホッとして、妄想の続きを頭の中で思い浮かべた。
よし、折角の妄想なんだから、脳内でセレーネとイチャラブしたい。
……あれ?
イリアスは、ふと冷静になる。
セレーネとイチャラブ? できるんだっけ? そんなの。
イリアスは、今まで読んだ本の中で展開されていた、男女の恋愛模様を参考に思い浮かべてみた。
自分が笑顔を浮かべると、はにかんだ笑顔をして恥じらいつつ、自分の胸へと寄り添ってくるセレーネ。
……あのセレーネが? 恥じらう?? なんでだよ。恥じらう必要がない事だったら、彼女はきっと恥じらわない。エリックやアティをギュウギュウに抱き締めて、ほっぺたこすりつけている姿を何度見たことか。彼女は愛情を持ってる事を恥じらわないし隠さない。
ええとあとは?
二人っきりの時、自分が寝そべるカウチに一緒に座り、自分に身体を預けて甘えたように自分をうっとり見上げるセレーネ。
……ん? なんか違うぞ? どっちかというと、セレーネが身体を預けるのではなく、受け止める方な気がするんだけれど。
そうか、じゃあ逆を想像しよう。
ラグに座る彼女の膝に頭を乗せる自分。そんな自分の髪を優しく撫でるセレーネ──ああダメだこの想像。普通に今も見る映像。アティにやってたりしたし。エリックにだってたぶんする。コレジャナイ。違うソウジャナイ。
あとはあとは……
行こうとするセレーネの手を掴み、無理矢理振り向かせて強引にキスを──ダメだ、カウンターで顎を砕かれる未来しか見えない。
それじゃあ逆に、行こうとする自分を呼び止め、胸に飛び込んできてキスを──いや、セレーネが男を止めようとするなら、キスじゃなくタックルだろ。それか、足払いを食らわせられて馬乗りされるだけじゃん。しかも、色気のない方の馬乗り。ダメじゃん。
どの想像も上手くいかない。
なんでだ、どうしてだ。
イリアスは悔しくなって歯軋りする。
しかし、仕方がない。
いくら妄想であっても、彼女の身体を好き勝手にしたいワケじゃないから。
セレーネとイチャラブしたいから。
つまり、そうか。まだ知識が足りないんだ。
妄想できる事というものは、持ってる知識の延長にしかない事を、イリアスは知っていた。
セレーネにもラブラブしたいタイミングがあるハズ。彼女なりの何かが。でも、それを想像する為のネタを、まだ自分は持ち合わせていないだけなのだ。
本だ。もっと本を読まねば。
色んなシチュエーションを知り、それをもとに考えるんだ。
出来るハズだ。
やってやれない事はない。
だって自分には、誰にも負けない頭脳があるんだから。
イリアスは夢想する事をやめ、盛大な溜息を漏らす。
そして、読んだ事のない恋愛本を探しに、アンドレウ公爵家のドデカイ図書室へと真面目な顔をして、入っていくのだった。
了
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