【並行世界話】とある保育園のでお話。

 どこかにあるという並行世界パラレルワールド。そこにあるとある保育園でのお話。


 ***


 とあるシングルファザーは、これから娘を保育園へと迎えに行く所だった。

 娘の母親が病気で亡くなって以来、慣れない育児で苦労しつつもここまで頑張れたのは、保育士の先生の、時に厳しく、時に優しいアドバイスのおかげだった。


 今日こそは。今日こそは。

 とあるシングルファザーは、固い決意を胸に保育園の門を通り抜けた。


「アティちゃんのお父さん、お帰りなさい!」

 その保育士の女性は、園庭側から現れたその父親の顔を見てニッコリ笑う。

 その笑顔が今日も見れて、そのシングルファザー──アティの父親は思わず顔を綻ばせた。

「アティちゃーん! お父さんがお迎えに来たよー!」

 その女性保育士は、亀の甲らのように背中に男の子を貼り付けたまま、ガラス戸の向こうへと声をかける。

 背中の男の子は、保育士の背中にへばりつきながら

「セリィせんせい! おんぶ!!」

 と叫んだ。

「もうおんぶしてるでしょエリックくん!」

 その女性保育士──セリィ先生は、慣れた様子で背中の男の子のお尻を片手で抑えつつ、サラリとそう返事。

 そして、ガラス戸の向こうから現れた女の子に帽子を手渡した。

 帽子を手渡された美幼女──アティは、帽子をすっぽりと被ってから、肩がけ鞄の位置を直す。そして、セリィ先生を見上げてチョコチョコと手を振った。

「セリィせんせい。バイバイ」

「ハイ! バイバイ! アティちゃん、また明日ね!」

 セリィ先生は、顔を綻ばせて美幼女・アティの頭を優しく撫でた。


「あのっ……」

 アティと手を繋いだ父親は、用は済んだとばかりに背を向けようとしたセリィ先生に声をかける。

「はい?! あれ? 忘れ物ありました?」

 その声に振り返ったセリィ先生は、アティに再度視線を戻した。

「いえ、そうではなくて……」

 父親はワタワタと首を横に振ったのち、意を決して口を開こうとした。

 が、その時。

 その様子を見ていた背中にへばりついた少年・エリックは、ぷっくり頬っぺたを膨らませた。

「セリィせんせい! おんぶ!!」

「だからもうしてるでしょって!」

「もっとおんぶ!!」

「もっと?! これ以上の『おんぶ』ってどういう状態?!」

 セリィ先生とエリック少年の攻防に口を挟めなくなり、父親は口をパクパクさせる。タイミングが、口を挟むタイミングがない!

 アティは、帰ろうとしない父親をキョトンと見上げた。

「おとうさんどうしたの?」

 娘のその言葉に、父親は背中をビクリと震わせる。

 そうだった。悠長に攻防を見ている場合ではない。今日こそは言おうと思っていたんだから。

 父親は、娘の手を握った手に少しだけ力を込める。

 アティ、勇気を!


「あのっ……セリィ先生」

 意を決して、逆さまになったエリック少年を抱くセリィ先生に声をかける。

「はい?」

 エリック少年の足の間から、父親に視線を向けるセリィ先生。

「今度、よかったら仕事あがりに──」

「エリック迎えに来たよー」

 父親の一世一代の勇気は、あっけなく背中からかけられた声に遮られた。


 こんな時にっ!?

 父親が恨みがましく振り返ると、そこには制服を着た少年が、異様にニコニコした笑みを顔に貼り付けて立っていた。

「イリアス!!」

 逆さまになってセリィ先生のお腹に張り付いたエリックが、ガバリと顔をあげて制服の少年の顔を見る。

「『お兄ちゃん』をつけなってば。……エリック、何してんの?」

「『おんぶ』だっ!!」

「……僕が知ってる『おんぶ』と違うね。その体勢だと、セリィ先生の腰が壊れちゃうよ。壊す気?」

「セリィせんせいはつよいからだいじょうぶっ!」

「……それ、エリックが言う事じゃないよね」

 苦笑しながら、制服の少年──イリアスが、エリックを逆さまのままセリィ先生から受け取る。

 イリアス少年は、受け取ったエリックを一度床に置いた。ピョインと飛び起きたエリックは、バフっとイリアスの足に抱き着く。イリアスは、その頭を愛おしそうに一度撫でた。


「今日は早かったね。部活は?」

 セリィ先生は、やっとエリックから解放され、うーんと伸びをして腰のストレッチをしながら、イリアス少年にそう問いかけた。

「今日はもう終わり。さ、ほらエリック。帰り支度してきて」

「ウンっ!!!」

 イリアスに背中をポンと押されたエリックは、荷物がある部屋へとダッシュする。

「エリックくん! 歩こう!! 荷物は逃げないよっ!!」

 走るエリックに慌てて声をかけるセリィ先生。

「にげるもーん!!」

 しかし、エリックはドップラー効果を残しながらそのまま消えて行った。

 嵐のような出来事に、アティの父は完全にタイミングを逸し、ポカンと立ち尽くすしかできなかった。


 セリィ先生は、下駄箱の中からエリックの靴を出しつつ、エリックが消えた廊下の方を見ていたイリアス少年に声をかけた。

「今日もエリックのご両親は──」

「ハイ。今日も仕事で遅くなるって」

「そっか。お仕事忙しいんだね」

「遠縁の僕の面倒見てくれるエリックの両親には感謝しかないよ。エリックも……ちょっと面倒くさいけど、飽きる事なくて一緒にいると楽しいし」

 イリアスのその返事に、セリィ先生はクスッと笑う。

「そっか」

 エリックの靴を園庭に揃えて出したセリィ先生が立ち上がる。

 その瞬間、イリアス少年がセリィ先生の手に一枚の紙を握らせた。

「? これは?」

「僕が行きたい高校の文化祭のチケット。保護者として同伴してくれないかな。エリックの両親は仕事だし。エリックも連れて行くし」

 イリアスは、有無を言わせない圧力でセリィ先生に笑顔を向ける。

「え? でも私じゃ──」

「その学校、絶対行きたいから様子を知りたいんだけど、頼れて信頼できる大人がセリィ先生しかいないんだ。……ダメかな?」

「うっ……」

 イリアス少年の言葉が、セリィ先生の弱点にブッ刺さる。効果はバツグンだった。しかも、同情を誘う中学生の幼気いたいけな少年の少し寂しそうな表情。

 セリィ先生は、ここでNOといえる大人ではなかった。

「……私で良ければ」

 彼女は苦笑しながらチケットをポケットに入れた。


 小僧ー!! 俺がなかなか出来ない事をサラリとやってのけおって!!

 アティの父親は、心の中でそう大絶叫。

 自分の方は『もし良ければ、今度ご飯でも行きませんか?』この一言が言えなくて、数週間悶々としていたのに。

 これが若さか?! これが若さなのか羨ましい!!

 アティの父親は、イリアス少年のスマートな誘い方に羨望の鋭い視線を突き刺す。

 そんな彼の視線に気づいたイリアスは、目を細めて『ふふん』と笑った。

 中学生とシングルファザーの間に吹き荒れるブリザード級の冷たく厳しい空気。

 アティはそんな事には気づかず、なんで父親が帰ろうとしないのか、ただただ不思議に思って父親の顔を見上げるだけだった。


 いや、しかしこれはチャンスなのかもしれない。

 アティの父親はふとそう思う。

 親族でもない中学生と知らん高校の文化祭に行くよりは、ご飯食べに行くだけの方がハードルは低い筈だ!

 今なら、セリィ先生も『ウン』と言ってくれる可能性が高い!

 アティの父親は、決意を新たにして一度小さく深呼吸。

 荷物を引きずり上着を半分羽織ったままの状態で戻ってきたエリックに、『風邪ひいちゃうよ』と言いつつ身支度を整えてあげるセリィ先生に向き直った。

「セリィ先生! もし良かったら今度──」

 一世一代(※二回目)の誘い文句。

 しかし、ドンっという後ろからの衝撃で言い切る事が出来なかった。


「ああ、申し訳ない」

 そんな野太い声が後ろからする。

 今度はなんだ?!

 アティの父親が非難めいた気持ちで後ろを振り返ると、そこにはプロレスラーがスーツ着ましたというような出立ちの、ガッチリとした男性が立っていた。

 自分より頭ひとつ分はデカいんじゃね? という男性に、アティの父親は思わずおよび腰。


「あ! ゼノくんのお父さん! お帰りなさい!」

 プロレスラースーツの男性に、そうとびきりの笑顔で声をかけるセリィ先生。

「迎えに来ました。ゼノは今日はどうでしたか?」

 プロレスラースーツ──ゼノの父親は、朗らかに笑いながらセリィ先生に声をかける。

「今日の給食に苦手なブロッコリーが出たんですが、頑張って一口食べられましたよ!」

 セリィ先生が心底嬉しそうにそう言うと、ゼノの父親も顔をクシャッと崩す。

「そうですか。良かった」

「ハイ! 良かったです!」

 二人がゼノという園児の話で盛り上がる。

 アティの父親の一世一代は、またもや阻止されてしまった。

 もうダメなのかもしれない……

 そう、肩を落としたアティの父。


「そういえば、セリィ先生はプロレスがお好きでしたよね? 友人から試合のチケットを貰ったんですが、行きますか?」

 ゼノの父親が、スーツの胸ポケットから2枚のチケットを取り出す。

「いや、でも──」

 一瞬、やんわり断ろうとしたセリィ先生だったが、チケットを見て目の色を変えた。

「そ……それはっ?! 今度ある新世プロの試合?! 取れなかったのにっ……しかもっ……! 決勝?!」

「私は友人と行くんですが、まだチケットが2枚あるので、もしよけれ──」

「ありがとうございますっ!!」

 ゼノの父親の言葉に被せ気味にそう返事をし、父親の手をチケットごと握りしめるセリィ先生。先生は、自分の欲望には忠実だった。

「もしよければ、その後食事でもしましょう」

「はい……」

 セリィ先生は、ゼノの父親から受け取ったチケットをキラキラした目で見上げる。父親の言葉に反射的に返事をしていた。


 満足げに微笑むゼノの父親。

 その横で、忸怩じくじたる思いで歯軋はぎしりするアティの父親。

 コイツもか! なんてスマートな誘い方!! しかもちゃっかり食事の約束まで!! 悔しい! 凄い!! 羨ましいっ!!!

 まだエリックと手を繋いでその場に残っていたイリアスも

「チッ……経済力とコネかっ……」

 そう小さく吐き捨てていた。


「アティもいきたい」

 そんな小さな声に、その場にいた者達が我に帰る。視線が声の主に集まった。

「……アティちゃん、プロレス好きなの?」

 キョトンとした顔をするセリィ先生。

 その言葉に、アティはコックリと頷いた。

「ひゃくねんにひとりのいつざい」

「ッ?! タカハシ選手?! 私はオノ選手が好きなの!」

「おかねのゆきをふらせる……」

「スノーメーカー!! アティちゃん! プロレス本当に好きなんだね!!」

 突然花咲いたプロレス談義に、周りの男性達はポカンとその様子を見ていた。

 アティの父親も例外ではなかった。

 まさか娘がプロレス好きとは。どうりでアティが使ってるタブレットで動画検索すると、『オススメ動画』にプロレスばっか出て来んなぁと思った。


「チケットは2枚ある。もし良かったらアティちゃんも一緒に行くといい」

 ゼノの父親は、ニコニコしながらそう進言する。

 そんな簡単に……アティの父親は怨みがましくゼノの父親の顔を見返し──

 アティとセリィ先生が、何故か自分をキラキラという目で見ている事に気がついた。


 ──あ、そうか。

「そ……そうだな。お言葉に甘えて、アティ、一緒に参加させてもらおうか」

 アティの父親がポソリとそう答えると、アティとセリィ先生がガバリと感動の抱擁をした。

「良かったねアティちゃん! 決勝戦が! 生で!! 見られるよ!!!」

「ハイ!」

 二人がギュウっと抱き締め合う姿を見て、アティの父親は微笑む。

 頭の中ではガッツポーズ。

 ゼノのお父さんありがとう! セリィ先生と出かける口実が出来た! しかもサラリと!! 食事まで出来るぞ! あわよくばその後──


「オッサン、顔がニヤけてるキモっ」

 イリアスの、そんな苦々しい呪いの言葉に、アティの父親は我に帰る。

 いかん。まだチャンスに恵まれただけに過ぎない。これからが勝負だ。このチャンスを潰すワケには絶対にいかない。

 アティの父親は、顔には出さないように注意しながら、心の中でそう決意した。


「セリィ先生。まだそんな所に居たんですか。後片付けまだ残ってますよ」

 そんな厳しい声が他の場所から飛んだ。

 そこには、帰り支度をシッカリ済ませたゼノの手を引く女性保育士が。

「マギー先生! ごめんなさい! すぐ戻ります!」

 セリィ先生は、慌ててアティの身体から手を離すと、一歩引いて洋服のヨレを直す。

「それじゃ、アティちゃん! また明日! 試合楽しみだね!」

 そう言ってセリィ先生は、アティにバイバイと手を振る。アティもチョコチョコと手を振り返した。

「せんせい! お(↑)れ(↓)もっ!!」

「ハイ、エリックくん、また明日ね!」

 片腕がモゲそうなほど天に伸ばしてブンブン振るエリックにも、セリィ先生は手を振り返した。

「マギーせんせい、セリィせんせい、さようなら」

 マギー先生から離れ、プロレスラースーツの父親と手をつないだ幼児──ゼノが、先生二人の方へと向き直り、丁寧にペコリと頭を下げた。

 保育士二人も、腰を折って頭を下げる。

「ゼノくん。さようなら」

「また明日ね! ゼノくん!」

 顔を上げたマギー先生とセリィ先生が、微笑みながらゼノにそう返事を返した。


 挨拶が終わった園児たちとその保護者たちが、バラバラと保育園の門を通って帰っていく。

 セリィ先生は、その後ろ姿が見えなくなるまで、手を振って見送った。


 まるで嵐が去った後のように、一段落したホッとした空気が流れる保育園。

「まったく。シングルキラーはこれだから……」

 マギー先生が、呆れた声でそうボヤき部屋の方へと戻っていく。

「なっ!? 人聞き悪い!! 園児と仲良くなる為に、保護者とも仲良くするのが──」

「業務の範疇はんちゅう逸脱いつだつしまくってる癖によく言う」

「いっ……逸脱いつだつは……」

 ちょっとしてる自覚があったため、セリィ先生は何も言えなくて黙ってしまった。

 やっぱり、ダメだったかな。でも、『頼れる大人がいない』という中学生の力にはなってあげたいし、プロレスにも行きたい。子供たちは可愛いし、その子たちの親に何か苦労があるのであれば、自分の出来る範囲で協力もしたい。

「ま、園内にいる間はプロとして徹すればいいんですけどね。セリィ先生が例えプライベートで結婚詐欺まがいの事をやろうと、私は知っちゃこっちゃありませんし」

「結婚詐欺なんてしませんけれどもっ!?」

「どうだか」

「聞き捨てならんなっ!!」

 ワーキャーやりながら、保育士二人が部屋へと戻っていく。


 そうして、騒がしい平行世界パラレルワールドの保育園の一日が、ゆっくりと終わろうとしていた。



 了

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