第3話 なりふり構ってられないので


 やたらと慌てた様子の執事がやって来たのは朝食が終わってすぐのことだった。


「フレデリカお嬢様にお客様でございます」

「私に? どなた?」

「そ、それが……」


 執事が冷や汗をかきながら口ごもる。尋常でない彼の様子にフレデリカが首を傾げていると、アルベルトが「言いなさい」と先を促した。


「宮廷魔術師の、ランドール・ガルシュナー様です」


 まさかの名前に、その場にいた家族全員の顎がかくんと落ちた。


 ランドール・ガルシュナー。

 齢19にして史上最年少で宮廷魔術師団筆頭の肩書を持つ、この国きっての天才である。

 建国当時から続く名門ガルシュナー侯爵家の次期当主であり、神秘的な銀髪と紫色の瞳の美貌は姿絵にすれば一瞬で売り切れるほどで、王族から平民まで彼のことを知らない者はいないとまで称されている。

 そんなランドールが社交界嫌いというのは貴族の間では有名な話で、山のようにもたらされる縁談が嫌でいつも宮廷魔術師団の詰め所に引きこもっているらしい。まだ未成年のフレデリカですらそんな噂を聞いたことがあるのだから相当だ。


 そんな有名人が来訪とあって、ヒュポーン伯爵家は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

 幼い弟妹たちは部屋から出ないよう厳命し、兄たちは早々に仕事に向かう。学園が休みのマーガレットは護衛を連れて出かけて行った。

 そしてフレデリカはというと、自分の部屋でソフィーたちメイドに着飾られていた。


「失礼のないようにしなければ!」


 ソフィーの熱意は今まで見たことがないほどだった。

 熟考の末、フレデリカは白い刺繍の入った薄桃色のドレスを纏い、髪は頭の左右で三つ編みを作って残りは下ろす少し大人っぽい髪型にされた。

 はるかに格上の侯爵家の人間が相手だからだろう。普段はしない化粧が落ち着かなくて、フレデリカはもぞもぞしてしまう。


 相手を待たせているので手早く、しかし最大限の装いをしたフレデリカは、ランドールのいる客間に足を踏み入れた瞬間硬直した。


(か、かっこいい……!)


 ランドールが容姿端麗であることは以前より噂で知っていた。しかし実際彼の姿を見るとより一層衝撃的だったのだ。

 月に照らされた雪原を思わせる、きらめく銀髪を結って左肩から前に流した姿は彼の着ている黒いローブと合わさってとても良く映えている。前髪の隙間から覗く伏し目がちの瞳は、単に紫色と呼ぶのが憚られるほど複雑な色合いのアメジスト。

 快活で野性味のあるエリックとは何もかも対照的な、佇むだけで風景画になりそうな人物だった。

 年齢のせいだろうか、落ち着き払った所作が、フレデリカにはとても魅力的に思えた。


「…………君がフレデリカ・ヒュポーン嬢か?」


 ランドールに見とれていて、そう声をかけられたことに一瞬気づくのが遅れた。

 慌ててドレスの裾をつまんでお辞儀をする。


「は、初めてお目にかかります。ヒュポーン伯爵家が二女、フレデリカと申します」

「宮廷魔術師団筆頭、ランドール・ガルシュナーだ。よろしく、フレデリカ嬢」


 思っていたよりもあっさりと言葉を交わせて、フレデリカは内心驚く。社交界嫌いだというから、もっと話し方や言葉に難があるのかと思っていたのだ。


「それで本日は、どういったご用件でしょう?」

「ああ。そちらのフレデリカ嬢に礼を言いに来ました」

「お礼?」


 思い当たる節が無くてフレデリカは首を傾げる。隣のアルベルトからも疑問の眼差しを向けられ、親子揃って疑問符を頭に浮かべることとなった。


「フレデリカ嬢。「封魔の匣」を解呪していただき感謝する。あの中には私の「大切なもの」が入っていたんだ」

「封魔の匣……?」


 はこ、と言われて思い出すのは昨日ソフィーから貰った水晶の箱だ。

 フレデリカが触れた瞬間光ったあの箱は、光が収まった後粉々に砕けてしまっていた。中で瞬いていた薄紫色の光もどこかに消え、リボンも千々に破けて使えない有様になっていたのである。

 もしかしてランドールの持ち物であったのだろうか。顔面蒼白で伝えればランドールはあっさりと首を振った。


「いや、構わない。むしろ壊れたから封印が解けたんだ」

「ガルシュナー殿。失礼ですがその封魔の匣とは一体?」

「封魔の匣は対象者の一部を封じる魔法道具の一つです。元々は懲罰用に作られたもので、封じられた本人はおろか封じた者も解呪することの出来ない厄介な代物」


 聞いた瞬間フレデリカの脳裏に色々と聞きたいことがよぎったが、一度ぐっと飲み込む。相手は大人、しかも侯爵家。子供のフレデリカも貴族の端くれとしてそれくらいの礼儀は心得ていた。

 代わりにアルベルトが疑問を口にしてくれる。


「何故そんなものが娘の手元に……? それに解呪出来ないと仰っていましたが? いやそもそもガルシュナー殿は何故そんなものを使われて……?」

「疑問はもっともだと思います。しかし封魔の匣がフレデリカ嬢の手元に渡った経緯は私にも分かりませんし、解呪された原因も今まで解呪された者がいないとされているため不明です。……封じられた原因は、ただの醜い嫉妬だとお伝えしておきます」


 入手経路だけはフレデリカも知っているのだが、流石にそれを今口にする気はなかった。


「なのでもう二度と私は「大切なもの」を手に入れることが出来ないと思っていた。けれど幸運にも解呪された。それは君のおかげだ、フレデリカ嬢」

「ど、どういたしまして……?」

「礼として私が叶えられる範囲なら何でもしよう。何か望みはないか?」

「ガルシュナー様!?」


 仮にも侯爵家の人間が、格下の家相手に軽々しく「何でもする」などと口にしてはいけない。しかしその不文律を破ってまで申し出たランドールにフレデリカは仰天した。

 しかしふとある考えが思いつき、フレデリカは一度姿勢を正した。


「ガルシュナー様。ではお願いがございます」

「フレデリカ!」

「お父様、ごめんなさい。……ガルシュナー様、私に魔法を教えていただけませんでしょうか?」

「魔法を?」


 フレデリカは説明した。

 婚約者のエリックが婚約破棄を目論んでいること。彼を見返すために痩せて綺麗になりたいこと。しかし何をしても上手くいかず、魔法に頼りたいということ。

 最後だけはややぼかしてしまったが間違いではない。

 努力でどうにもならないなら魔法でも何でも使いたかった。


 話を聞き終わったランドールは形の良い眉を寄せ、フレデリカを頭のてっぺんから爪先まで舐めるように凝視した。

 絶世の美形に太った自分を見られていると思うと恥ずかしくてどうにかなりそうになる。けれど彼の視線の強さが、フレデリカの動きを縫い留めていた。


 ややあってランドールはゆっくりと瞬き、大きく頷いた。


「なるほど。フレデリカ嬢の悩みの原因が分かった」

「え!?」

「その願いと悩みの件、まとめて私が引き受けよう」


 こうして、フレデリカはランドールに師事することが決定した。

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