第3話 色鮮やかな世界

 ほんの一瞬、わずかに目が合っただけなのに、私は呼吸を忘れた。


 周囲の音が、どこかに吸い込まれるように消えた。全てがスローモーションになった景色は、綺麗なガラス玉を散りばめたみたいに、朝の新鮮な光の中で、色鮮やかにきらめいて見える。私の心のように、退屈で灰色だったはずのオフィス内が突然、カラフルになった。


「本日から、営業チームの一員として配属しました、ヨシダと申します。よろしくお願いします」


 今日入社した中途社員として、営業数値が書かれたホワイトボードの前で自己紹介する彼の心地よい低音の声だけが、音が消えたオフィスの中でもハッキリ聞こえる。


 サイドを綺麗に刈り上げ、軽やかなトップの髪を6:4くらいに分けたツーブロックショートは、とても清潔感がある。整えすぎていない眉毛も、ナチュラルで凛々しい。クッキリとした二重の両目にすらりとした鼻筋、薄い唇がバランス良く配置された顔は、少しだけ丸顔ではあるけれど、今日テレビで紹介されていたアイドルグループの面々もよりも、よっぽどステキに思える。


 キラキラしたオフィスの中で、凍りついていた私の心臓が「ドキンッ」と、強い鼓動を打った。と同時に、春の陽気で浮かれた元気いっぱいの子犬のように、心拍が大騒ぎを始める。


(ちょーっとポチャ気味で、身長もちっちゃいですけど、まあ、なかなか好青年っぽい人ですね?)


 私の後ろに立つサトミちゃんが、こっそりと耳打ちしてきた、らしい。心臓の高鳴りを止めたい私は、だけども彼から目を離せない。


(ヨーコさん?)


 チョイチョイと、サトミちゃんが私のブラウスの裾を引っ張る。それに気づいた私は、「ビクッ」と身体を震わせた。


(え? なに?)


 私は大急ぎで、目を見開き口をすぼめた「全力のすっとぼけ顔」を作って、サトミちゃんの方を見た。


 そんな私を見つめるサトミちゃんは、疑わしそうな笑みを浮かべている。と、気を取り直したように、今度はニッコリと、わざとらしいくらい満面の笑みになった。


(新しい人、かっこいいですね?)


(え? そう? うーん、まあ、まあまあかな)


 自分の動揺を悟られないように、私は少しだけ眉を顰め、「その意見に完全に同意したわけではないですわよ」という表情で、そっけなく小声で答えた。そしてさっと前を向く。視線の先には自然と彼の姿があった。


 そのとき、私の後ろでは「ふふーん」と一人得心したサトミちゃんが、怪しいアヒル口をしていたのだった。

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