強かな彼女

 ロングホームルームの時間、最後の文化祭へ向けて騒がしい教室を俯瞰から見ているような錯覚を覚えさせられた。


 どうしてそんなことを思ったのかと言えば、今更ながらこの世界が変わり始めているという事実に直面させられたからなのだろう。では、何故そのことでこんなにも気分が沈むのだろうと考えてみると、答えはどうもわかりそうもなかった。

 だけど、脳裏に何故か浮かぶ少女の笑みを思い出すと、胸が熱くなるような気がしていた。


「ちょっと、志村君」


「んあ?」


 教壇に立つクラス委員長、澪ちゃんから怒られた。凛とした顔で、俺を今にも咎めようとしていた。


「ちゃんとしなさいよ」


「何を言う。俺がちゃんとしていない時があるみたいじゃないか」


「今、何をしていたかわかる?」


「わからない。ごめんなさい」


 素直に頭を下げた。自習の時間でもないのに、話を聞いていなかった俺に完全に非があるよ、これ。


「まったく、あなた最近ずっとそんな感じじゃない」


「どんな感じ?」


「心ここにあらず」


「確かに」


 最近の自分を振り返ると、胃が痛かったり、頭を抱えていたり、黄昏ていたり、斜に構えていたり。

 とにかく、悩んでいる時間が多かった。誰のせいかは明白だ。


「……何よ、バカ」


 澪ちゃんは、怒りながらそっぽを向いた。


「え、何が?」


「っ。うるさい。あなたは黙ってなさい」


 怒られた。そっちから俺に話を振ってきたくせに。


「あのさあ、二人の世界に入らないでもらっていい?」


 澪ちゃんと口論を続けていると、クラスの女子が俺達を茶化すように言った。その少女の顔を見れば、何故だかこちらを見てニヤニヤしていた。


「二人の世界になんて入ってない」


 俺と澪ちゃんだけの世界なんて、そんな場所どこにもないではないか。


「で、何の話をしていたの?」


「文化祭の役割決めだよ」


「ああ」


 そういえば、さっき澪ちゃんから今日のロングホームルームでそんなことをすると聞いていた。


「もう全部の仕事、説明したからね。志村君」


 わざとらしい咳ばらいをして、澪ちゃんが教えてくれた。

 そうか。ボーっとするあまり、そこまで俺は蚊帳の外にいたのか。

 

「一から説明する気、ないから」


「うん。それじゃあ、適当に選んでよ」


 そんなに執着するほど、俺は文化祭を楽しみにしていないしな。なるだけ楽な仕事になれたらいいなあ、それくらいの心持ちだった。


「じゃあ、執行委員ね」


「え」


 よりにもよって、一番面倒臭そうな仕事じゃないか。

 文化祭執行委員は、文化祭までの準備期間、ならびに当日もその多忙さ故に、クラスの活動に加われないことで有名だった。


「あたしと一緒だから、覚悟してなさい」


「うげー」


「うげーは酷いよ……」


 澪ちゃんの最後の声は、小さすぎて俺の耳に届かなかった。


 そうか、澪ちゃんと同じ役職、か。

 というか、執行委員って真っ先に決めそうな役職じゃないか?


 ほうらやっぱり、執行委員を決めた後、澪ちゃんはクラスで実施する催し物の内容と、各員の担当を決め始めた。


 もっと遅く声をかけてくれたらよかったのに。


 そうしたら、面倒な執行委員なんてしなくて済んだかもしれない。いや、適当に決めろ、と言って澪ちゃんの反感を買ったのが間違いだったのか。

 あーあ、馬鹿なことをした。


 後悔をしながら、ふと俺は思った。


 大なり小なり、人って簡単に後悔をするんだなあ、と。


 つい先日、俺は人生の岐路に立ったと思うほどの大きな後悔を味わった。それは結局勘違い……というか、想定外、というか。

 とにかく救われた? わけだが、それくらいの大きな後悔を味わい、後悔しないようになりたいと願っても、何気ない一言で簡単に再び後悔を味わってしまうものなんだな。


 未来へ向けての選択肢は。

 一歩先への選択肢は、たくさん目の前に存在している。正しいと思う選択肢もあれば、間違いだと思う選択肢も存在する。


 ただ、正しいと思って選んだ選択肢が過ちで。間違いだと思って選んだ選択肢が正解ということだってある。


 人は、この先に自分に待ち受ける未来を知ることは出来ない。


 選び、進み、初めてそこで結果を知れる。

 成長することで、そのことがどういう結果を招くかを想像出来るようにもなるだろうが、時にその経験則だって外れる場合もある。


「えぇと、ひいふうみい……」


 黒板に各担当の名前を書いた澪ちゃんが、全員キチンと役割が決まったかを確認し始めた。


「二十八、二十九……あと一人、誰?」


 我がクラスは三十人クラスだった。一人、欠員がいる。

 澪ちゃんはプリプリ怒りながらクラスメイトの方を向いた。


「……あ」


 しかし、何かに気付いたようで、暗い顔で俯いた。


「子持ちはしょうがないって」


 クラスの誰かが言った。笑いながら、茶化すように言うのだった。


 世界は変わっていく。

 数ある選択肢から、瞳が選んだ選択肢は……この平穏だった世界を変える劇薬のような選択肢だった。


 今の彼女に、この世界は生きづらいだろうと思った。


「ごめんなさい」


 澪ちゃんは誰かに謝って、黒板に向き直った。


 彼女は……瞳は、過ちを犯した。

 数ある一歩先の選択肢から、当時の彼女が正解だと思った選択肢は、特大の大外れだったのだ。


 ……彼女は、後悔をするのだろうか?


 いいや、多分後悔はするだろう。いつか、彼女は自分の非をわかっていたから、俺に真実を伝える時、不貞腐れたんだ。


 彼女だって、後悔はする。


 だけど、抱え込むことはあるのだろうか?


 俺は、自分の選択を後悔しっぱなしだ。

 

 どうして彼女を止めることを出来なかったのか。

 どうしてもっと早く彼女への想いに気付けなかったのか。

 

 そんな後悔をしっぱなしだ。後悔して、抱え込んで……胃が痛くてしょうがない。


 そんな俺に対して、彼女はどうなのだろう。

 後悔の象徴である子をその身に宿しているというのに、彼女は俺と会う時はいつだって朗らかだ。


 そして彼女は……その後悔の象徴である子を、産みたいと言った。


 並大抵の覚悟ではないのだろう。

 だけど、そう覚悟出来るほど、どうして彼女は強かに立ち向かっていけるのだろう。


 彼女の強かさを知れれば、この胃の痛みも多少は和らぐのかもしれない。


 そう思った俺は、その日の放課後、瞳の家に足を運んだ。

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