雨と脇役

@MARONN1387924

第1話

嫌だ。

辛い。


雨、雨、雨。

カッパを着て、月曜日の深夜、正確に言うなら火曜日の早朝。


俺は黙って家を出た。





俺は普通の学生だ。

公立高校に通って2年目。

このままいけばそこそこの大学に通って、それなりの生活をして、それなりに人生を過ごすつもりだった。


現状に不満はない。


けれど、満足もない。


今までの17年をノリで過ごしてきた自分にはピッタリの人生だ。


このままのノリで生きていくのは簡単だった。


両親は普通の会社員で、兄弟は妹が1人。

従姉妹も1人。

従姉妹は今年から看護の専門学校に通っている。


のほほんとして、天然で、頼りなくて、正直、従姉妹に看病されるくらいなら、病院にいかないと言い切れるほどポンコツだが、それでも一生懸命勉強をしている。


馬鹿な妹は今年高校受験生。毎日勉強……という程でもないが、それなりにはしているのだろう。


高校2年にもなると、そろそろ周りは大学やら、就職やら、将来についての話題も上がる。


ちょっと前まで一緒に遊んでたやつが大学どうするだの、模試が何とかみたいな会話をしている。


随分と環境というのは変わってしまったらしい。


中学の頃の友達とはもう、連絡のひとつも取っていない。


噂に聞くと、バイクの免許を取ったとか、バイトを始めたとか、なんだかもう、大人に感じる。


自分は免許も持ってないし、バイトもしていない。


ポンコツ従姉妹は看護師に、馬鹿な妹は高校生に、友達は社会の一員として。


なんだか、自分だけが置いていかれてしまったようだ。


こいつは出来て、俺は出来ない。

そう思ってしまうのが、本当に嫌だった。




雨で体が濡れて寒い。

カッパを着ていても多少は濡れるし、靴は運動靴なので、水を含んで気持ち悪い。


そんな時、カッパも着ず、制服で随分と濡れて、電灯の下で座り込んだ女の子を見かけた。


人通りも少ない細い路地。

地元の人間しか知らないような、そんな道だ。


気になって近づいて見ても、反応はない。


電灯のあかりに照らされて、白い制服からは下着が透けている。


下はスカートで靴下は素足が見えるほど短く、靴はローファー。

長い髪は下ろして、随分と水を含んで重く垂れている。



「大丈夫?」


思わず声をかけた。


「こんな時間に、珍しいね」


彼女はそう答えた。


顔を上げた彼女の唇は紫色で、寒さで震えているように見えた。


「珍しい……って、君も、どうしてこんな時間に」


なんとなく、隣に座ってみる。


「うーんとね、ちょっと疲れて」


「疲れた」と彼女は答えた。

何に疲れたのか。

ただ、雨は強さをまして降り続ける。


「寒くないの?随分と濡れてるけど」


そう聞くと、彼女は少し笑って答えた。


「寒いよ。けど、雨に濡れたい気分」


くしゅん


彼女はくしゃみを一つした。


「風邪、ひくよ」


そういうと彼女は「そうだね」と答えた。

なんというか、彼女に随分と惹かれてしまう。


「タオル」


そう言って彼女にタオルを渡した。


「今更拭いたって意味ないよ」


彼女はそう言ったけれど、黙って頭にかけてやった。


「すぐ、濡れるね」


彼女はそう言いながらも、頭にかかったタオルで髪や顔を拭いた。


雨はまだ、降っている。

電灯に照らされて、雨の一粒一粒がはっきり見える。


車の通る音、人が歩く音、家から聞こえる音、そんなものはなく、ただ雨の音と、それにかき消されてしまいそうな2人の声だけが、今、自分達がここにいる証明だった。


「随分と疲れてそうだけど」


随分と水を含んだタオルを彼女は持ったまま、こちらの顔を見て言った。


「まあ、疲れたよ。そういう君もだろ?」


そういうと彼女も静かに頷いた。


「ねえ、このまま朝が来なかったらいいのに。そう思わない?」


突然、彼女は言った。


「朝が来て欲しくないの?」

「それはどうかな。でも、きっと君も朝は嫌いそう」


静かに時間は過ぎる。


「今、何時?」


彼女がそう言ったので、スマホを見ると火曜日の午前3時だった。


もう、家を出て2時間ほど経っていた。


「3時」

「そう、もう、3時か。随分と渋っちゃったな」


そういうと彼女は雨でびしょびしょの体を地面に倒した。


「濡れるよ」


そう言うと、彼女は「今更だよね」と笑った。


「君は何時くらいからいるの?」


そういうと彼女は考えたように顔を困らせて見せた。


「そうだなー。1時間くらい?それとも2時間?わからないよ。随分といたようにも思うし、案外そうでも無いかもしれないし」


「よいしょ」

と言って彼女は体を起こした。


「寒いね」


彼女はポツリと言った。

雨の音に消えてしまいそうだったけど、それでもはっきりと聞こえていた。


「寒い」


そう答えると、しばらくの沈黙が流れた。


その間はもちろん、雨の音しか聞こえない。


くしゅん

彼女がその沈黙を破るようにくしゃみを一つ。


「太陽、ほしいね」


彼女が言う。


「太陽?」

「そう、太陽。寒くなってきたし、日が差して来たら暖かくなるし」

「でも、まだ3時だよ」

「あと、3時間したら朝だね」

「長いよ。きっと風邪ひくよ」

「それで学校でもサボれたら、ラッキーだよ。君は?今日は学校じゃないの?それとも、サボっちゃう?」

「そうだな。サボるのもいいけど、エナジードリンクでもキメて、オールで行くよ」

「随分と頑張るんだね」

「頑張っても人並みだよ」


電灯がチカチカと点滅する。

それを2人で見上げた。


「この電灯がなくなったら真っ暗だね」

「うん」

「でも、なんだか君がいるなら、怖くはない。そんな気がするよ」

「暗いのが怖いの?」


そう言うと、彼女は首を振って答えた。


「そうじゃないの。夜はとっても怖いよ。でも、なんだか夜って、無性に外に出たくなる時、あるよね。ずっと夜でいいのに。もう、明日なんて来なくていいのに。今、眠ってしまったら、きっと朝が来てしまう」

「なんとなく分かるよ。現実に引き戻される感覚。真っ暗で、自分だけが世界の中心で。でも、朝になると、自分は世界の中心でもなんでもなくて、ちっぽけに思える。きっと自分はいなくても世界は回るし」

「うん。そう思うと、なんだかとっても嫌になる。もう、現実を見たくないよ」


彼女と笑い合う。

雨の音にも負けないくらいに、笑い声が響く。


「結局、現実逃避じゃん」


そういうと彼女はますます笑う。


「ね。今まで何に悩んでたんだろ。ちょっと落ち込んで、現実逃避してただけなのに、なんだか世界の終末みたいに思えてた。きっと夜が明けるとなんだか、すごい隕石が降って地球滅亡、みたいな」

「なにそれ、厨二病かよ。でも、そうだな。それで俺ら2人だけが最後の人類でさ」

「それこそないよ。私たちなんて、ちっぽけで、そんな、世界の主役にはなれないよ。そんな大役任されても困っちゃう」

「そうだな。そんなの人に任せてしまった方が楽だ」


ひとしきり笑った後に「はぁ」とため息をついた。


「今何時?」


彼女が聞く。


「3時半」


そう答えると「30分かぁ」と彼女は言った。


「朝まで随分と時間があるね」

「このまま朝まで話す?」

「それもいいけど、家に帰ってお風呂に入ろうかな」

「それがいいよ。体、冷えないようにね」

「もう、随分冷えちゃったよ」


彼女はくしゃみを1つした後、身体を震わせた。



「それもそうだな」

「うん。頭も冷えた。スッキリした。なんだか悪いことも雨で流れたみたいな、そんな感じ」

「うん。それなら、また、悪いことがあったら雨に当たりに来る?電灯の下で」

「世界の中心だね」

「この電灯が?」

「うん」

「随分とちっぽけな世界の中心だな」

「私たちくらいにはちょうどいいよ」

「それも、そうだな」


彼女は濡れたタオルをこちらに投げると、立ち上がった。


「それじゃあね」


彼女が歩き始める。


「まって!」


それを引き留めた。


「どうしたの?」

「それがさ、あの……下着見えてるよ。上の」

「……えっち。ずっと見てたって訳?」

「不可抗力というか、なんというか……。だから、はい。」


着ていたカッパを脱いで彼女に渡した。


「風邪ひかないようにね」

「……ありがと。いつ返せばいい?」

「そうだなぁ。また、雨の日にでも」

「そうね。きっと近いうちに会う気がする」


彼女は再び歩き出した。


カッパのフードからは、雨に濡れた長い髪が出ている。


すると彼女が突然振り向いた。


「あと!なんかそういうキザなこと似合わないよ!主人公でもないくせに」


そういうと彼女は走って行ってしまった。




カッパを着ずに雨の日を歩くのは辛い。

随分と冷える。


頭も冷えた。

何に悩んでたんだか、何をそんなに悲観していたのだろうか。

自分は世界の主人公だと勘違いしてしまっていた。


きっと、自分がしなくてはいけないと思っていたことは、他の誰かがしてくれる。


それこそ、ずっと自分よりもかっこいい主人公が。


主人公じゃないなら、せめて脇役くらいは、エキストラくらいは、演じてやってもいいなと思った。

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