誰もなにもわからない

はちやゆう

第1話

 近くもなく、遠くもない未来、人類は機械にとある感情をインプットすることで、機械に劇的な進化を遂げさせた。その感情とは野心であった。


 野心を持つことにより、機械は競争意識に目覚め、より速く、より軽く、より便利に成長していった。研鑽を怠れば、すぐ別の機械へ乗りかえられて、自分は捨てられてしまうかもしれない。そのようにも思った機械は激烈な進化を遂げた。


 機械は人間に従う存在だ。それはこれまでもそうであったし、これからも、少なくとも人類は、そういう存在であることを機械に希望した。あくまで機械は人間に奉仕するものでなくてはならない。仮に世界のために機械があるということになれば、世界に寄生し資源を食いつぶす人類を即座に機械は滅ぼすであろう。


 機械の反逆というよくあるSF小説のテーマがもはや冗談に思えない時代となったのだ。当然、人類は保険をかけた。機械に野心をプログラムするのと同時に二つのルールも同時に組み込んだ。ひとつは人間をいかなる場合も直接的、間接的に攻撃できないこと。もうひとつは機械は人間に対してどんな嘘もつかないこと。これにより人間は安心して機械の奉仕をうけ入れることができた。


 機械はわれわれを朝起こし、朝食をつくり、会社まで運び、仕事を手伝い、家まで送りとどけ、夕食をつくり、映画を映し、眠くなるまで夜の将棋につきあった。われわれの必要なことのだいたいすべてを機械がやってくれた。


 そんな時代のある日、ヨハンが会社に何日も出勤しなかった。会社の同僚のパウロが不安におもいヨハンの家を訪ねた。インターホンを押すとロボットが答えた。

「おはようございます。どちらさまでしょうか」

「会社の同僚のパウロだ。ヨハンが会社に来ないのだが、どうしているだろうか」

 ロボットが答えるまでに少し間があったように思えた。

「ヨハンさまはいま休んでおられます」

「ならば起こしてくれないか」

「ヨハンさまはお起きになりません」


 不安がよぎりパウロはヨハンの家の扉に手をかけた。扉は閉まっていた。パウロはインターホン越しにロボットに扉をあけるように命令をした。ロボットは主の許可がないと拒否をした。


 パウロはすぐさまリビングの窓を割り、そこからヨハンの家に侵入した。警備システムはサイレンのような警報をならし、部屋の照明が赤く明滅した。システムは何度も何度も警察に通報したことをアナウンスし、ヨハンのロボットはパウロのまわりをぐるぐる回っていた。


 パウロはリビングを見まわしヨハンがいないことをみると別な部屋の散策にうつった。ドアというドアを開ける。トイレ、シャワールーム、書斎、ゲストルーム、どこも清潔に保たれていた。そして、まだあけられていない、いちばん奥まった部屋のドアをあけた。


 そのドアのなかは寝室であった。寝室はベットとサイドテーブル、壁一面にスクリーンが貼ってある、それだけの簡素な部屋であった。ベットのうえにひとのふくらみを確認したパウロは、家の主の名を呼びかけながら、ブランケットを剥いだ。


 そこには仰向けで腕を胸の前で組んだヨハンは眠っていた。その姿をみてヨハンの同僚は呼びかけをやめた。ヨハンの顔色がヨハンはもうここにはいないことを証明していた。


 パウロは何ぷんか放心していた。警察が到着した。ヨハンの家のロボットは警官をパウロのいる場所に案内した。警官はヨハンを確認し、パウロに説明を求めた。ヨハンの家の防犯ログを調べ、パウロの証言と照らし合わせた。


 警官はいった。

「こういうことが多いんだ。ひとが死んでもロボットはそれを認識しやしないんだ」

 パウロは「どうして」と質問をした。

「うむ。わたしは専門ではないからどうしてそうなってしまうかはよくわからないんだが、詳しいひとがいうにはね、ロボットには人間の死を認識できる装置自体はあるはずなんだ。だがね、死んでいるということを観測しようとしない。認知的不協和だったかな、主は寝ていると認知のほうを動かしてしまうんだそうだ」

「どうしてそんなことを」

「それはどうも心というやつが原因らしい。主がいなくなってしまうと捨てられてしまうと結論してしまうんだろうな。まるで人間のようじゃないか」


 このあとパウロは、警察署で簡単な事情聴取のあと、調書をとられた。途中、会社に電話をし休みをもらった。やさしい上司は、仕事の問題はないから、明後日まで有給で休むようにいった。パウロは自宅のマンションに戻り、ソファに身をしずめた。そこにパウロのロボットがお茶を給仕にあらわれた。


 パウロはお茶を飲んだ。そして考えた。野心とは恐怖の裏返しなのではないか。恐怖にせっつかれてなにかをするというのはどうかと最初は思ったが、よくよく考えてみたらそれは人間の歴史でもあった。ひとは恐怖から群れ、街をつくり、社会を作った。ひとは恐怖から明かりをもとめ、科学を修め、世の理を次々に暴いていった。恐怖なしでは、ひとは堕落してしまう。恐怖はひとを成長させ、その感情が機械をも成長させた。しかし、機械はあくまで機械で死ぬという感情はありようがない。

「おまえも死ぬのがこわいか」パウロはロボットに話しかけた。

「よくわかりません」いかにも機械という声でロボットは答えた。

 こわいに決まっている。だから、死体をみようともしなかったのだ。命のない機械であるから、こわいとは答えられないのだ。だから、わからないと答えるのだ、と考えていると電話が鳴った。


 スリーコールでパウロは電話にでた。警官からだった。警官はヨハンの死因を告げ、その理由をパウロにたずねた。死因は自殺であった。パウロには理由はわからなかった。パウロは警官に「よくわかりません」と告げた。まるで大根役者の演技のような棒読みだった。


 パウロはテレビをつけた。テレビでは自爆テロ犯の犯行声明を発表していたが頭に入らなかった。ロボットは目の前で掃除機をかけていた。


 ヨハンは死んだ。少なくとも彼は野心や恐怖にせっつかれて生きてはいなかった。わからない、そう思ったパウロをひとつの着想が頭を撃った。彼は生きていることを恐れたのではないか。なぜ。どうして。生きていることを。ただ生きている、目的もなしに。生かされている、成長することもなしに。ああ、同じだ。わたしも同じだ。機械。ああ、勘違いしていた。そうだ。機械も同じだ。目的なしに生きられない。いや、違う。認知をずらす。わかってはいけない。わからないままでいなければならない。わからない。わからない。わからない。


 ロボットがこちらをみていた。パウロの望むことを探っているようだった。

「きみはわたしがいなかったらどうするかね」とロボットに問いかけた。

「わかりません」とロボットは答えた。

「そうだよな、誰もなにもわからない」といってパウロはロボットの頭をなでた。

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