好奇な視線

 瞳の家に訪問した翌日は、真夏同然の外に出るだけで汗が滲むような暑い日だった。

 学校指定のポロシャツで家を出て、駅に着く頃には背中に汗をたくさん掻いていた。


 昨日の一件は、自分の中でまだ折り合いがついていない。最後、彼女は俺に彼女のお腹に宿った子の認知をしなくても良いと言ってくれた。

 その言葉に素直に甘えたい自分がいた。

 だって、どこまで行っても俺は犯罪紛いのことをされた被害者だったから。自分の知らないところで子を成して、突然この子はあなたの子なの、と言われ、戸惑わず、真正面から受け止められる人間がどこにいる。


 胃が痛い。

 

 昨日までは瞳に出来た男の影に、嫉妬し悲しみ、憤ったことだったが、たった一日だけで俺の気持ちはまったく別のものに変えられてしまった。


 でも、多分しょうがないことなのだろう。受け入れるしかないのだろう。


 そう思っている心もいた。

 だって、後悔したって悲しんだって、結果としてもう彼女のお腹の中には新たな命が芽吹いてしまったのだから。


 だから諦めて、彼女と添い遂げる以外の道はないのだろう。

 俺も彼女もまだ十八歳という年齢。未成年という立場だが、未熟者であろうがなんであろうが、これからは一大人、一親という立場で生きていくしかないのだろう。


 正直、幸先に不安しかない。

 親が日々、仕事や家事や家計簿で頭を悩ませている姿を見てきた。いくら彼女が〇tuberを始めたところで、どこまで資金面のやり繰りが出来るかなんてわかったもんじゃない。


 ……やっぱり俺、高校卒業したら働きに出ないとまずいよな。


 不安だ。

 俺と彼女と子供。

 三人養っていくには、一体毎月どれくらいのお金が必要なのだろう。


 親はどこまで頼っていいのだろう。

 彼女の親もどこまで頼っていいのだろう。


 不安だ。

 本当に、不安しかない。


「……ううぅ」


 胃が痛い。本当に痛い。


 こんな気分で学校に通っている人間は、多分日本中に俺しかいないだろう。


 まるで一点の不安もなく暮らししていると言いたげに喧騒とする教室に入るや否や、俺は余計にそう思った。


「おはよう、志村君」


「……ああ、おはよう。澪ちゃん」


 自席に座る直前、クラス委員長の澪ちゃんに声をかけられた。


「志村君……顔色悪いけど、大丈夫?」


 そう言って、澪ちゃんは俺の額に自分の手を当てた。

 顔が熱くなっていくのがわかった。


「あ、その……大丈夫だよ、大丈夫」


「そう? 無理しちゃ駄目だよ?」


「うん」


 彼女はクラスメイトに厳しいと言われている人だった。

 クラス委員長という立場もあってか、このクラスだけでも校則を知らず知らずに破っている人は少なくない。彼女はそういう校則違反者に対して、平等に校則違反を正すように指摘する。正しいことをしているだけの彼女は、甘え切った周囲から見れば規律にうるさい厳しい人に見える、という寸法だ。


 だけど、こうして俺の身を案じる優しい一面もあったりする。

 周囲の人間は見る目がない。俺はいつしか、彼女を煙たく思う連中にそんな哀れみの感想を抱くようになっていた。


 彼女はナイーブな俺に微笑みかけて、自席に戻っていった。

 まあ、彼女の良心は理解していたが、今日の俺は一人放っておいてくれる方が気が楽だった。


 それくらい、俺は今、不安に襲われていたのだ。将来に対して。


「瞳、こんなところで〇tuber始めてたよー」


 そんな中、喧噪とするクラスで、一人の女子がスマホ片手に声を出した。


 夏休みが明けて……瞳が学校に来なくなって、早二週間。


 未だ、妊娠した瞳に対する周囲の好奇の視線。世間話は止む様子がなかった。

 先日までなら聞き流せた内容だったが、昨日の一件もあり、俺は平常心でいることは出来なかった。

 気付けば、意識が瞳の話をする女子の方へ向かい……結果として聞く耳を傾けるような状態になっていた。


「『妊娠二か月に良い安産トレーニング』だって。へえ、瞳妊娠二か月なんだ」


 あいつ、また墓穴掘ってやがる……。


「何々? 瞳、〇tuber始めたの?」


「そうそう。これこれ」


「へー、おもしろいねー。人生好きに生きているって感じ」


「アハハ。それ言えてる。動画だと真面目ぶってるけど、結局やることやってんだもんねー。片手間で動画上げてるんだろうなー。うわ、チャンネル登録者数凄いじゃん。うわー、高校生が妊娠するだけでこうなるんだー」


 内心が煮えくり返っていくのがわかった。

 確かに彼女は、寝込みを襲って快楽に身を任せてゴムをしないような女だが…………。と、とにかく、これから生まれる子供のため、生きるために見世物になる決意を固めたんだ。そんな彼女の決意を馬鹿にする権利が、ただ平凡に生きているお前達にあるのか。

 そう言いたかったが、堪えて言わなかった。


「え、何々。うわー、あいつ〇tuberになったんか。うわー、なんか同級生がそんなことしているって知ると、ちょっとそそられるよな」


 ただ、俺の内心とは裏腹に、瞳の現状を見下すように、動画を見始めた女子に野次馬が集まり始めていた。


「俺、マジで一回お願いしてみればよかったなー」


「わかる。あいつ可愛いしな。俺も一回言ってみればよかった」


「止めろよ。俺お前と穴兄弟になんてなりたかないぞ」


「それは俺もだ。お前が止めろ」


「おい、俺の瞳たんを下衆な目で見るな」





「瞳の話はこれ以上するなっ!!!」




 遂に堪えきれなくなって、俺は机を思い切り叩いて椅子を飛ばして立ち上がった。


 瞳の話題で持ち切りになっていた教室が、シンと静まり返った。


 行動を起こしてから、俺は激しい後悔に襲われた。

 この場でのこの行動は、俺が彼女の相手だと宣言しているようなものではないか。


 生唾を飲み込み、俺は言い訳の言葉を考えた。


「わ、悪かったよ……」


「ん?」


 しかし、どうやら気付いていないらしい。


 ……なんでだ?

 

 ……あ。


 そういえば俺、彼女に別の男が出来て教室で涙を流した哀れな男と思われているんだったわ。


「まあさ、元気出せよ」


「そうだよ。志村君、顔は平凡だし、きっと幸せ掴めるよ」


 何故だか、俺を励ます空気が教室に広がった。

 優しい世界だが、真実が当初の話と変わった今、なんとも気まずい気分を俺は感じざるを得なかった。


 結局しばらく、クラスメイトは瞳の話題を忘れて、俺を励ます言葉を考えることに必死になるのだった。

 だけど……どっちにせよ居た堪れない気持ちになるのは、どうしてだろうか……?

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