変わり果てた世界に、彼女はもういない。

 悶々とした気持ちで登校し、午前の授業を受けて、気持ちに踏ん切りがつかずに昼休みになった。

 今日もまた答えを見つけられないまま、一日が過ぎていく。

 時間がないとわかっていながら、焦り、後悔、戸惑い。色んな感情渦巻き、思わず具合が悪くなりそうな気分で、一日は過ぎていく。


 能天気に喧騒とする教室の自席、一人窓の外の青空を見て、黄昏ていた。


 しばらくして、教室が喧騒とする理由に気付き、もう昼休みなんだと再確認させられた。


 母お手製のお弁当を鞄から出して、一人になれる場所に行こうと思った。最近は、昼休みに一人でご飯を食べに行くことは珍しくなかった。むしろ、瞳がいなくなってからは日常茶飯事だった。


 最初は瞳のいない光景に違和感を覚えたことだったが……最近では、少しずつそんな世界に馴染み始めていた。それでも時々、彼女のいないこの景色に違和感を覚えることもあった。


 まあ、いいか。

 とにかく昼休みだ。ご飯を食べて、次の授業までどこかで暇を潰そう。そう思った。


「ちょっと、志村君」


「……ん?」


 席から立ち上がり、振り返った先にいたのは、澪ちゃんだった。


「どうかした?」


「それはこっちの台詞。どこ行く気?」


「お昼を食べて、そのままどっかで時間を潰そうかと」


「朝のメッセージの約束、忘れちゃった?」


「え……ああ」


 そういえば、今日は文化祭のクラスの出し物の手伝いをする約束をしていたんだった。


「まったく。忘れていたのね」


「ごめんごめん」


 苦笑して頭を掻いた。

 澪ちゃんの冷たい瞳に耐えられず、席に座りなおして、昼ご飯を食べ始めた。


「さ、やろうか」


 ご飯を食べ終わった頃、全ての机が教室の端に寄せられた。


 見れば、クラスメイト全員が文化祭へ向けての準備のため、貴重な昼休みを潰す気でいるみたいだった。


 クラスの出し物は、演劇だと聞いていた。

 運悪く文化祭執行委員会になってしまい作業風景は見てこれなかったが、どうやら今は、出演者の演技指導に回るチームと、演劇時に使用するセット作りのチームの二班に別れて、準備に明け暮れているらしい。


 日頃クラスの準備に参加しない俺と澪ちゃんは、セット作りのチームに交じることになった。


 こっちのチームは、繊細な作業を要するためか、女子が多かった。甘い空気を纏う空気に、少しだけ居た堪れない気持ちになっていた。


「ほら、そうじゃないわよ、志村君」


 縫物をしながら、俺の作法に文句を言ってきたのは澪ちゃんだった。さすがに彼女は、裁縫だとかそういうのも得意らしく、チームの面子から快く迎えられていた。その点俺は、あまり戦力になっている気がしなかった。むしろ、貴重な戦力である澪ちゃんの手を度々止めて、世話ばかりかけてしまっていた。


 それでも、作業に四苦八苦している時間は嫌いではなかった。多分俺は、こういうチマチマした作業で時間を潰すのが好きなんだろう。


「あー、くそー!」


 ただそんな俺と打って変わって、クラスの面子は苛立ちを隠そうとしていなかった。


 今更ながら思えば、こうして助っ人を頼み、昼休みにさえ作業を進める時点で、準備遅れは相当なところまで来ているのだろう。


 進捗具合がわかっているからこそ、焦っているのだ。

 その点は、さすがにあの文化祭執行委員の連中とは違うと思った。

 だけど、結果が出せなければ同じ穴の狢として扱われるのだろう。そうなるのは、不憫だと思った。


「あーあ、瞳がいればなあ」


 裁縫をする少女の一人が、呟いた。


「……え」


 驚く俺の声に気付いた少女は、自分が口走った言葉に気付き、苦笑していた。


「え、ああ。……聞こえた?」


「うん」


 俺は戸惑いながら頷いていた。


『へー、おもしろいねー。人生好きに生きているって感じ』


 だって今、瞳の存在を望んだ少女は……いつか彼女の動画を見てそんなことを言った人だったから。

 そんな人が今更、瞳の存在を望むことを言うだなんて、思いもしなかった。なんなら、もう瞳のことなんて忘れていると思っていた。


「だって、あの子裁縫とか得意だったじゃない。あんなに大雑把そうなのに」


 そういうことを聞きたいわけではなかった。


「でも、もうあいつは退学寸前だよ?」


「でも、望むものでしょ?」


 少女は首を傾げながら続けた。


「だって、あたし達友達だったんだもの」


 ……友達、だから?

 まだ、瞳のことを友達だと……?




 世界は変わっていっている。

 いつかそう思った。


 瞳のことなんて、皆もう忘れていると思っていた。


 ああ、そうか。


 そうじゃなかったんだ。



 ……彼女は退学になろうとしている。学校を去ろうとしている。学生にとっては世界と呼んでもおかしくない、この学び舎を去ろうとしている。


 だけど、それだけが皆と瞳を繋ぐものではなかったんだ。


 世界は確かに変わろうとしている。

 だけど、学校から去ることだけで皆が彼女のことを忘れるはずがない。




 この世界で……学校で、瞳と遊んだ記憶。学んだ記憶。笑った記憶。それはこの世界が覚えているものではなく、過ごした皆が覚えている記憶。

 そんなかけがえのない記憶、簡単に忘れられるはずがない。


 


「この前、久しぶりに瞳と連絡とったよ」


 誰かが言った。


「へー、元気にしてた?」


「うん。楽しそうだったよ。今度お腹触らせてって言った」


「えー、いいなー」


 楽しそうに、瞳の近況を話していた。




 世界は変わっていく。



 もうまもなく、この学校に彼女の名前はなくなっていく。


 だけど、ここにいる皆が瞳のことを忘れることは多分ない。

 彼女と刻んできたたくさんの記憶が、瞳と皆を繋いでいく。




 そして、それは俺も同じだった。




 この学校で、たくさん瞳と思い出を作ってきた。

 楽しい思い出。

 呆れる思い出。

 悲しい思い出。

 怒る思い出。


 たくさんのたくさんの……かけがえのない思い出を作ってきた。


 一つ一つが今の俺を形成しているものだった。彼女とのこの学校での思い出は、それくらい俺にとって素晴らしいものだった。




 彼女と……。

 瞳と結ばれたい。


 でも子供は、まだ早い。


 ずっとそう思っていた。


 どうしてかはわからなかったが、初めて妊娠の話を聞いたその日から、俺はずっと思ってきた。


 瞳の子供を育てたいと言う言葉を聞いても、彼女の意思の堅さを知っても。


 変わらず俺は……そう思っていた。




 今ようやく、その理由がわかった。


 瞳との思い出を楽しそうに語るクラスメイトを見ながら、俺の中にあるこの学校での瞳との思い出を蘇らせて……。


 ようやく俺は、自分の気持ちを理解した。






 俺は、瞳と一緒にこの学校を卒業したかったんだ。

 この学校で、彼女とまだもっとたくさんの思い出を築きたかったんだ。






 気付けば俺は、教室を飛び出していた。これまで学校をサボったことなんてなかったのに、そのまま学校を飛び出していた。

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