彼女の想い
「ケンちゃん。ケンちゃんの気持ちは、よくわかった」
しばらくして、瞳は静かに話し始めた。俺の気持ちはわかっている、と。
「でも……あたしはやっぱり、この子を産みたいかな」
「……うん」
「ごめん。ごめんね?」
俺は何も言えなかった。
薄々そう言われるのは、わかっていたから。
彼女は、俺がいなくても選択できる……進んでいける人だった。俺とは違い、自分で決断して進んでいける人だった。
そんな彼女のことが羨ましいと思ったこともあった。だから、俺も彼女のように決断しようと思って、悩んで、自分の気持ちを理解して、再び悩んで……ようやく彼女に自分の気持ちを切り出せたんだ。
「どうして?」
「え?」
瞳は驚いた顔をしていた。
俺が彼女の気持ちを聞かず、癇癪を起こしたように自分の意思を伝え続けると思っていたのかもしれない。
「後ろめたい気持ちから、その子を産みたいって思ったわけじゃないんだろ?」
責任は、俺も取ると言った。
それなのに、彼女の意思は変わらなかった。
彼女は多分、罪悪感からお腹の子を産みたいと言っているわけではない。
俺の言葉を聞いた今でもそう言うということは、つまりそういうことだ。
「独りよがりの感情になりたくないんだ」
その子を堕ろすという選択肢が正しいと思っていたわけではない。
でも俺は、彼女とより楽しい、かけがえのない記憶を紡ぐために、そうしたいと思ったのだ。大人になることで、子供である今よりも出来ることは限られてくるだろう。子供の内しか、出来ないことがあるんだ。
……彼女も同じ気持ちなのではないかと思っていた。
彼女も……俺と同じく、俺ともっとかけがえのない記憶を紡いでいきたいと思っていると思っていた。
そういう体験を共有して、想いを深めていくのが、人を愛することだと思っていた。
だから、俺は今それが正しいと思っているが、彼女の言葉次第でその気持ちも変化するかもしれないと思っていた。
だから、独りよがりの感情になりたくなかった。
彼女の言葉を聞いて、もし気持ちが変化するなら、それでも良いと思っていた。
二人で話し合い、大切なことを決断出来るのなら、それで良いと思っていた。
「……優しいね、ケンちゃんは」
「優しかない。ここまでずっと、自分の気持ち一つ出すだけでどれだけ時間をかけてしまったんだって話なんだよ」
「でも……そもそも、ケンちゃんに非があって起きたことじゃないよ」
「……そんなことない」
彼女を暴走させてしまったのは、俺のせい。いつか誰かに、それが理由で俺のせいになるのはおかしいと言われたが、やっぱりどうしても、俺はそう思ってしまうんだ。
「……ケンちゃん、あたしはやっぱりこの子を産みたいの」
「うん」
「最初は……ただの罪悪感からだった。自分勝手に起こした行動の末、作ってしまったこの子への罪悪感から、産まなきゃいけないと思ったの。自立しないといけないと思ったの。それがどれだけ不安なことで、大変なことかもわかっていたけど。大人になるためにもそうしなきゃいけないと思ったの。
この子を育てるために、お父さんもお母さんも、ケンちゃんのお義父さんもお義母さんも、いつもサポートしてくれると言ってくれる。だけど、それでも自分で何とかしないといけないと思ってた。
だって、最終的に行動を起こしたのはあたしだから。あたしは大人にならないといけないから。だから、お金を工面するためにも動画配信を始めて。
そして、そうしてこの子と向き合う時間をそろそろ一月過ごすことになるの」
そんなにも彼女が悩んでいたとは知らなかった。
彼女はいつも、俺と会う時は笑っていた。清々しい笑顔で笑っていた。そんな悩み、おくびにも出さないように笑っていた。
「辛い時間もあった。体調面でも、精神面でも。そんな中でもこの子のためにって考える日々は、正直結構辛かった。投げだしたいとも思った。どうしてあんな軽はずみな行動をしたんだって、その度に後悔もした。
……でも。
でもね、この子はあたしとケンちゃんの子供なの」
瞳は嗚咽交じりに泣き始めた。
「殺したくない。この子と一緒に過ごしたい。責任感とか罪悪感からじゃない。辛い時間を送って、一番に思ったのは、この子への愛しさなの。
まだ顔も見たことないのにね。
ケンちゃんとの証であるこの子のこと、あたしもう愛しているの。
愛したこの子と会いたいの。
一緒にたくさん、出来るならケンちゃんと三人で、たくさん。色んな思い出を作りたいの」
だから、彼女は子供を産みたいと願う。
かけがえのない時間を、俺とお腹の子と過ごすために、その子を産みたいと望んでいる。
その気持ちは、理解出来なくなかった。
……だけど。
俺はやっぱり、瞳とのかけがえのない思い出を作っていきたい。今しか出来ない思い出を築いていきたい。
……平行線なのだろう、今のままでは。
「時間はどれくらいあるだろうか」
彼女を抱きしめる腕に力が入った。
言いながら、時間があまりないことはわかっていた。
「俺、君を納得させられるように。もしくは納得出来るように、もっと色々考える。……だから、もう少し時間をくれよ」
「うん」
こうなるのではないかと言うのは、薄々わかっていたんだ。
彼女は、強い人だから。
だから、そんな強い彼女を納得させられるように、俺はもっと彼女と向き合わなければならないのだろう。
かけがえのない思い出を築いていくために。
瞳のために。
彼女のお腹の中の、子供のために。
そうしないといけないのだろう。
それが責任を取る、ということなのだろう。
ようやくスタートラインに立った気がした。
彼女に自分の想いを伝えて、それに納得はしてもらえなかったが……ずっと黙っていたこの前よりは、一人で悶々としていたあの時よりは、前に進めた気がした。
胸の奥に引っかかっていたしこりが、ようやく取れた気がした。
それが自分の成長の証なのだろうと思うと、それも少しだけ嬉しく思えた。
だから、俺はまた悩もうと思えた。
悩み、決断し、そして未来を生きようと思えた。
よりよい未来を築くために、そうしようと思えたんだ。
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