第2話

 「実は美春に報告しなければいけないことがあって、俺な、再婚しようと思うんだ」

父は言葉を押し出すかのように、ゆっくりとした口調で言った。

 美春としては、別段驚きはない。反対する理由もない。

 ただ、これからのことを真剣に考えなければならない、刹那にそう思った。

 美春にとっては母であり、父にとっては妻である存在を亡くして二年と少しが経った頃だ。あれからできるだけ前を向いてきた。今は高校三年になった。

「いいと思う、うん、いいと思うよ」

 父に愛人がいることは少し前から知っていた。母のことを思うと少し胸が痛くなるのだが、あくまで父を尊重しなければならない。美春はここまで、父に幾度となく助けられてきたからだ。

 相手の名前は香織かおりといった。ちょうど美春の記憶にある母と同じくらいの年齢だった。

 そこからは流れるように事が進み、気付けば香織が当たり前のように家にいる生活を送っていた。

 美春はしばらく大学受験のための勉強に励むつもりだったから、香織とはあまり関わらないようにしようと心に決めていた。しかし彼女はそんな美春の思惑とは逆に、なんとかして打ち解けようとしている様子だった。また父も、

「無理にとは言わないが、仲良くしてやってくれ」

そんなことを何回か言った。

 香織は平日毎朝、美春の弁当を作ってくれた。美春としても有り難かったのだが、いざ学校で食べるとなるとどこか赤の他人が作ったような違和感が残った。

 また自室で勉強していると、香織が淹れたてのコーヒーとお菓子を持ってきてくれることがしばしばあった。しかしそれにしても、美春の知ってる母の支えとは違い、それが返って悲しくさせた。

 かけてくれる言葉、接する態度、いつも見せる笑顔。全てが美春に対する素直な優しさに感じられた。でも、かつて自分を愛してくれた母とはかけ離れていて、その愛をどうしても受け取れずにいた。表にこそ出さなかったが、香織を少し軽蔑していた。

 受験勉強は時に、大きなストレスを感じる。思うようにいかない時、どうしても結果が出ない時。自分を見失いそうで、何かに当たりたくなってしまうものだ。

 ある時香織が、例によって飲み物を運んで来てくれたとき、美春はペンを持ったまま、言った。

「あなたは、私の母親にはなれないから」

すると香織は俯き、しばらくして、

「できることがあったら、何でも言ってくださいね」

と返した。そしてすぐに美春の部屋を後にした。

 比べる必要なんて無いのに、支えてくれているのに、香織を見ると、どうしても母を思い浮かべてしまう。その今は亡き人が恋しいだけなのだ。

 美春はついさっき発した言葉を後悔した。

 それでも変わることなく香織は、優しくて温かい眼差しを美春に向けてくれた。夜遅くまで勉強していた日、深夜リビングに戻ると一人香織はまだ起きていて、笑顔で、

「お疲れさま」

と声をかけてくれたし、翌朝寝坊しかけていた美春を起こしてくれたのも彼女だった。その優しさに、美春はやがて心を開いていくのが自分でも分かった。


 本格的な受験期間に入り、残すは一週間後、第一志望校の一般試験のみという時。

 美春はこの日、半日中塾に籠もっていた。夜の九時を過ぎて帰路に就いていたのだが、突然雨が降り出し、傘を持っていなかった美春を襲った。

 家に着く頃には全身びしょ濡れ。迎え入れた香織は慌ただしくも、なぜか謝っていた。

 願いは叶わず、翌日熱を出した。香織は一生懸命、寝込む美春の世話をしてくれた。美春はそんな彼女に内心胸を打たれていた。風邪の症状は二日程で治まったのだが、それと同時に現れたのは焦りだった。

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