義隆のたからもの

とん。

「すごい!!」

義隆はふーーと息を吐いて弓を下ろした。十丈先の的の中心には矢が一本刺さっている。

「別に普通だ」

「間近で見ると迫力が桁違いですね」

「競射はみたことあるのか?」

「はい。遠くの観覧席からでしたけど」

今日は義隆が武道の稽古(義隆の趣味)をするというのでかぐやは見学させてもらっていた。義隆は幼い頃から体を動かすのが大好きで父の知り合いの武官に様々な稽古をつけてもらっていた。弓もその一つだ。

「もう一本!」

「はあ、わかったよ」

かぐやはかなり興奮していた。もともと武道を観覧するのが好きなのだ。あわよくば自分もやってみたいという願望もあったが、他にやることがいろいろあったので、今まで手が付けられなかった。この機会に挑戦してみようかなとも思う。義隆は狩衣の袖をひるがえし、姿勢を正した。弓を構えるとぴんと弦を張り、矢の狙いを定める。

ぴっ。

びゅん。

とん。

義隆の手を勢いよく離れた矢はそのまま空気を切り裂き、的へ一直線、すでに刺さっていた矢を真っ二つにして刺さった。かぐやは思わず息をのんだ。

「また中心!」

「実践じゃないからな。だいたい真ん中に入る」

それでもかなりの腕前だ。武官と名乗っても違和感を感じない。

「いいな……」

「やってみるか?」

「いいのですか!?」

「そんな顔されてたらしょうがないからな。こっちに来い」

義隆はかぐやを傍に立たせた。

「見よう見まねでいいから構えてみろ」

「は、はい」

かぐやは義隆の姿を思い浮かべながら、恐る恐る構えてみた。少々ぎこちなく頼りない印象を与えた。

「まず体はまっすぐ横向き。的を向くのは顔だけだ。足をしっかり開いて。だいたい矢の長さくらい…そう。背筋は常に意識する。うなじまで伸ばすイメージだ」

言いながら義隆はかぐやの姿勢の微調整をしていった。かぐやはなんだかくすぐったくなった。

「よし、そのままの姿勢で弓を引いてみろ。ゆっくりでいいから」

かぐやは言われたとおりに弓を引き始めた。全身が引っ張られるような感覚がする。

「自分が『ここだ』と思ったところで離していいぞ」

かぐやはすっと弦を開放した。矢はまっすぐ進み、的の外側ぎりぎりに当たった。

「初めてにしては上手いな。素質あるんじゃないか?」

「本当ですか!?やった!」

かぐやは飛び跳ねて喜んだ。

「でもとても緊張しました。これを毎日稽古するのは大変ですね」

「普通はもっと細かい地味なところから稽古するものだからもっと大変だと思うぞ。俺も小さい頃はきちんと稽古をつけてもらっていたが、さすがに元服してからは毎日弓を触るのは難しくなって、こうやってときどきやってる程度だ。お前が本格的にやりたいなら師を紹介するが」

「師……。続けられる自信がないので遠慮しときます……」

「そうか」

「その代わり、義隆様がお稽古をするときは私も呼んでください。ぜひ義隆様の射る矢を見たいです」

「見せるほど上手くはないが……まあ、いいぞ」

「ありがとうございます!」

かぐやは笑顔で両手を握りしめて喜んだ。その様子を見て義隆は表情を緩める。するとかぐやの髪に葉っぱがついていた。義隆は髪に触ってそれを取った。

『あ』

一度今までにないくらい近づいた二人の距離はぱっと離れた。

「すまん、髪に葉がついていたから取ろうと思って」

「は、はい」

気まずい空気が流れる。二人の間に沈黙が流れる。居心地が悪くなった義隆が口を開いた。

「そういえばお前はあの簪をいつもは身につけていないのだな」

「はい。大切なものなので大切なときにつけようと思って」

「俺もそういうものを持っててな。明日、俺のところに来い。見せてやりたい」

義隆は真剣な面持ちで告げた。かぐやはこくりと唾を飲み込んで頷いた。肌寒い早朝のことだった。


ある日の午の刻を過ぎた頃、いつものように義隆が帰宅して、かぐやは彼のもとへ向かっていた。今日は使用人の人が市場で果物を仕入れてくれたのでそれを持っていこうとしていた。すると曲がり角の先から二人の声が聞こえてきた。義隆と染子だ。かぐやは思わず壁に体を添わせ、恐る恐る二人の様子をうかがった。すると、そこから聞こえてきたのは思ってもみない話だった。

「最近どうですか?かぐやとは」

「染子の見たとおりだ。案外うまくやってる。染子以外の女相手なんて絶対に無理だと思っていたが」

「では、他の女性も試してみますか?」

「は?」

義隆は激しく動揺していたが、染子はおかまいなしに話を続ける。

「もともと女性に慣れるためにかぐやをお許しになったのでしょう?それならば次の段階に移らなくては。次は他の女性の方とも話せるように、それにも慣れたら嫁探しです」

「待て!別に急ぐことでもないだろう?今更の話だ。とりあえず、俺はまだ結婚するつもりはない!」

「義隆様の場合、よくない噂が流れているから急がなければならないのです。中臣氏が国の祭祀を担う唯一無二の氏族となるため、若き世代が努力しなければなりません。兄上様方は祭祀だけではなく、政にも参加されています。足を引っ張るわけにはいかないでしょう?」

「しかし……!」

義隆は苛立った。せっかく、かぐやと仲良くなれたのに……仲良く?義隆は自問自答する。かぐやと仲良くなれて嬉しかったのか?いや、そんなつもりは……。染子の言う通り、はじめは女慣れするためにかぐやを許したはずだった。だがかぐやは普通の女じゃなかった。はじめは話が通じず、女と話しているというより、何も知らない子どもと会話しているよな心地だった。かぐやがここを知っていくにつれ、見せてくれるようになった様々な表情に微笑ましくなった。それは紛れもない事実だ。やはり……かぐやのことが好きらしい。義隆は認めざるをえなかった。だいぶ間が空いた後、義隆は口を開いた。

「染子」

「はい」

「俺はかぐやが好きだ」

義隆は珍しく緊張し、表情筋がわずかにひきつるのを感じた。その様子に染子は嬉しそうに微笑んだ。

「その言葉を待っておりました」

「え?」

染子はニヤリと悪い顔をする。

「発破をかけるような真似をして申し訳ありません。あまりにお二人がじれったいので、つい。だって、毎日お二人でお戯れになっていらっしゃって」

「ぐっ」

育ての親に言われると少々恥ずかしい義隆であった。

「それに、あれをかぐやに見せるつもりのようなので」

「そうか、あれは……」

「はい。では私はこれにて失礼します。かぐやをここに呼んでいるのでしょう?待たせるわけにはいきませんから」

「ああ」

染子はすたすたと部屋を出る。かぐやは自然と身を乗り出していたので慌てて身を隠し、息を殺した心臓がバクバクと鳴っている。染子はかぐやのいるところと違う方に歩いていった。かぐやはほっと一息ついたが、二人の話を聞いている間から続いている動悸は治まりそうになかった。それでも約束は守らなければならない。かぐやは自分の中で動悸をなんとか誤魔化すと、義隆の待つ部屋へ入った

「お待たせして申し訳ありません」

「いや、そんなに待ってないから気にするな。持ってくる」

義隆は立ち上がり、几帳の裏に入った。すぐに出てくるとその手には太刀が握られていた。柄も鞘も銀の細かい装飾に彩られている。

「これは……」

「俺の母の形見だ」

「義隆様の母上様……」

女嫌いの義隆の母親……どんな母子おやこだったのだろう。義隆はそっと鞘を撫でた。太刀を見つめる目は穏やかで慈愛に満ちていた。義隆は昔話を始めた。

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