決断するということ

 彼女のそれは、告白というやつなのだろうか。

 いや、疑問に抱くにはそれはあまりに明白で、疑問に思うこと自体が彼女に対する冒涜のようで、俺は再び自己嫌悪に陥った。


 好き。


 彼女は俺に、そう言った。

 その言葉の意味は、あの猪突猛進娘が示してくれたから知っていた。だけど、知っていたからと言って慣れているわけでもなく、素直に言えば俺は戸惑った。


 彼女は、冷たい風に抗うように俯き、髪を抑えていた。その姿は俺と同じ十八歳にはとても見えず、どうしてか俺の心臓は、警告を鳴らすように大きく高鳴り、頬が次第に熱くなっていくのがわかった。


 彼女は、言葉の返事を待っているように見えた。




 何も言わず、ただじっと。




 好きという問いに対する答えの種類は、極めて少ない。

 それこそ、今思い悩む一人の少女への答えよりも、相当少ない。

 それに対する答えは、二種類しかありはしない。


 好き、か、嫌い、か。


 彼女は、無言で言っていた。


 その二種類の答えを、今ここで出せ、と。


 どうして今なのかは、わからなかった。

 彼女は、俺と瞳の現状を知らない。だから、俺を哀れみ、支えたいと思ったのかもしれない。


 彼女は、厳しい人だが……強い人だった。

 集団圧に食ってかかって、正論を振りかざせるような、そんな強い人だった。


 周囲は彼女のことを煙たがる。時に、正論は人にとって煙たいものでしかないんだと、それは実は万人が知っている真理だった。


 それでも彼女は、自分が正しいと思ったことを口にする。

 周囲になんと思われようと、そんなこと気にすることなく、口に出来る。


 その強さに……俺は、瞳とはまた別の尊敬にも近い思いを抱いていた。


 だけど、いざこうして彼女に正論で答えを出せ、と言われるのは……少しだけ、胸が痛かった。


 怖かった。

 答えを出すのが、怖かった。どうしようもなく、怖かった。


 色んな展望が脳裏を過った。答えを出した結果、どうなるのかを考えた。


 だけど、どんな答えを出しても……変わらない結末があった。


 それは、澪ちゃんとの関係が変わってしまう、ということだった。

 

 教室での彼女は、唯一俺に声をかけてくれる人だった。

 ショッピングモールでの彼女は、久しぶりに年相応の自分を見出してくれる人だった。


 彼女との関係を、変えたくなかった。


 そんなこと出来ないとわかっているのに、それでも俺は怖くて……何も言えずにいた。




「……また、何も言ってくれないの?」




 そうだ。




 そうだったじゃないか。




 何度も後悔してきた。

 一歩先に待つ選択肢を選ばず、他人に委ねて……その度に俺は後悔してきたじゃないか。何も出来なかった自分を惨めに思い、自責の念に襲われ、変わらない結果に批評家のように傍観を決め込んだ。


 そんな自分に嫌気が差していた。


 なのに……。


 なのに、今俺はまた同じことを繰り返そうとしている。


 俺が選ばなかった結果、一時俺は憔悴するほどの大きな後悔をした。

 俺が選ばなかった結果、彼女の暴走を招き、子が成された。


 俺が選ばなかった結果、あの日、彼女を泣き止ますことが出来なかった。




 もう同じ目に遭いたくないと思ったばかりじゃないか……!


 何度も何度も同じ後悔をして、その度に俺はそう思っていたじゃないか……!


 何も言わないことは楽だけど……何よりも辛いことを知っていたじゃないか!




 俺はどうしたい。


 彼女と、澪ちゃんとどうなりたい。


 彼女は、強い人だった。

 集団圧に食ってかかって、正論を振りかざせるような、そんな強い人だった。


 彼女は厳しい、だけど、優しい。


 そんな彼女ともし未来を歩めば……。


 多分、多分だけど。


 多分それは、とても素晴らしい未来になるんだろうって、そう思った。




 俺は、涙を流していた。




 彼女と未来を歩むことは、多分素晴らしい道が待っている。


 だけど、俺には……。




 俺は……。






 選ぶことは、時に拍子抜けするような些細なことだってことを知っていた。


 だけど、多分目の前に転がる道が、そんな平坦で楽な道であることは滅多にない。




 選ぶことは、痛みを伴うんだと今俺は知った。


 痛くて痛くて……思わず躊躇いそうになるくらい、痛いんだと知った。


 でも、言わないわけにはいかなかった。


 言わないことでどうなるのか。



 俺はもう、それを味わうのはまっぴらだった。




「ごめん」




 涙で謝罪の言葉が上擦った。


「ごめん、ごめん……。ごめん」


 だから、何度も謝った。

 彼女に気持ちを伝えるために……何度も何度も。




「そう」


 彼女の声は、落胆の色に包まれていた。

 胸が締め付けられるように痛かった。


「……瞳?」


 俺は黙って頷いた。こみあげる感情は、もう歯止めが効きそうもなかった。


「志村君、酷い事言うわ」


 途端、彼女の声が冷ややかになった。理由はわかりたくもないのに、わかってしまった。




「あの人は、もうあなたの知っている瞳じゃないの」




 脳裏に浮かんだのは、瞳の微笑みだった。




「瞳はもう、あなたの傍にいないの」




 ……違う。




「瞳はもう……」




「……俺なんだ」




「え?」




「俺なんだ。俺なんだよ……」




 訳が分からないという風に、澪ちゃんは口をパクパクさせていた。

 もう、留まれないところまで来てしまった。


 そう悟った俺は……、




「瞳のお腹の子は、俺の子なんだよっ」




 喉が潰れそうなくらいに掠れた声で、発した。

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