悩みの本質
しばらく無言で、俺達は彼女の家までの帰り道を隣り合って歩いた。途中の住宅街、向こうの家から子供の楽しそうな笑い声が聞こえてきた。微笑ましい声だけど、今は少しだけその声で心がかき乱された。
「……最近のあなた、学校でもずっと辛そうにしていたわよね」
「うん」
「それも……やっぱり、瞳の妊娠のせい?」
「……そうだね」
彼女に対して、俺は何かを選ばなければならない。選ばないことで惨めな思い、自責の念に襲われるなんてこと、もうまっぴらだから。
だから、俺は選ばなければならない。
でも、何を選ばなければならないかは、未だ答えを見出せていなかった。
だから、多分澪ちゃんは俺のそんな悩める姿を見て、辛そうだと言っているのだろう。
「……あなたは、瞳とどうするの?」
「……わからない」
「え?」
澪ちゃんの声は、驚きで溢れていた。
「どうして? あたしを振ったのも、瞳への想いがあるからでしょ?」
「……そう。それは間違いない」
「だったら……」
「でも、俺は……まだ、子供だなんて……そんな簡単に折り合いを付けられない」
驚愕と言った風に、澪ちゃんは目を丸めていた。
「じゃあ、瞳とお付き合いしないの?」
「……それは、嫌だ」
彼女のする質問は、まるで鋭いナイフのように俺の心臓を抉っていた。俺への溢れる想いを持つ彼女を無下にした。そんな後ろめたさから、彼女の質問に答えないわけにもいかない。だけど、彼女の質問は、多分俺が一番触れてほしくない質問だった。
だから、答えるのが辛かった。
自分の邪悪な本心を、他人にひけらかすことが、嫌だった。
我儘勝手な本心を覗かれ、呆れられるのが嫌だった。
多分、彼女が今俺にしている質問は、俺が悩みながら、踏み込んでこなかった質問なのだろうと気付いた。それを選びたいのに、それを選ぶことが最低な行為だとわかっていたから、俺はそこに踏み込むのを躊躇っていたのだ。
言質を取られた以上、俺はもう自分の気持ちに向き合う以外はないのだろう。
本当、自分で自分が嫌になる。
「……志村君。あなたさっき、最近学校で辛い顔をしているのは瞳の妊娠のせいで悩んでいるからって言ったよね」
「うん、そうだね」
「でも、今の話を聞く限り、あなたちゃんと自分の意思を持っているように見えるけど?」
「……え?」
「瞳とは付き合いたい。でも、子供はまだ欲しくない。……あなたを好いた身で言うのは、かなり悔しいけど。つまり、あなたの言い分はそういうことじゃない」
「……うん」
「だとしたら、あなたは瞳の妊娠の件で悩んでなんかない。だって、答えが出ているんだから。答えが出ていることを悩み続けるはずがない」
「……そうかな。答えは出ていても……言うかどうかを悩むことだってあるだろう」
「だから、それは妊娠の件で悩んでいるわけじゃないでしょってことよ。それは、瞳に自分の想いをどう伝えるか悩んでいる、と言うの」
……確かに。
「あなた、本質を見抜いていないだけじゃないの? ううん。多分、それも違う。あなた、敢えて本質をぼかしているの」
「……ぼかしている」
確かに、そうかもしれない。
悩みに悩んだ振りをして、自分はこれだけ悩んだんだ、という逃げ道を用意しているのかもしれない。だとしたら、やっぱり俺は最低な奴だ。
「志村君、あなたは悩みに対する本質を見抜けていないから、瞳に対する想いの伝え方も、彼女へ伝える行為さえも、躊躇っているんじゃないの?」
何も言えなかった。彼女の言う通りな気がして、ならなかった。
「……ねえ、澪ちゃん」
「何?」
「聞きたいことがある」
「何よ、改まって」
「その言い振りだと……君はもしかして、気付いているじゃないの? 俺の悩みの本質とやらに」
「……そうね」
「だったら……」
「教えないわよ。あたしを振っておいて、図々しい」
「うぐ……」
その通りだ。
返す言葉もなく俯いていると、澪ちゃんのため息が聞こえた。
「あなた、自分が大人になった気でもしているんじゃないの?」
「え?」
「大人でも悩む人生の岐路に立つような状況に、大人にならなきゃ、とでも思っているんじゃないの。勘違いしないで。あなたはまだ子供。まだまだ遊びたがりな子供なの。好きと言われれば頬を紅くしてしまうような子供なの。
……もっと、子供になりなさいよ」
「……子供に」
口に出してみたが、彼女の言いたいことはイマイチピンと来なかった。
「これ以上は何も言わない」
「え、そんな殺生な……」
「ふんっ。あたしも嫉妬したら面倒な子供なのよ。残念でした」
澪ちゃんはそう言って、俺の前に躍り出た。
「ここ、あたしの家だから」
彼女の家は、まだ明かりが灯っていた。
「……そう」
「うん。そう」
彼女は、何も言わずに門扉を開けて、庭に入っていった。そのまま真っすぐ進んだ先に、玄関に繋がるであろう扉があった。
「……もし」
「ん?」
「もし、辛い時があったらウチに来なさいな。その時は、思わず惚れちゃうようなおもてなしするから」
「……え」
「あたし、諦めが悪い子供なの。だから、まだまだ諦めない。何なら、今日よりももっとアプローチしてやる。瞳なんて目もくれなくなるくらい、惚れさせてやるんだから」
澪ちゃんは、入り口の扉に手をかけていた状態から、こちらに振り返った。
……微笑んでいた。
澪ちゃんは、優しく、されど寂しそうに、微笑んでいた。
まるで、何か大切なものを無くして、喪失感を覚えながらも平静を装う子供のように……微笑んでいた。
「また明日」
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