いつかの春に、また

ある少女の話

高校の進路の関係で住み慣れた街を離れ1人、祖母の家で暮らすことになった。お盆やお正月にしか来ることの無いこの街に来ると、ここにずっと住んでいたかのような、懐かしい気持ちになる。


簡単に荷解きを終えた私は、母屋の一番端。日の当たらない、ある部屋に足を向ける。障子を開くとそこは別世界だ。壁一面に広がる本棚には分厚い本が所狭しと並べられている。亡き祖父の後、この家系唯一の本の虫になってしまった私がこの部屋を受け継いだのだ。何を読もうかな、と本棚をぐるりと見渡す。パッと目に付いたのは紺色の背表紙に金色の文字で題名が書かれたもの。洋書なのだろうか。題名は「Spring Promise」となっている。手に取ってみると本の厚みとは不相応に軽かった。どうやら本ではなく本を模した入れ物だったようで、缶ケースが空くような音を立てて蓋が開く。中に入っていたのはB5サイズの日記帳。開けてみると初めのページには1文。およそ60年ほど前の日付が書かれていた。誰の日記かは分からない。他人のプライベートな部分を鑑みるのは不躾な気もするが、如何せん好奇心が勝ってしまって、悪戯をする様な心持ちで本文に目を走らせる。



20××年×月××日

16歳の春、医者に余命1年を宣告された。病名は「進行性心身高結症」。世界を見ても数例しか症例のない、言わば奇病の類らしい。本来の機能は正常にもかかわらず、体の一部分の感覚がランダムに無くなっていく。何度か説明を受けたが良くは分からなかった。



そんな短い分から始まった日記は随分淡々とした、まるでなんの感情も持ち合わせない機械が書いたような文章だった。それがある日を境に色を纏い始める。日記には「椿」と呼ばれる少年に出会った、と書かれていた。彼は、日記の書き手と同じ病院の患者らしい。日を追う事に彼の情報が増えていく。

海が見たいと言う彼に、海の絵を描いて送った。

彼のお気に入りの場所に連れていってもらった。

ついつい居眠りをしてしまって、看護師に怒られた。

お気に入りの本を貸してあげた。

花火をしたいと言うから、屋上で線香花火をした。

なんてことの無い日常の一片から、書き手が彼を大事にしていたことが伝わる。それが自分の事のように嬉しくて、ページをめくる手が早くなる。



20××年×月××日


椿が倒れた



随分と読みにくい字だった。鉛筆を持ち始めた子供が書いたみたいに、文字が震えていた。その字から、日記に詰め込んだ書き手の、不安や恐怖が私の中に流れ込んで、深い木の根のような氷を心に植え付けた。冷たくなった指先でページをめくる。日付はちょうどその日から3日後の事だった。



20××年×月××日

私は椿と結婚しようと思う。どうやったら椿のことを助けられるか考えたけど、私には時間も動ける足もないから、これくらいしか思いつかなかった。結婚すれば私が死んだ時、私の心臓は彼に渡る。幸い、私の病気は最後には脳死扱いになるみたいだし都合がいい。言ったら椿は怒るかな?そんな所が椿らしいけど。

私は椿の人に怒れる所がすきだ。

椿が嫌いな金色の髪がすきだ。

椿の話す優しくて暖かい声がすきだ。

椿の花が咲いたみたいな笑顔がすきだ。

感情のなかった私に色んなものを教えてくれた。色んなものを見せてくれた。私の唯一。

だから生きて欲しい。もっと世界をその目で見て欲しい。

私はその手助けができるだけで幸せ者だ。



胸が、痛かった。心臓がじくじくと疼くように痛むけれど、私はその痛みの名前を知らない。

献身なんて綺麗なものじゃない。自己犠牲と言っても足りない。ただただ重たくて愛なんかでは到底片付けられない、何かがそこにはあった。目に張った水の膜を袖で乱雑に拭って次のページをめくる。



20××日××月××日

夢野叶になった。随分ファンシーな名前になったと椿と二人で笑った。

忙しい1日だった。

幸せな1日だった。

指輪なんて用意できなかったから、その代わりに椿に私と同じ日記帳を上げた。喜んでくれたみたいで良かった。私はネックレスを貰った。椿の目みたいな、冬の空みたいな澄んだ青色の石がはまったネックレス。お義父様とお義母様に頂いたヴェールを被って写真を撮った。結婚式の代わりだなんて言ってはいたけれど、病院服にヴェールなんてアンバランスなのが面白くてまた笑った。

日が落ちると、2人で病室から抜け出して、初めて会った公園に行った。

桜の木が1本だけある静かな公園。

当たり前に花は咲いてなかったけど、それでも良かった。ここに2人で来ることに意味があるから。桜の木の下で、1つ約束をした。馬鹿げた約束だ。来年の春は、ここに桜を見に来ようって。私が春まで生きれないのを知っているくせに。やっぱり椿は椿だった。約束破ったら怒るからな、って。ゆびきりまでして、こどもみたいだった。

あぁ、しにたくないな。



私なんかが泣いたところで、この2人の結末が変わるわけじゃない。それでも涙が止まらなかった。私と同じ歳の女の子が、本当なら未来のあるはずの女の子が。悲しくなった。やるせなかった。出来ることなら変わってあげたいとも思った。幸せになって欲しかった。その日はダムが決壊したみたいに、涙が止まらなくて、子供のように大声で泣きわめいた。一生分の涙を使い果たした気分だった。顔をぐちゃぐちゃにしても日記を話さなかったのよ、と祖母が笑っていた。


次の日、私は日記を片手に祖母の家を後にした。日記に書かれた「桜の木が1本だけある静かな公園」は、直ぐに見つかった。私が行ったところで何も変わらない。それでも、彼女の最後の願い、きっと叶わなかった願いを叶えるのは、私の義務のように思えた。

公園には人の気配すらなく、世界からあの2人の思い出が、この公園に留まって時間を停めているように思えた。桜の木の根元には、アンティーク調の2人がけのベンチがあった。そこに座って、また日記を読み返した。やっぱり涙は止まらなくて、袖で拭う。


「あの、これ。良かったら使ってください。」


声に驚いて顔を上げると同じ歳くらいの男の子が、ハンカチを差し出していた。首元には私の目の色と同じ青い石がチェーンにぶら下がっていた。手には私と同じ日記帳。もう、涙は出なかった。



日記の最後のページには椿の、祖父の字でこう書かれていた。

夢と見紛うような恋をした、と。


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