同じクラスのあの子が異世界に召喚されている件

kimrer

ぼくと彼女

体操服を教室に忘れた。

暖かくなってきた春の気候。汗もうすらかくほどであるので、使用済み体操服はそれなり湿っていることだろう。それを明日の授業で着るのは嫌だ。とりにいかねば。階段から一番離れた誰もいない教室に入り、校庭から聴こえる活発な学生たちの声にセンチメンタルな気持ちになりつつ、体操服の詰め込まれた袋をとった。流れるように教室を出て、階段へむかう。さっきは誰もいなかった踊り場で、黄昏れている、1年のときから不登校気味で知られるクラスメイトの女子生徒がいる。しかしこの僕には、通りすがりに挨拶をするような女友達などいない。黙って階段を下りはじめる。

そこで狙ったかのような突風。

舞い上がる女子生徒の髪。

とスカート。

ほんとうに奇跡のようなタイミングでとおりすがってしまったが故にまったく故意ではない所謂ラッキースケベ的なあれになることになるのであって決して見ようとしたわけではなく目にはいってしまったというべきであろう下着、という期待を裏切るスパッツから生える白い足。

────には、無数の傷があった。

女子は言う。「…見えた?」

スパッツのことか?傷のことか??どちらにしろ見た。いや見えてしまった。

「……ちょっとだけ」

バカヤロウ。そこはミテナイヨと言うところだろうが。しかし実際ちょっとだけ見えてしまったのだ。あの傷はなんだろうか、運動部にはいっている、では説明できないほどだ。そもそもこの女子は運動部という感じがしない。

「あの……勘違いしないで。虐待を受けてるとかじゃないわ。その……………」

なにか言いづらいのか、モジモジしている。

「その…………」

モジモジ。

「そのね………」

モジモジモジ。

「あたし……異世界に召喚されてるの。」

なるほど、嘘だろうな。陰キャのぼくをからかっているのか?と思ってもいいところだが、人の言うことを初っ端から嘘だと決めつけるのは良くない。

嘘だろう。

「…なるほど。」

「嘘だと思っているでしょう」

思っているとも。

「思ってないヨ」

「…証拠を見せてあげるから!」

証拠、とは何なのか。なぜか僕は物置になっている空き教室に連行される。そして彼女は掃除用具入れに体をねじ込んだ。頭がおかしいようだ。

「あたしがこの扉を閉めて、10秒したら開けてみてよ。いないから。」

箒の位置取りのせいで首を45度傾けた彼女がそう言い、扉をパタンと閉めた。ぼくはなぜか、扉をバコーンと開け、アルワケネェダロ!とツッコむ気にはならなかった。心のなかで、いーち、にーい。と律儀に10まで数えた。そして扉の取手に手をかけ、そっと開けた。

彼女はいなかった。

「………まじで?」

彼女は確かに掃除用具入れに入ったし、この床やら壁やらが実はどこかに繋がっていて緊急脱出が可能。なんてこともあるはずがなく、ぼくは理解が追いつかない。このトビラを開けたままでは、異世界に行ったという彼女が帰ってこられないのではないか、と思い至り、トビラを閉めて彼女が出てくるのを待った。

1時間

2時間

帰ってこない。彼女は本当に異世界に行ったのか?それとも帰ってくる時はあの掃除用具入れからではないとか?と、ぐるぐる考えているのは完全下校時間になり学校から追い出され、帰路につくぼくだ。彼女について知っているのは名前くらいなもので、生還確認もできず、眠れなかった。ということもなく、無事に帰って来たのか、どうしてぼくに話したのか、時間軸はどうなっているのか、話してみると意外と高飛車な女子だったな、などと考えながら眠った。

翌日、学校に彼女はいなかった。


題名をつけるなら、同じクラスのあの子が異世界召喚されている件について、だろうか。


次にぼくが彼女と会ったのは、それから一ヶ月ほど後のことだった。

だらけてくる二年の中間テストについての個別面談に時間を食われ、ぼくが一人で荷物をまとめている放課後夕暮れの教室。ガラリと教室に入ってきたのだ。

「いつ帰ってきたの?」

ぼくは長期休暇の間に旅行から帰ってきた友人に聞くかのように、自然に言葉が出た。

「さっき。」

長期休暇の間に旅行から帰ってきた人のようだ。

「…おかえり?」

と言うのが正解なのか分からないが言ってみた。

「…ただいま?」

彼女も正解がわからないようだ。

「それより、聞きたいこととかあるんじゃないの?」

とぼくに聞く。

「ある。あった。はずなんだけど…二ヶ月の間に落ち着いてしまったよ」

なにが落ち着いてしまったのだ、ぼくよ。この女子は異世界に召喚されているのだぞ?人類の夢だ。聞きたいことなど山程あるはずだ。しかしありすぎてぼくの脳は、思考を放棄したように凪いでいる。

「…そっか。ねえ、話を聞いてよ。」

「うん。」

「はじめてあっちに行ったのは入学したてのときなの。たまたまあの掃除用具入れを開けたら、知らないところにいて。」

「うん。」

「そのときはね、1日で帰ってきたの。」

「うん。」

「それがだんだん長くなってるの。2回目は3日。3回目は5日。規則性はない。ただ、長くなるの。今回は何回目だか、もうわからないけれど1ヶ月くらいかな。」

「…うん。」

「あたしそのうち、帰ってこなくなるのかなあ。」

彼女の顔は、不安そうではなく、ぼうっとしている。

「……帰って来たいと、思う?」

なにかを確認したくなった。

「どうかな。……わからない。この世界に未練は、ない。ここの人達も、あたしに未練がない。帰ってくる理由は見つからない。……でも、分からない。」

ぼくはうっすら勘付いた。数ヶ月いないのに、家族は気にかけないのだ。

「そっか。」

他に会話をするでもなく、二人で駅まで帰った。沈黙もべつに苦しくはなかった。

その数週間後、彼女はまたいなくなり、1ヶ月半ほど、彼女を見ることはなかった。


「藤咲。」

図書委員の仕事で、どうせ誰も来ない図書室に一人ぼうっと座っていた時だ。また唐突に彼女から声をかけられた。3週間前から学校に来るようになったのだ。

「出席日数がヤバイ。」

はあ。

「成績もヤバイ。」

彼女は見るからにげっそりしていて、くまもひどい。どれほどにヤバイかを物語っている。

「ぼくが3年になっても先輩とは呼ばなくていいよ。」

いっしょに3年生になることはできなさそうだ。

「ちょっと…留年する前提で話さないでよ…。」

あからさまに元気がない。

「逆に1年生は大丈夫だったんだね」

「そうね。割と授業も受けてたし、出席日数も足りてたわ。でもこのままの成績じゃ…。」

グッと眉間にシワをよせている。

「たしかに、一学期の時点でもう二ヶ月は欠席か。でも中間テストは受けられたんでしょ?」

彼女を見るとさらに口を“へ”の字に曲げている。

「異世界から帰ってきて1週間でテストよ?いい点を取れると思うの?」

「むりだね。」

「でしょう。」

ふふん、と何を自慢気にしているのか。

「そこで、頼みがあるのよ。」

もう察している。

「……。」

彼女は上目遣いにぼくを見た。

「期末テストはいつかしら?」

「……4日後からだね。」

ぼくを見る目がぱちぱちとわざとらしく瞬きをする。

「勉強教えて」

「嫌だ。」

4日後なんてもう手遅れだ。

「なんでよ!藤咲頭いいでしょ!よさそうだもん!」

「友達に教えてもらえよ。」

ぼくは自分の勉強で手いっぱいだ。

「………こんなに欠席ばっかりなのよ?友達なんて……藤咲以外にいるわけないじゃない。」

彼女はうつむいて小さな声で言った。

ぼくたちは友達だったのか。

「あたしが留年してもいいの…!?」

「少し前から学校に来てるし、授業も受けられてるでしょ?見るからに寝ていないようだし、勉強しているんじゃないの?」

「寝れてないのは、勉強してるからじゃないわ。1週間前から召喚されてるのよ。」

「どういうこと?」

「いつも召喚のときになると声が聞こえるの。あたしを呼ぶ声。それが今も脳で響いてるのよ。うるさくてたまったもんじゃないわ。こんなに声に応えなかったこと今までにないの。」

それでこのやつれ具合か。

「もう今すぐにでも用具入れに行って声から開放されたいところだけど」

「出席日数と成績がヤバイと。」

「そうよ。」

可哀想な気がしてきた。故意にサボっているわけではないのだし。

「しょうがないから、少しくらいなら教えてあげるよ。」

「本当に?ありがとう!じゃあ放課後、教室に残ってね!藤咲最高!」

嬉しそうなやつれた笑顔で声高にごまをすって、教室に帰っていった。

それから4日間、毎日居残って彼女に

勉強を教えた。


期末テストが終わった瞬間、彼女はふらふらと教室を出ていき、次の日にはいなかった。


猛暑の中体育館で校長の話をきき、「夏休みの宿題おわった?」とか「どっか旅行行った?」とか、話し声とセミの声でうるさい学校に、彼女は見当たらない。夏休みが始まる直前に学校に来なくなり、夏休みは1ヶ月だ。まだかえってきてないのだろう。夏休みが終わり、生徒のシャツは大半が半袖になっている。校門を囲む、太陽を一心に受ける木々たちはあまりに暑そうだ。二学期初っ端の授業で、先生が出欠確認をする。彼女がいないことに気づき、汗ばむ手で出席簿に印をつける。よくあることなのに、そんなのが気になる。きっとぼくは寂しいのだ。


もう、少し肌寒くなってきた。

冬すら少し感じるほどの10月下旬のことだ。図書委員会が放課後なんの中身もない集会を行い、二学期前半の貸出がどうだのこうだの議論した。その集会から教室へ荷物を取りに行く道中に、例の掃除用具入れのある物置教室がある。なんともなしにぼくはその前で立ち止まり、ボロボロの紙が貼ってある教室の扉に触れようとした。

「あ」

その指は、虚をなぜる。扉が開き、出てきた人は、大げさなほど体を跳ね上げて驚く。

彼女だ。

「びっっくりした…。こんな教室に何の用よ。あたしを探しに来たの?」

にやりと笑っている。

「たまたま通っただけさ。」

扉を開けようとした人間には無理のある言い訳だ。

「あらそう。……ただいま。」

彼女はにこりと笑う。

「そろそろかなと思ってたよ。………おかえり。」

二人で教室に歩き出す。

「今回はかなり長かったんじゃない?」

前回は1ヶ月半だったのに。

「今、何月何日?」

「10月23日。」

「うっそ。どおりで寒いと思ったわ。」

彼女のとなりで歩く廊下はかなり久しぶりで、なにかムズムズした。

「教室は暖房ついてる?」

「まだだよ。11月からつくんじゃないかな。」

「こんなに寒いのに。」

教室にはいると、彼女は大きく息をすった。

「はぁ〜。本当に久しぶり。」

「なんの匂いがする?」

「………チョーク?かな?」

口を”へ“の字に曲げている。

「それより、聞いてよ。」

先日の出来事、として彼女が話す物事たちはあまりにファンタジーでおもしろい。

「本当にいろいろあったから、3ヶ月も経ってるんだろうね。たぶんラノベでいったら、もう後半にさしかかってるかも。敵が強くなってるもの。」

彼女は腕をおさえた。夏休み前のままの半袖シャツが透けて、傷が見えた。階段の踊り場で見た、足の傷とは比べ物にならないほど深い。

「次はどれくらいの長さなんだろうね。一気に半年とかもありえそうだけど。」

心配を言葉にしてはいけない気がした。

「そうね。でもおかげ様で一学期の期末テストはよくできたし、進級はできると思うわ。」

とぎれとぎれに会話をしながら駅まで二人で帰った。少し暗くなった帰り道はなんだか暖かく感じた。



教室の暖房がついて、二学期の期末テストがおわると、いなくなった。


冬休みがはじまり、終わり、三学期を過ごし、3年になる。。

新しいクラス表にぼくと彼女の名前を見つけて、心の中でガッツポーズをした。当の彼女はまだいない。


数日後、誰もいない教室で本を読んでいるぼくに彼女は話しかけた。

「あら偶然、こんな時間までのこっているのね」

「もう6時か。本を読んでいて気づかなかった。」

嘘だ。放課後はできるだけ長く残るようにしているのだ。

「ただいま。」

「おかえり。」

なにか照れくさい。

「また長かったね。半年くらい?」

「そうね。…異世界の話、きいてくれる?」

「うん。」

「……最初はね、憧れの異世界召喚だ。って思ってた。知らない世界で、見たことない物に囲まれて、たくさんの人に出会って。流されるまま、敵と戦って。ラノベみたいに強くなって、ボス倒して、ハッピーエンド。だと思ってた。」

「うん」

「きっと、あたしが主人公のラノベは、きっと終わりに近づいてる。そんで残念ながら最強チートネタじゃない。むしろ、ラノベなんかじゃないんだ。傷は……痛くて、怖い。」

感情で抑揚が滲む。ぼくには想像もつかない。

「あそこの人たちは、虚構じゃない。あそこに生まれて、生きているんだ。あたしがこっちにいる間も生きてる。あたしが失敗がしたら、死んじゃうんだ。」

なんと言えばいいのか、わからない。

「あたしも、どうなるか分からない。」

ぼくはなにも言わず、彼女の顔を見た。うつむいて、微かに涙をながしている。なにを言っていいのかわからないので、長袖で彼女の目元を拭った。

「次が最後になるかも」

「最後?」

「うん。最終回…かな。」

彼女は切り替えるように努めて明るく言った。

「そうか。」

また二人で帰った。



「藤咲。」

休み時間にぼくが教室で友人と談笑していると、彼女に話しかけられた。

「放課後、委員会があるから残れって先生が。」

なんだただの伝達か。

「わかった。ありがとう。」

人がいるところで喋りかけられたのははじめてだ。

「あの人、普通に喋れるんだな」

と友人は失礼なことを言う。

「普通に喋れるよ。」

ぼくは知っている。


放課後、教室に残っているのはぼくと彼女だけだ。

「委員会はうそよ。」

「知ってた。………行くの?」

「うん。」

彼女の表情はなんとも言えない。

「またおかえりって言わせてよ。」

彼女の選択に干渉しないほうが良いのは分かっている。しかしそう言わずにはいられなかった。

「そうね。」

そうねってなんだよ。と心の中ではツッコんだ。

しばしの沈黙のあと、

「じゃあ、ばいばい。」

彼女は教室を後にした。

教室の扉が閉まったのを合図にぼくは後悔の感情でうめつくされる。

帰ってきてほしい、そう伝えればよかった。



季節はめぐる、彼女がいなくても。

木々は新緑を湛えるし、体育祭は催されるし、学生たちは生活を送る。木の葉が落ちて、3年生たちはちらほら大学がきまってきた。入試試験が目白押しの冬も、彼女はいない。きっとこれが答えなのだ。こっちの世界で未来を選択しない、ということ。きっとあちらでエンディングを迎え、平穏を手に入れたのだろう。今頃どうしているだろうか、きっとあちらには入試試験なんて、ないんだろうな。楽しく暮らしているのかな。少し、羨ましい。ぼくはただの高校生なので、受験が怖くて焦っている。どこぞで幸せに暮らしている彼女を気にかけている場合ではない。彼女と会うことは、もうないだろう。しかし、忘れない。放課後に出会った、意外と高飛車でかわいい彼女を。本物の恐怖や焦燥と戦う心のすり減りをぼくに打ち明けたことを。お受験なんて、世界の安寧かかってないし。君に比べれば。



卒業式。ぼくは彼女のことを、動かない思い出にしかけていた。この門出が、きっとその区切りだと。

しかし。



「あたしに未練がある人、いたね」


動かない思い出にはならなかった。

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