第6話 選択肢
いつものように朝早くから目が覚める。二度目の入院生活が始まってからのルーチンになりつつある。目をこする。なぜだか、そこは濡れているようだった。
窓の外を見る。もうすっかり、太陽もさぼり気味。夏とは違って、まだまだ暗かった。
中学生のころまでの、入院生活と同様、今回も予想通りのつまらなさ。朝には朝ごはんが出て、午前中に看護師さんがきて、昼食をとって、夜が来る。誰よりも自由なはずなのに、誰よりもしっかりした生活習慣を気にすることなく行っている。
自分の体が具体的にどうなっているのか、聞くのが怖くて、親には聞いてもらったものの、そろそろがたがきているらしかった。
左腕を上げて見せる。毎日毎日、そこから肉という肉が、生命力とともにそがれ落ちていく。別に腕だけじゃない。学校に通えていたころは気にしていたおなかまわりも、十分以上にそがれている。
腕を掻きむしってやった。真っ赤になって、薄皮もむけてしまう気がした。どうでもよかった、私の体の中ではこんなことよりも深刻な作業が毎日毎日繰り返されているのだろう。涙が、自然と、あふれてくる。別に何も悲しくない。自分の体の無力さに私は怒っているのだ。誰にも理解されないこの怒りは、自分の目にすら勘違いされているらしかった。
泣いた後には、いつも彼の姿が目の裏に浮かんだ。私だって、好きだった。誰も嫌いな男の子にあんなに無茶ぶりするわけないでしょ。この青春も、かなうことなく、終わってしまう。
一昨日。彼が告白してくれた日の午前中のこと。神妙な面もちの医者に、告げられた私の未来は二つ。二回に一度の確率で成功する手術。いいかえれば、二分の一で失敗して、死んでしまう手術をうけるか、このまま平穏に病室という牢屋で2年間過ごすか。
とんだ藪医者だ。二分の一でしか成功するような手術なんかしなければいいだろう。
変な希望を与えられるから、この胸だって苦しむのだ。
午前九時。意外な来訪者がいた。彼だった。
「なんで目真っ赤にはらしてるんだよ。というか、どうして個室にいるんだよ」
いつもみたいにやっほーって片手あげてくれよ。
「君こそ、こんな時間にどうして病室にいるの。私に会いたかったの」
ためらうことなく、彼は頷いた。
「君のことが好きじゃなかったら、ここには来ていないよ」
「よくもそんな恥ずかしいこと言えるね」
「恥ずかしいよ」
何それ。心の底から、楽しさがあふれる。久しぶりだ。
「大切な話したいから、椅子に座って」
千景君にも知ってほしいと思った。私のこれからを。それで、ここで信じれなくなって、病院から走って帰ればいい。
「なんだよそれ。本気で言ってるのか」
言葉を選ぶようにして、彼は一言一言を紡ぎあげた。
無言でうなずく。
「なんでそんなに急になんだよ。どうして橘さんがそんなことにならなくちゃいけないんだよ」
「生まれたときからの宿命だよ。高校だけでも、みんなと一緒に過ごせたんだから、現代医療に感謝しないといけないよ」
「そんなこと、ないよ」
自分のことのように頭を抱え込む。初めて話したころには見せてくれなかった一面だった。
「だから、そういうわけだから。もうここには来ないでほしいんだよね。私だって好きだよ。だけど、君に罪悪感を持たせたまま私は死にたくないよ」
「このまま何もせずに君が死んでいくことのほうが僕は、僕は。心が苦しいよ」
目の前が涙でぼやけてしまう。絶対に、彼に会う時だけは隠しておこうという自分のルールすら守ることができなくなっていた。
「ねえ」
「何」
「僕は君に死んでほしくないんだよ。なんでこんなに急なんだよ。だから、君に手術をうけてほしい」
涙で顔もぐちゃぐちゃ。多分口元も汚い。こんな顔、君には見せたくなかったのに。
でも君は、いつも私の望んだとおりの答えをくれるんだ。
「私さ、実は。出会う前から、千景君のこと好きだったんだよね」
「なんだよそれ」
「私は、小さいころから、体が弱くて、病院でいろんな人の支えの元で生きてきた。学校では誰よりも充実させようと、周りの友達や先生を誰よりも頼って生きてきた。
みんなそうするのが普通だと思っていたんだよ。だけど君だけは私の予想通りにはいかなかったんだよ。
誰も頼ることなく、黙々と自分の道を選んで進んでいるような気がした。だから私は、君の真似をして、たくさん本を読んでみたし、一日無言で学校生活を過ごした日もあった。だけど、君にはなれなかったんだよ」
もう最悪。鼻水持たれてきた。
「あの図書館で初めて会った日のこと覚えてる」
彼は静かに頷いていた。
「あの日、たまたま君のこと見つけてさ。一回服着替えに家に帰ったんだからね」
「なんでそんなことしたんだよ。なんでもよかったじゃんか」
彼もぼやける視線の先で、顔をぐちゃぐちゃにしているのだろう。声が、震え切ってるよ。
「それくらい君のことが好きだったんだよ」
これまでの話をした後、二人で抱き合った。千景君からはちゃんと生きてる人間の温かみを感じた。
「君には生きていてほしいよ」
彼の言葉が心の奥で、私には突き刺さった。
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