第2話 ダイエット始めました、が

 青空の下立派に建った屋敷に絶叫が響き渡った。


「なんでよおおおおお~~っ!」


 フレデリカは行儀悪くも勢いよくベッドに飛び込み、足をバタバタさせた。素晴らしい彫刻の入った頑丈なベッドは、フレデリカの全体重を受け止めても軋みひとつ漏らさない。


「お嬢様、はしたのうございますよ」

「ごめんなさい、ソフィー。でも、でも! また体重が増えていたのよ!」

「あれほど頑張っていらっしゃるのに、なかなか効果が出ませんね……」


 フレデリカ専属のメイドであるソフィーが困ったように頬に手を当てた。



 **



 ――あの日。フレデリカは帰宅し家族全員が揃ったタイミングで自分の見聞きした会話を聞かせた。

 そのときの家族の怒りっぷりは凄まじく、伯爵である父・アルベルトは今にも侯爵家に殴り込みに行きかねない形相であった。


「可愛いフレデリカ。お前は異物なんかじゃない。私たちの可愛い天使のひとりだ」

「そうよ、フレデリカ。辛かったでしょう、可哀想に」


 未だに社交界で想いを寄せられる両親に慰められていると、次兄のダニエルが輝かんばかりの美貌を歪めて吐き捨てる。


「腐った性根だ。父上、あんな奴にリカを嫁がせるなんて出来ません。早々に婚約破棄の打診を!」

「確かにな。どうやらエリック殿はこの婚約の意味を分かっていないようだ」


 爵位こそエリックのルザード侯爵家のほうが上だが、今代の侯爵が継いで早々に領地で災害が立て続けに起こってしまい経営難だということは貴族の間で共有されている。ルザード侯爵は領地を立て直すための金策の一環として、家格は下だが資産と技術に優れたヒュポーン伯爵家に縁談を申し込んだのである。

 フレデリカが生まれた時点で、彼女の兄姉は既に婚約者が決まっていた。だからルザード侯爵家はフレデリカと婚約を結んだのだ。

 つまり相手希望かつ、相手有利。正直継続しようが破棄しようが、フレデリカの将来以外はヒュポーン家に旨味はない。


「待ってお父様、お兄様。私、痩せて綺麗になってエリック様を見返してやりたいのです。駄目でしょうか?」

「……もちろん、構わない。それでこそ、ヒュポーン家の娘だ」


 アルベルトの瞳が不穏な光を帯びる。いや、この場にいる全員が似たような顔をしていた。


 なおヒュポーン家の家訓は「やられたらばれないようにやり返せ」である。



 **



 そして翌日からフレデリカのダイエットは幕を開けた。


 元々暴飲暴食をしていたわけではないので、おやつをクッキーやマフィンから新鮮な果物に変えた。

 そうして習い事に護身術を取り入れ、体を動かす頻度を増やした。

 体を温め脂肪を燃焼しやすくするため、マッサージも欠かさなかった。


 そんな生活がを2ヶ月ほど続けた結果が――冒頭のフレデリカの台詞だった。


「…………どうして私だけ太っているのかしら」

「お嬢様……」

「お父様もお母様も、お兄様もお姉様も、シャルやクリスだって太っていないのに」


 フレデリカは姿見の前に立つ。

 腰まで伸ばした髪は蜂蜜を連想させる金色で、瞳は春の若葉のような澄んだ緑色。濃淡に違いはあっても兄妹全員が持つ色彩だ。かつて社交界で「100年に1人の美姫」と讃えられた母親と、未だに年若い令嬢から憧れの視線を向けられる父親の血を受け継いでいるヒュポーン伯爵家の子供たちは、誰もが振り返るような美貌を持つと噂になっている。

 しかしドレスから覗くフレデリカの首や腕は丸太のように太く、腰回りもソフィーが両腕を回してやっと手が届くかどうかという具合だった。顔も肉がたるんで元の輪郭が崩れ、緑色の瞳が埋もれてしまっている。

 社交界に出れば確かに誰もが振り返るだろう。兄妹たちとは別の意味で。


「私、ずっとこのままなの……?」


 どんどん体重が増えて、歩くことも出来なくなったらどうしよう。

 置物のようにずんぐりとしたドレス姿の自分を想像してしまい青ざめたフレデリカに、ソフィーが思い出したかのように両手を合わせた。


「そうでした、お嬢様。この間、マーガレット様が不思議なものを手に入れておりましたよ」

「お姉様の衝動買いはいつものことじゃない」

「いえ、それが今回は出入りの商人から買ったものではないそうです。裏通りの人物から手に入れたそうで、なにやら「なんでも願いを叶えてくれる」魔法道具らしいのですが」

「怪しすぎるわよ。お姉様、騙されているんじゃないの!?」


 そもそも裏通りは行ってはいけないと固く禁止されているはずなのだが。

 しかし奔放なマーガレットの行動を咎めるよりも買ったものの胡散臭さのほうが勝った。


「マーガレット様、お嬢様のダイエットがあまり芳しくないことを知って「フレデリカが痩せられますように」とお買いになったみたいなのです」

「お姉様……心配の発露が斜め上すぎです……」

「その魔法道具がこちらです」

「あるの!?」


 ソフィーが持ってきたのは水晶で出来た箱のようなものだった。透明な箱の中で、きらきらと薄紫色の光が瞬いている。薄く金色に透けたリボンも精緻なレースで作られていた。


「綺麗ね」


 怪しい魔法道具だということも一瞬忘れてフレデリカは微笑む。ついついあちこち指先で撫でていると、リボンの結び目が緩んでいることに気づいた。


「あら……?」

「お嬢様?」

「リボンが緩んでいるわ。結び直しましょう」


 フレデリカは魔力はあっても魔法の使えない人間だ。だから魔法道具の知識も無かった。

 魔法道具の中に「使用者を選ぶ」ものがあることを、彼女は知らなかったのだ。


「――――え」


 リボンがひとりでに解けていく。

 水晶に閉じ込められた薄紫色の光が呼吸のように規則的に明滅し始める。


 やがて硬い物が割れる澄んだ音と共に――部屋中を光が包み込んだ。

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