ツンとした少女

「どうしたのよ、そんなに汗いっぱい掻いて走るだなんて」


 彼女を起こしてあげたら、一緒にそんなことを澪ちゃんに言われた。


「というか、本当に汗一杯ね」


 苦笑しか出来ずにそうしていると、澪ちゃんは心配そうに俺の顔を覗いた。


「ちょっと待ってて」


 そう言って、澪ちゃんは肩から掛けていたポーチからハンカチを取り出して、それを俺の額に当てた。


「うわっ」


 木綿のハンカチがこそばゆかった。そして、何故だか頬も熱かった。


「ん、もう大丈夫そうね」


 満足げな澪ちゃんの声を聞いて、俺はゆっくりと目を開けた。


「ど、どうも」


「うん」


 澪ちゃんは微笑んで、思い出したように続けた。


「それより、なんでこんなところを全力疾走してたのよ。まるで何かから逃げていたように……。はっ、まさか誘拐に巻き込まれたとか?」


「それはない」


 アワアワする澪ちゃんに、俺は呆れて目を細めながら手を振って答えた。


「ち、違うの?」


「当然」


「そう。良かった」


 ホッと胸を撫でおろす澪ちゃんに、俺は首を傾げた。一体、何をそんなに心配していたのだろう。


「で、結局志村君は何をしていたの?」


「え」


 俺は肩をビクつかせた。まさか、瞳との間に出来た子供を迎えるべく、両親と赤ちゃん本舗に向かおうとしたところを逃げてきた、とは言えまい。

 色々な意味で。


「……誘拐されそうなところを、命からがら逃げだしてきたんだ」


「え、合ってたの?」


「うん。そうだよ」


 澪ちゃんは目を丸めていた。

 しばらくして……、


「嘘でしょ」


「うん」


 俺は渋々頷いた。


「よくわかったね」


「わかるわよ。志村君、嘘つく時目を合わせないじゃない」


「う」


 それは瞳にも度々指摘されるやつだ。

 澪ちゃんとの出会いは高校からだったが、いやはや彼女は人をよく見ているなあ。


 ……そもそも話があまりにも嘘っぽいことに気付いてほしかったが、まあいいか。


「話したくないことなのね」


「うん。ごめん」


「いいわ」


 今度は澪ちゃんが呆れた顔で、俺にため息を吐いた。


「別に、志村君のことなんて興味ないしっ」


 そして、そっぽを向いた。中々忙しい人だ。


「そうだ。志村君、これから暇?」


「暇か暇じゃないかと言えば、暇だね」


「なんでそんなに曖昧な表現をするのよ」


 そういう人間性なもので。

 俺は何も言わずに頭を掻いた。


「まあいいわ。とにかく暇ってことなのね」


「そうだね」


「じゃあ、折角こうして会ったんだし、一緒に買い物に行ってくれない?」


「え?」


 それはまるで、デートの誘いみたいだ。


「ち、違うからっ」


 澪ちゃんも気付いたのか、慌てて頬を染めて続けた。


「勘違いしないでよね。ただあたし、誘拐犯に襲われかけている志村君を匿おうとしているだけだから」


「俺、別に誘拐犯に襲われていないけど?」


「そういう設定にしなさいよ!」


 なんか怒られた。


「……嫌なの?」


「え?」


 今度はシュンとしだした。


「あたしと買い物行くの……そんなに嫌?」


「……あぁと」


 どうやら本気で凹ませてしまったらしい。俺は言葉に詰まった。


「えぇと……嫌ではないかな、別に」


「なら決まりねっ」


「うおぅっ」


 澪ちゃん、中々に策士だな。今の、全部演技かよ。


「ほら、行こうっ」


「うわわっ」


 快活そうに微笑む澪ちゃんに引っ張られながら、俺は路地を歩いて行った。

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