プロローグ 幸せは奪われ消える その三

…………んっ。


「しばらくは――」


 …………こ、え?


「ですので――」


 …………だ、れの?

 ……きいたことの、ないこえがきこえる……。


「分かりました」


 ……ああ、おじいちゃんの、こえがする。


「ああ……夏目。どうして、こんなことに……」


 おじいちゃん……。声が震えてる。どうして……?


 ぼやけていた視界がゆっくり鮮明になっていくのが分かる。

 見覚えなのない天井に近くで一定の音も聞こえる。だけど、首も身体も動かせない。


「お、おじい……ちゃん……」


 ようやく声を絞り、おじいちゃんを呼ぶ。掠れ小さな声だったけどおじいちゃんはすぐに気づいてくれた。


「夏目! ああ……! 良かった! 本当に良かった! もう、目を覚まさなかったらと思うとっ……。わ、わしはっ……」


 大粒の涙を流し、僕の右手を握りしめ何度もその手を擦る。

 おじいちゃんが落ち着き、ここが病院で僕は交通事故に遭ったのだと教えてくれた。全身、打撲や擦り傷、骨折があり一時期は本当に危なかったとも。


 意識を取り戻してから一週間後。

 おじいちゃんと主治医の先生から、左腕と右脚は特に酷いらしく傷跡が残り杖なしでは歩くのも苦労するだろうと。左腕にはほとんど力が入らず、先生が片腕でも支えられるロフストランドクラッチと呼ばれる杖を用意してくれる。


 腕に装着して使用する片手用の杖だ。

 その後、警察がきて僕に事情聴取をする。

 あの日、何故あそこにいたのか、何が起きて車に轢かれたのか、全身の怪我はなんなのか、根掘り葉掘り訊いてくる。


「あの日、君が高校生の男女二人組と一緒だったという目撃情報もあったけど、それは本当かな?」

「当人たちは何と言ってましたか?」


 スーツ姿の男二人の刑事。一人は僕にあれやこれやと訊いてくる橋本と名乗り、もう一人は市来と警察手帳を見せて。


「当人たちは、亡くなったお姉さんの弟だと知り途中まで一緒にいたと言っていたよ。君から会いにきたとも」

「そうですね。僕から会いに行きました」


「それはどうしてかな? お姉さんの死に何か関係があるとか? 在学中に自宅で自殺、それに何かしら彼ら二人が関係していると思ったのかな? 君のこと少し調べさせてもらったけど、大磨秋乃さんの弟だったんだね。私も親として、刑事として色々探ってはみたけど虐めの事実はない。そう結論が出たはずだよ」


 その言葉に、顔を俯けシーツを握りしめる。

 ああ、そうか。それで、警察は動かなかったのか……! 父さんが怒鳴りながら、あの刑事は何も見えていない! って怒っていたのが今になってようやく理解した。

 父さんの言う通り、こいつは何も見えてなんかいない!


 僕のことを調べて、姉さんの弟だと分ってそれで虐めの事実はないと断言した……!

 こいつは、僕があの二人に会いに行った理由が姉さんの虐めが関係してると思ったのか。確かにそれが理由だ。


 確かめたくて、でも事実はないのだから姉さんの死はただの自殺だから受け止めろ、とそう言われてるように聞こえて涙が溢れる。

 何もできくて、悔しくて、家族を失って、こんな目に遭って、苦しい思いも、辛い思いも、痛い思いもして……。


「……姉さんのことが知りたくて会いに行ったのは確かです。でも、ただそれだけです」


 もういい……。こんな無能な警察なんかに頼るもんか。何もしてくれず、事実はない、と疑いもせずただの自殺として処理するこいつらなんかに……!


「神社には何をしに行ったのかな?」

「ただのお参りです。もういいですか? 休みたいんですが」

「ああ、そうだね。これ以上は身体に障る。お大事に」


 そう言い残し、病室を出ていく。


「大丈夫か? 少し横になって休み夏目。何か飲み物、買ってくるから夏目はゆっくりするとええからな」

「ありがとう、おじいちゃん。お茶が飲みたい」

「そうか。緑茶でええか?」

「うん」


 おじいちゃんの手を借りて、ベッドに横になる。

 一人になった病室で考える。どうやって彼らに罪を償わせるかを。誰一人として、許すつもりはない。必ず全員、復讐してやる。

 そう僕の中で静かに決意が生まれた。




 おじいちゃんに助けられながら過ごし、あれから三年が過ぎた。歳もありおじいちゃんは永眠。身内のみで葬儀が行われ、遺書にはおじいちゃんの全財産を僕に存続させると。僕充てには手紙が。


「『わしの全部、夏目に譲るから好きに使いなさい。ずっとそばにいられず、すまないな夏目。もっと助けてやりたかったが、わしももう歳であまりしてやれることが少なくて。夏目、わしの可愛い孫。昔のように笑えずともええ。だから、どうか元気で健康でいておくれ』祖父より」


 おじいちゃん……。ありがとう。ずっと、支えてくれて。おじいちゃんが、支えてくれたからリハビリ頑張ったんだよ、僕。


 左腕は今も力が入らないが、それでも右腕だけでもなんとか生活できるようになって、苦労することも多いし、料理とか掃除とか時間かかって大変。でも、大丈夫だ。


「僕は大丈夫。一人じゃないから。心配しないで」


 そう、僕は一人じゃない。

 おじいちゃんの遺品を整理してる時に見つけたある一冊の本とその本の翻訳本。たぶん、おじいちゃんが翻訳してそれを書き溜めたんだろう。

 そして、これがあるから僕の長年の目的を果たせる。


 《ゴエティア》

 内容は、ソロモン王が使役したという七二人の悪魔を呼び出し、様々な願望を叶える手順を記したもの。そのための必要な魔法陣、印書のデザインと制作法、必要な呪文など。


 おじいちゃんは、元考古学者で若い頃は各地を巡り古い文献やこういう悪魔の本なんかを調べていたって聞いたことがある。


 まさか、本物の魔導書と自分で翻訳したノートが出てくるとは思ってもいなかったが。自慢気に、すごく大切な書の管理権を高額で買ったとかなんとか。その当時は何を言ってるのか分からなかった。だが今なら分かる。


「ふっー。始めようか」


 おじいちゃんが残していたノートとゴエティアを広げ悪魔召喚を行う。

 これが上手くいかなければ復讐を果たせない。誰にも邪魔されず、バレる心配もない完全な復讐を。


 一室を使って手順に沿って、床に魔法陣と印書のデザインを描き呪文を唱える。

 唱え終わり、待ってみるが何も起こらない。


「……失敗したか?」


 それはまずい。何か手順を間違えたか? いったいどこで?


「ん……? なっ……⁉」


 視線を本に移し手順を確認していると唐突に光る床、というより魔法陣と印書。

 眩い光で部屋を照らされ、目も開けることができず腕で顔を覆う。


 な、なんだ急に⁉ も、もしかして成功したのか⁉

 光が徐々に収まり、腕を退け目を開けると三人の男女が魔法陣の中央に立ち僕を見つめる。


「は、ははっ……」


 乾いた声がもれる。本当に上手くいった……!

 片手に持っていたノートとゴエティアを床に落としてしまう。


「貴方ですか? 私たちを召喚したのは?」

 丁寧な口調で僕に問いかける黒髪の女。どこか貴族のような格好で宝冠を腰周りに結び、人間離れした美しく均整の取れた体型と美貌を持つ悪魔。


「ああ? 狭い場所だな。で、貴様は何を望み叶えたい? 喚んだからには力を貸してやる」

 上から目線で好戦的な態度な男。王冠を被り紺色の髪。口の端を吊り上げ笑みを浮かべ、上半身裸、鍛えられた戦士のように筋肉がしっかりして纏う雰囲気が、威圧と恐れで身動きが取れない。


「あら~。今回は随分と若い男ね~。君は、お姉さんに何を求めるの?」

 最後は、金髪のおっとりした口調の女だ。細い指を唇に当て、黒いビキニしか着ておらず、こちらも人間離れした肉体をこれでもかというくらいに強調させ、欲望を駆り立ててくる。


 この三人の共通点と言えば、それは背中から生える黒いコウモリと同じ翼があるということ。


「……僕は、大磨夏目。ある目的のためにお前たちを喚んだ。代償は、僕の全て。叶えるのは復讐だ。五人の魂も全部、好きなようにしていいから僕の代わりに復讐を代行し、苦痛と恐怖、絶望を与え殺してほしい」


 生唾を飲み込み短い自己紹介のあと、喚んだ理由を目の前の三人に話す。


「では、私は貴方の血を対価に契約をここに」

 黒髪の女悪魔はそう言い僕の前で跪き、


「ほう。全部とはまた大きくでたな人間。いいだろう、なら俺は貴様の魂を」

 紺色の威圧的な悪魔は、そばまでくると僕の頭に大きな手の平を乗せ、


「じゃあ、お姉さんは君の肉体を頂くわ~。よろしくね~」

 最後のおっとり話す金髪の悪魔は僕の手の甲にキスをする。


 そして三人の声が重なる。


「「「ここに、契約を。これより、我らは貴殿の望みを叶えるまで貴殿を護り貴殿に尽くすことを誓おう」」」


 薄暗い部屋で三人の悪魔に、僕自身を生贄とし契約を交わす。最期には、悪魔に喰われ死ぬとしてもこの選択に迷いも後悔も何一つなかった。

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