優しい彼

 翌日、月曜日。


 教室は相変わらず喧騒としていた。その教室で、俺は一人ボーっと窓の外を眺めていた。今日は思わず気持ちが晴れるような晴天だったが、どうしてか俺の気分は晴れない。最早最近は、俺の気分が晴れている時間の方が少ないと思いつつ、ぼんやりと時間を送っていた。


 最近俺によく絡んでくる、土曜日に遊んだ少女である澪ちゃんは、今日は俺の傍に近寄ってくることはなかった。朝挨拶をしたが、無視されてしまった。


 だから俺は、今日も気分が晴れることはなかった。

 仲良かった友達と気まずい関係になってしまった。


 そのことで、思わず気落ちしてしまっていたというのが正しいのかもしれない。


 放課後、クラスメイトが出店の準備を快活そうに始める中、俺と澪ちゃんの文化祭執行委員組は教室を後にした。いつもなら澪ちゃんと一緒に執行委員の教室に向かっていたのだが、今日は何故か置いて行かれた。


 執行委員の集まる教室は、文化祭を取りまとめる立場の集団でありながら、どこかお気楽な空気を肌で感じさせた。

 定刻を少し過ぎてから、進捗会議は成された。


「はーい、じゃあいつも通り作業お願いします」


 と思ったが、二年の文化祭執行委員の子は進捗会議をすることなく各員を作業の持ち場に向かうように指示した。


「綾部さん、進捗会議はした方がいいんじゃないかしら」


 委員長に指摘したのは澪ちゃんだった。


「でも、作業の時間がその分減りますよね」


「進捗会議なんてものの数分でしょう?」


「それでも勿体ないです」


 一見すると委員長の言い分にも一理あるように思えたが、毎日する予定だった進捗会議は既に二週間近く実施されていない。

 自分達の仕事の進捗具合が間に合っているのか、遅れているのか。


 最早それをわかっている執行委員は誰もここにいないのではないだろうか。


 そんな状況を共有しないのが正しいはずがない。澪ちゃんの言い分はあまりにも正しかった。


 だけど、執行委員の誰もが会議を嫌がった。作業の時間は、彼らにとって半分お遊びなのだろう。仲間内でワイワイしながら、遊び半分でする作業のために、面倒な会議なんて無くなってしまえ、というのが大半の願いなのだ。


 周囲の同意も得られず、澪ちゃんは一人唇を噛み締めながら持ち場に向かった。彼女は、当日正門の前に建てられる看板作りを担当していた。かく言う俺は、当日の開会式、閉会式の体育館檀上の装飾作り。


 肉体労働多めの仕事だが、騒がしい周囲を他所に、俺は一人でさっさと仕事をこなしていった。進捗具合はここにいる執行委員の連中誰もがわかっていなかったと言ったが、俺は少なくともこの檀上の装飾作りの進捗具合がどうかはわかっている。


 明らかに、遅延している。

 一週間分か、それ以上。


 初めの日から、このチームの怠惰な作業態度は目に余った。大半が解放された体育館で雑談か、時にはバスケを楽しんでいることだってあった。


 チームでの作業は、場所を重ねることで作業効率が落ちるだろうから、と区分分けされることになったが、俺以外の場所の遅延具合はそれはもう酷いありさまだ。最早せっせと仕事する自分が馬鹿らしいと思うくらいに。


「お疲れ様でしたー」


 下校時間になると、何をお疲れしたんだろうと思わされるチームメイトがさっさと下校していった。俺はそいつらに目も暮れず、これから壁に付ける装飾品を片して、体育館を後にした。


 外はすっかり日が暮れていた。


 まったく面倒事この上ないが……意外と俺は、この時間が嫌いではなかった。手を動かす時間は、余計な思考をしなくて済むから、最近立て続けに起こる嫌なことから目を背ける良い機会になっていた。


 とはいえ、このまま時が経つのを待って、というのは出来ない。何せ、今回は時間が解決してくれる問題どころか、時間が進めば進むほど悪化していく問題だったから。


 瞳のお腹の子のことも。

 澪ちゃんとの関係も。


 玄関を出て、しばらく校舎の間を歩いた。俯いて、悩み事を思い出して気落ちしながら歩いていた。


「……ん?」


 微かに絵の具の匂いが漂っていることに俺は気付いた。チームメイトの装飾品を片したため、余計に時間を食ってしまった。もうこの校舎に残っている人はいないだろうという時間。それなのに、絵の具の匂いがしたのだ。


「……あ」


 絵の具の匂いを辿った先には、スマホで手元を明るくしながら作業を続ける澪ちゃんがいた。

 頬に赤色の絵の具が付いていた。


「……げ」


 呆然と立ち尽くしていると、見つかった。


 それにしても、げ、は酷くないだろうか。


「何やっているの」


「関係ないでしょ」


 冷たい言い方だ。

 まあ、彼女がしていることは聞くまでもなかったな。


 俺は制服のジャケットを脱いで、ワイシャツの腕を捲った。


「何しているの?」


「手伝う」


 言葉短く、彼女から筆を借りて、絵の全体像を教えてもらいながら作業に明け暮れた。


「お前ら、何している」


 しばらくそうして、校舎を見回っていた教師に見つかった。


「作業です」


「もう下校時間は過ぎているだろう」


「でも、このままだと遅れそうだったので」


「だったら、間に合うようにやりなさい」


 それが出来たら苦労しないと思いながら、俺は澪ちゃんと先生の成り行きを見守っていた。


「まったく、こんな夜まで……また問題行動する生徒が出たのかと肝を冷やしたぞ」


 ……また、か。


「先生、ごめんなさい。すぐ片づけて帰るので」


「そうしなさい。夜道は危ないから。気を付けて帰るんだぞ」


「はい。さようなら」


 どうにも気分良くなくて、俺は二人の間に割って入り、話をさっさと終わらせた。挨拶しながら頭を下げて、先生を見送った。


 頭を上げると、澪ちゃんが目を丸めて俺を見ていた。


「珍しい」


「何が?」


「まさか、間に割って入ってくるだなんて」


「……そうかな」


 苦笑して、絵の具を片付けて、俺達は帰路に着いた。


 校門にて……。


「じゃあ」


「あ、待ってよ」


 帰ろうとする澪ちゃんを、俺は呼び止めた。


「何?」


「言ってたろ、夜道は危ないって。だから送ってく」


「どういう風の吹き回し?」


 大層怪訝な顔をされた。

 先日は、彼女と散策したことを後ろめたく思ったが……今回ばかりは、さすがに男として、彼女を一人で帰すわけにはいかないと思っていた。


「たまにはいいじゃない」


「そう」


 少しだけ、澪ちゃんは嬉しそうに見えた。


「優しいのね、志村君は」


 彼女の革靴の甲高い足音がアスファルトを鳴らした。

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