つまらないこの世界の正体

 後悔してからじゃ遅い。

 瞳のお腹の子供の相手が俺だとわかり、悶々とする気分で学校に行き、下校した際に親に言われた言葉だ。


 多分、その言葉はどこまでも正しい。

 時間が巻き戻ることはない。

 それはこの世の真理であり、自然の摂理なんだ。


 瞳を失ったとわかり、涙したあの夜。憔悴しきったあの日。


 俺はただ後悔をしていた。時間が戻ればいい。戻って欲しい。そう願っても変わらなかったあの日に、絶望だってした。


 後悔してからじゃ遅い。


 本当に、その通りだと思った。




 急ピッチで作業を行い、無事予定通りの設営も済んで、文化祭がその日決行された。

 開会式を行い、各クラスの出し物が、教室で随時開始されることとなった。執行委員の俺や澪ちゃんは、相変わらずクラスの出し物には混じらず、執行委員として広報や出し物での風紀を見回ることになっていた。


「なんとか間に合ったわね」


「そうだね」


 そんなことを言いながら、俺達は校門に建てられた色とりどりに塗られた看板の写真を撮影していた。

 いつか、文化祭執行委員である澪ちゃんが下校時間を過ぎてまで作業していた逸品だ。


「澪ちゃんが塗ってたの、あの辺?」


「あら、よくわかったわね」


「突貫工事の大部分と違って、あの辺は塗りが細かいから」


「アハハ」


 澪ちゃんは笑っていた。


「……今回は驚いた。まさかあなたのおかげで、文化祭の仕事が軌道修正されるだなんて」


「そうだね。俺もあそこまで上手くことが運ぶとは思ってなかった」


「何かあったのね?」


「……うん」


 ……そういえば、彼女にキチンと、俺の気持ちを伝えていなかった。

 あんなにお世話になっておいて、失礼なことをしたなと今更思った。


「……瞳と話したんだ」


「何を?」


「君のことが好きだって」


「……そう」


「……ごめん」


「謝る必要なんて、ない。元から無謀な挑戦だったしね」


 そういう澪ちゃんの声は、どこか朗らかだった。だけど、俺には空元気に見えた。


「そう。じゃあ、お腹の子は?」


「……それは、堕ろしたいとは言った」


「瞳は納得していないのね」


「うん。でも、不思議と前みたいに悩むことはなくなった」


「どうして?」


「多分……決断したから。前までの俺は、決断だって碌に出来る男じゃなかった。


 だけど、誰かのおかげで、決断することは時に痛いことなんだって知って、覚悟を決めて、決断することが出来たんだ」


 そう言って、喧騒とする校舎を背に、俺は澪ちゃんに向き直り、頭を下げた。


「ありがとう」


「……別にいいわよ」


 頭を上げず、俺は澪ちゃんの次の言葉を待った。


「まあ、少しだけ良かったわ」


「え?」


「あなたが救われたのなら。どんな結末になっても、今のあなたなら受け入れられそうね」


「……うん」


「……ねえ、志村君?」


「ん?」


「今のあなたには、どう見える?」


 何かがわからず、俺は黙った。


「あなたのおかげで成功に向かおうとするこの学園祭は……今のあなたにはどう見える?」


 頭を上げて彼女を見れば、澪ちゃんは儚げに微笑んでいた。


 この学園祭が、今の俺にはどう見える、か。


 喧騒とする教室。クラスメイト。

 

 前までなら、鬱陶しいと思ったこの光景。

 果たして今、俺はこの光景をどう思い、どう見えているのだろう。


 昔なら、それこそ斜に構えて、お気楽な奴らだとでも内心でなじったのかもしれない。

 瞳のいなくなったこの世界を、無意味と思ったかもしれない。


 いや少なくとも、まだ俺はこの世界を、瞳のいなくなったこの学校を、かけがえのないものだと思ったことはない。




 久しぶりに悶々とした気持ちで、学園祭の時間を過ごしていた。

 最後の学園祭、瞳のいない最初で最後の学園祭。

 それは、幾分か楽しむことが出来た。


 だけど、澪ちゃんの問いに対する答えには見えなかった。


 そうして、ついに閉会式がやってきた。


『それでは、第〇回文化祭閉会式を始めます』


 名残惜しそうにまだ浮かれる周囲を、持ち場である二階から見下ろしていた。皆、とても楽しそうに見えた。

 ここから、文化祭を楽しんでいたんだなと言うことがわかった。


 まもなく、クラスの出し物の順位発表が始まろうとしていた。

 周囲の湧き方が一層増す中、俺は打ち合わせ通りに、執行委員長にスポットライトを向けて、そして目にした。




 俺が文化祭で遺した結果を。




 彼女とかけがえのない時間を作りたいと思った。

 だけど、その気持ちの本質は多分、俺は自分のことをつまらない人間だと思っていたからだということに気が付かされた。


 俺がすることなすことが、俺の心を打つことはない。


 俺の心を打つものは、瞳のする何かだった。

 そう思っていた。




 だけど今、檀上後方に装飾された俺の決断した証を見た時。




 俺はようやく、その気持ちの本質に気付かされた。


 俺のすることなすことが、つまらなかったわけじゃない。無価値と思ったわけじゃない。




 決断しない俺の行動が、俺には輝かしく見えなかったのだ。




 俺は事なかれ主義の男だった。それでいて、後悔をよくする男だった。


 彼女の妊娠を知り、憔悴するほどの大きな後悔をした。

 曖昧な態度を繰り返した結果、彼女の暴走を招き、子が成された。


 まだ小さかったあの日、彼女を泣き止ますことが出来なかった。

 

 強かな彼女の陰で、決断出来ない自分のことが嫌いだった。嫌いにも関わらず、何度も同じ後悔を繰り返す自分のことがもっと嫌いになった。




 ……そんな自分が成す世界が、嫌いだった。




 彼女がいないと、俺の世界は俺にとって辛いものになると思っていたんだ。つまらない世界になると思っていたんだ。

 だから、彼女に再び学校に戻ってきてほしかったんだ。俺が身を置くこの世界に、戻ってきてほしかったんだ。


 かけがえのない思い出を作りたいと言う言葉の裏で、決断出来ない自分一人ではそんな思い出の一つも満足に作れないと思っていたんだ。




 ……違った。


 俺にも、俺一人でも。




 決断することが出来れば、世界は如何様にも変わっていくんだと知った。




 勇気を振り絞れば、素晴らしい世界になるんだと知った。






 彼女との思い出は、一度きりの思い出は……果たして、この学校でしか築けないのだろうか?

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