第7話 メンタル中学生のアラサー、頑張る
「あの、お疲れ様ですっ」
緊張してるのがバレバレな、甲高くてたどたどしい挨拶をした私に、ヨシダさんは「あ、お疲れ様です!」とステキな笑顔を見せてくれた。そしてすぐに、頭をかきながらスマホの方に目をやる。
正直、このやりとりだけで、私は自分でもびっくりするぐらいの深いダメージを負ってしまった。アホかと思われるかもしれない。しかしアホなのだから仕方がない。
私は、ヨシダさんから「その服、ステキですね」みたいなナイスな返しが来る、なんて淡い期待を抱いていたわけだ。ああそうさ、私はアホだ。だけど、誰だって少しはそういうの、期待しちゃうんもんじゃないの?
ところがである。繰り広げられたのは、そんな「次への展開」が微塵も期待できない、あまりにもあっさりした「同僚挨拶」だけ。まあ当然と言えば当然なんだけどさ、もうちょっと、こう、ね?
現実の無情さと自分のアホさ加減にずーんと落ち込んでしまった私は、特に用事もないバックヤードに入るため、ヨシダさんの横をとぼとぼと通ろうとする。その時、ヨシダさんのスーツの背中に黄色い付箋がピラっと張り付いているのが目に入った。
「あ、付箋......」
私はほぼ反射的に、声に出してしまった。その結果、私はまさしく「ごく自然」に、ヨシダさんに声をかけることができたのだ。
「え?」
私の声に反応し、ヨシダさんがキョトンとした顔で私の方を見る。チクショー、かわいい顔してるなぁ!
「あ、あの、背中」
完全ノープランで声をかけたあげく、一瞬で見とれてあたふたしてしまった私は、説明をあきらめてヨシダさんのスーツに手を伸ばす。
「あの、付箋、ついてました」
私は自分の指先にくっつけた付箋をヨシダさんに見せる。するとヨシダさんは「あっ」と顔をしたかと思うと、少し顔を紅潮させながら「すみません、ありがとうございます」とお礼を言った。
「あの、ホンダさん、ですよね? 昨日から入社したヨシダタクミと申します。よろしくお願いします」
「あ、ホンダヨーコです。あの、よろしくお願いします」
せっかく二人きりで会話ができるチャンスなのに、形式ばった自己紹介しかできない自分がもどかしい。だけどなに話せばいいのよサトミ! 確かに付箋はきっかけになったけどさ!
自分の恋愛スキルのなさをはるか高みの棚に上げ、スムースな会話ができないことをサトミちゃんのせいにして怒り心頭となった私は、しかし表面にはそんなことをおくびも出さずに、じっとヨシダさんと向かい合っている。ヨシダさんと見つめあうだけでも夢見心地になりそうだが、いかんせん次の会話が思い浮かばない。ヨシダさんも「えーっと」という雰囲気を出し始めている。
「あの、じゃあ......」
気の利いた会話が一つも、まるで二週間続く頑固な便秘みたいにうんともすんとも出てこなかった私は、結局すごすごとヨシダさんの前から消えようとする。と、思いがけずヨシダさんが「あ、ホンダさん!」と声をかけてきたのだった。
名前を呼ばれて尻尾をぶんぶん振り回す子犬のように心躍らせた私は、「はい!」と勢いよく振り返った。
「あの、ちょっと、背中......」
「背中?」と、今度は私がキョトンと聞き返す。ヨシダさんは「ちょっと、すみません」と一言、私の後ろに回った。
「付箋、ついてました」
ヨシダさんが指先にくっついた付箋を私に見せた。それを見て私は思わず「プッ」と噴き出す。するとヨシダさんもつられて、私たちは一緒になってクスクス笑った。
「あー恥ずかし。人に注意しといて自分もなんて」
「なんというか、お互いおっちょこちょいですね」
「私って、一日で何回も『ああっ!』ていうことやからしちゃうんですよね。ヨシダさんもそうなんですか?」
先ほどまでの「そつがなさすぎる同僚会話」と打って変わり、お互いリラックスした隙だらけの会話が、なんともスムースライクバターな感じで始まった。
もちろん、私の背中に付箋を張り付けたのはサトミちゃんだ。私がヨシダさんと挨拶以外の踏み込んだ会話など、ろくすっぽできないと踏んでいたのだろう。実際、その見立てが正しかったことは、私の不甲斐なさが見事に証明している。なんという先見力。サトミ、恐ろしい子!
「僕もやらかしますね。この前もパスタゆでるときに塩と砂糖を間違えるって、マンガみたいなことやりましたしね」
「ヨシダさんって、結構自炊されるんですか?」
「いやいや、パスタゆでてもソースはレトルトです。あ、でもカレーだけは、カレー粉から作りますよ」
カレーといういかにも匂い立つスパイシーな言葉に、私は飛びついた。
「私、今スパイスカレーに興味あるんですよ!」
「本当ですか? 僕は今、会社の近くに美味しいカレーの店がないか探そうと思ってたんですよ。ホンダさんは、どこかいいところ知ってますか?」
狙い通りヨシダさんがエサに食いついてきた! 私はここぞとばかりに、全力で竿を引っ張った。
「いえ、私もまだ全然で。あ、じゃあ今度、お店の情報共有しましょうよ!」
「イイですねぇ! ぜひやりましょう。僕も色々探しますよ!」
これはもう、第一段階突破といってもいいのではないか。私は心の中で力強くガッツポーズしたのだった。
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