向き合う覚悟

 本当に、彼女は昔から猪突猛進な人だった。考えなしに動いて、失敗して、そんな彼女の失敗に俺は巻き込まれて、苦い思いを何度も味わわされて……。


 いつか、俺は夢を見た。

 まだ小さい頃、幼馴染の彼女が癇癪を起して、放っておくわけにもいかず二人で家出をして、暗くなって、喉が痛くなるくらい泣き叫んだ彼女を宥めることに必死だったあの日のことだ。


『大丈夫、大丈夫だから』


 泣きそうな気持ちを抑えながら、俺はあの時、ひたすらに彼女を励まし続けた。大丈夫なはずがないことは自分でもわかっていた。見ず知らずの土地、自分と同じ年頃の彼女と二人きりな状況が不安でないはずがなかった。


 そんな状況下に置かれて、俺はただ彼女を漠然と励ますことしか出来なかった。


 彼女の手を引き、先導することも。

 そもそも彼女を止めることも。

 彼女を泣き止ますことだって……。


 俺は何も出来なかったんだ。


 あの時から少し大人になって。

 あの時より少し世が定めた善悪を知って。

 あの時よりも彼女への思いを深めて。


 俺は果たして今、彼女に何かをしてあげていることが出来ているだろうか。


『へー、おもしろいねー。人生好きに生きているって感じ』


『文化祭ヒャッハー!』


『子持ちはしょうがないって』


 いつか俺は、クラスメイトのことをただのうのうと生きているだけの連中と内心で罵った。彼らに比べたら俺は随分と高尚なことで悩み、胃を痛めて、苦しんでいる。


 そう思っていたんだ。


 ……だけど。


 俺はただ、自分の苦境に酔っていただけではないのか?


 彼女への好意を理解するのが遅かった。

 彼女に薬を盛られて夜這いされ、挙句妊娠された。

 彼女を泣き止ますことが出来なかった。


 たくさんの後悔をこれまでにしてきた。だけど、これまでたくさんの後悔をしてきた俺は、果たしてその後悔から何かを学べてきただろうか。


 俺のしてきた後悔は、どうしてそうなったのかの答えがあまりにも明白だった。






 俺は、選んでこなかったんだ。


 一歩先にある選択肢を選んでいるつもりで……俺はいつだって自分で選択することをしてこなかったんだ。


 皆が俺をないがしろにして、話を勝手に進めていくのではない。


 ただ俺が自分の気持ちを示さずにいただけなんじゃないのか?


 心配事に悩む振りをして、俺はただ、傍観者にも近い立場で批評家を気取っていただけじゃないのか。




 その点、彼女はどうだ。


 彼女は選んできた。


 正しいかどうかは別として、選び続けてきた。

 時に失敗し、時に誰かを巻き込んで、時に自分も苦しんで。


 それでも彼女は、自分で一歩先の選択肢を選び進んでいく。


 彼女は強かだ。

 俺がそう思ったのは、そういうところなのだろう。


 彼女は強い。

 選んだ結果、どんな結果になろうと、彼女は再び自分の進むべき道を選んでいける。


「瞳」


「何さ、急に改まって」


「……たくさん失敗してきたね」


 それは決して、文句と思って言ったわけではなかった。たくさん失敗してきた。失敗してきたほど、彼女は自分の道を自分で選んできたんだ。

 ただのうのうと後悔してきた俺と違って……臆病者の俺と違って、彼女は強かに道を選んでいけるんだ。


 彼女は、


「うぅぅ……」


 申し訳なさそうに渋い顔をしていた。


「あはははは」


 後ろめたいことをした自覚はあるんだ、やっぱり。猪突猛進に進み、俺を傷つけた自覚はあるんだ。

 お腹に子を宿し、俺を不安がらせた自覚はあるんだ。


『大丈夫、大丈夫だから』


 でも多分、彼女は俺を泣き止ますことが出来ただろう。


 今も昔も俺が出来ないそれを、いとも容易く成しえることだろう。




 素直に、彼女が羨ましいと思ったんだ。


「失敗するのは、怖くないのかい?」


 だから俺は、彼女のようになりたいと思って……そう尋ねた。


「どういうこと?」


「失敗するのって、辛いことばかりだろう。怒られるし。煙たがられるし。……関係だって、変わってしまうかもしれない。

 なのに、どうして失敗するとわかっても進んでいけるんだろうってさ。気になった」


 今日会った時は言い辛かったことなのに、今度はどうしてか素直に尋ねられた。気持ちが少しだけ軽くなったのが影響しているのかもしれない。

 だとしたら、やっぱり彼女のおかげなのだろう。


 ひとしきり尋ねた俺に、


「どうしたの、ケンちゃん。熱でもあるの?」


 瞳は額をくっつけてきた。


 頬が紅く染まった。


「な、ないよ。そんなの」


「そう? やけにしょうもないことを尋ねてくるから」


「なんだとこの野郎」


 こっちはそれを聞きだすだけで結構苦労したのに。


「だって、そんなの決まってるでしょ」


 瞳は、相変わらず当然と言う感じで胸を張った。




「そんなの、ケンちゃんがいるからに決まってるじゃん」




 そう言われ、視界が少しだけ滲んだ。


「ケンちゃんが好きなの。ケンちゃんに喜んで欲しいの。ケンちゃんが欲しいの。そりゃあ、時には盛大に失敗するかもしれないけどさ。自分から動かないと自分の欲した物は手に入らないと思うんだ」


 だから、彼女は選び続けてきた。

 俺のために、選び続けてきた。


 俺と違い、選び続けてきた。


「だけど……ごめんね。今回はさすがに、大失敗だったよね。わかってるんだ。やり方があまりにも汚かったことは。だけど、抑えられなかった。謝っても無駄かもしれないことはわかっているし、一時は後悔だってした。

 だけど、今はもう吹っ切った。断罪されても仕方ないと腹を括った。覚悟が決まったの」


「それは……産む覚悟?」


「そう」


 彼女は頷いて、続けた。


「だってさ、お腹のこの子に罪はないんだもん」


 俺は何も言うことは出来なかった。


「あたしは失敗した。だから選ばないといけないんだろうね。ケンちゃんかこの子か。そうしたら、あたしのせいで出来たこの子を選ばないことはただのエゴだよ」


 何かを言わないといけないと思ったのに、何も言うことは出来なかった。


「ケンちゃん。いつかも言ったけど、だからもしケンちゃんが望まないなら、この子の認知をしなくて良い。これはけじめなの。あたしの失敗に対するけじめなの」


「……っ」


「大丈夫だよ?」


 瞳は微笑んだ。


「あたし、ケンちゃんの遺伝子が手に入れば、それで十分だからっ」


 精一杯の洒落とばかりに、病みの顔を覗かせながら、彼女は微笑んだ。悲しげに微笑んだ。


 選ばないといけないことはわかっていた。


 俺が選ばなかった結果、一時俺は憔悴するほどの大きな後悔をした。

 俺が選ばなかった結果、彼女の暴走を招き、子が成された。


 俺が選ばなかった結果、あの日、彼女を泣き止ますことが出来なかった。


 俺は選ばなければならない。向き合う必要性を知った。


 ……だけど、覚悟が足りなかった。


 俺は再び、何も選ぶことが出来なかった。

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