君が好き。

 小学校の頃、熱を出して学校を休んだ日があった。

 気分が悪い中、様子を見るためにパートを休んだ母と一緒に、リビングで冷えピタを額に付けてテレビを見ていた。平日の昼、日頃見ることのない昼のワイドショーは、子供ながらに非日常な時間を味わっているようで、新鮮さを感じることが出来た。


 あの日は確か、まだ小学生だった瞳が泣きながら俺の家に見舞いに来たんだった。様子は大丈夫かと口うるさく聞かれ、子供ながらに呆れつつ、誰かに心配されていることが少しだけ嬉しくて、翌日への快復を明言しつつ、俺はゆっくりと眠りについた。

 翌日、瞳が学校に来ることはなかった。どうやら俺の風邪が移ったそうだ。その日の学校での一日は、瞳がいない一日は、俺に二日続けての非日常感を与えたが……気持ちが休まることはまるでなかった。


 彼女のことがただ心配であった。彼女はあの頃から突拍子もなかったから、彼女の危うげな行動を傍で見させられる度に、俺は不安を抱えさせられたんだ。

 ただ心配だったのと同じくらい、俺は彼女のいない世界に寂しさを覚えていた。

 



 あれから数年経っても、どうやら俺の気持ちは変わっていなかったらしい。


 数年経ち、未だ瞳との関係は変わっていない。それどころか、かつてよりも深い仲になった気がする。当時からそれくらい、お互いのことを大切に思っていたのに、好意を自覚していなかったなんて言い訳は、やはり通じなかったんだと思った。

 彼女を暴走させてしまった俺の罪は、やはり重いのだろう。


 だけど、今はもうそんなことどうでも良かった。


 罪だなんてそんなこと、どうでも良い。


 ただ俺は、彼女に自分の意思を伝えたかった。

 共感してくれるのか。理解してくれるのかはわからない。だけど、俺は自分の意思を伝えたかった。


 それがどうしてかだなんて、そんなの言うまでもない。


 俺は……。




 俺は、瞳が好きなんだ。




 インターフォンを押すと、瞳の母が俺を出迎えてくれた。


「ケンちゃん、学校じゃないの?」


「瞳は?」


 瞳の母に返事もせず、俺は尋ねた。


「いるわよ。部屋に。どうぞ」


 瞳の母は、俺の顔を見て何かを悟ったのか、何も言わずに俺を家の中に招いてくれた。

 階段を昇っている間は、走ってきたせいか荒れた息を整えているのに必死だった。滝のように流れる汗が、とても不快だった。


 こんな姿を彼女に見せたくないと思ったけど、それ以上に彼女とすぐに会いたかった。


 扉をノックすると、


「はあい」


 彼女の声が部屋から聞こえた。

 

 涙が出そうだった。

 理由はわからない。


 だけど俺は、もう今にも泣きそうで……唇を噛み締めて、必死に堪えながら部屋に入った。


「……あれぇ? ケンちゃん」


 瞳はまた、カメラを回して体操をしていた。安産体操がどうだの、そういえば朝メッセージを送ってきていた。多分、あれがそれなんだろう。


「体の具合は?」


「そんなことよりケンちゃん、学校は?」


「そんなのどうでもいい」


 まるで怒気交じりの声のように、荒げた叫び声を発してしまった。


 瞳の顔に、不安の色が滲んでいた。


「……ごめん。怒りに来たわけじゃない」


「……なら、何をしに?」


「瞳に会いに来た」


「……そう?」


 瞳はカメラを止めて、マスクを取った。

 カメラを止めるために背中を向けた瞳に、俺は迫った。


 真後ろまで迫ったタイミングで、瞳がこちらに振り返った。


「ひゃあっ」


 振り向いた瞬間。俺は決死の表情で瞳の肩を掴んだ。


「……ケンちゃん、怖いよ」


「ごめん」


 驚かしたかったわけではない。

 だけど、怯える瞳の顔は珍しくて、なんだか少し変な気分になりそうだった。


「ごめん。脅したくて来たわけじゃないんだよ」


「……そうなの?」


 瞳は怯えた顔で、俺を上目遣いに覗いていた。


「じゃあ、何をしに?」




「俺の気持ちを伝えに来たんだ」




 そう言ったら、心臓が大きく高鳴った。

 まるで停止する前触れのような高鳴り方に、このまま俺は死ぬのではないかと不安に思った。だけど、今彼女の前で死ねるならそれでもいいじゃないかと思った。




 誰かに言われたことだった。


 最近の俺は、学校でとても辛そうな顔をしていると。


 その人は俺のことを良く知っている人だった。瞳くらいしか知らなそうな俺の癖を、瞳よりも短い付き合いなのに気付いているような人だった。


 そんな人は、俺がどうして学校で今、辛そうな顔をしているのかを多分気付いていた。



 俺は最近、学校が辛かった。

 勉強が大変だとか。受験間近でだとか。


 そういうことでは決してない。


 俺は……。


 俺は、俺は……。




「瞳、君のことが好きだ」




 好いた瞳がいない学校が、いつも一緒にいた瞳がいない学校が。世界が……つまらなかったんだ。寂しくて寂しくて、あの時間が辛かったんだ。




「……んなっ」


 瞳は目を丸めて、顔を真っ赤にしていた。


 ……思えば、俺が彼女への気持ちを伝えたことは、今日が初めてだった気がする。もっと恥ずかしがると思ったけど、気持ちは意外と晴れ晴れとしていた。


「……け、ケンちゃん?」


「何?」


「どれくらい、好き?」


「え?」


「あたしのこと、どれくらい好き?」


 瞳は挑戦的な瞳で、俺を見ていた。


 どれくらい好き、か。


 ……そんなこと、最早言うまでもない。



「この世界で……この世界で、一番好きだ。君がいないと……俺は、寂しくて死んでしまいそうなんだ」


 再び顔を真っ赤にする瞳に、俺はもう我慢が出来なくなっていた。


 頬に冷たい涙が伝った。


 口が震えて、これ以上何かを言える気がしなくなっていた。


 だけど、溢れるこの想いをどうにかして……どうにかして、余すことなくこの人に伝えたかった。


 彼女のことが好きなんだと、それを彼女に伝えたかった。




 涙を流し、嗚咽を漏らしながら……俺は彼女を抱きしめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る