聖母に卒業証書を
キリンノツバサ
第1話
『お母さん、大丈夫なの?早く良くなって戻ってきてね』
入院中の母親に向けてメッセージを送った。
それは
受験シーズン。美春にとって第一志望校の試験一ヶ月前、母が病で倒れた。突然だった。
『美春、今は自分のことだけ考える時期です。合格発表までには必ず体調を戻して、いい報告が聞けるのを楽しみにしてるからね。それまではお互いがんばりましょう。とにかく、お母さんは必ず戻るから、今は自分のことだけに目を向けて、でも無理はしないようにね、少し遠くからだけど応援してるからね。 母より』
幼い頃から厳しかったけれど、受験期になると親身になってサポートしてくれた。そんな母がいないのは少し心許ないけれど、だからこそ絶対に合格していい知らせを聞かせる。美春はそう決心した。
第一志望校の試験日。既に受けた他のいくつかの高校に合格していたから、それほど重圧は無かった。
玄関で父と向かい合い、
「じゃあ、行ってくるね」
「うん、やりきって来いよ」
ドアノブに手をかけたその時、
「あ、母さんも美春がんばれって言ってたぞ」
─あっ─
母のためにも勉強を頑張ってきた筈なのに、逆にすっかりと忘れていた。
「うん、分かった」
自分にはお母さんがいる。気負う必要は無いよね。
─でもなんで、自分に直接メッセージを送って来ないのだろう─
試験会場に入る前、スマートフォンを見たがやはり着信は一週間前を最後に更新されていなかった。
『お母さん、今から本命受けてくるね、終わったら会いに行くよ』
それを合図に心を入れ替えるかのように、美春は送信ボタンを押した。
試験は入念に対策してきた通り、おおよそ自信のある回答で埋めることができた。
試験後、母からの返信を楽しみにスマートフォンの電源を入れた。
しかし返信はおろか、読まれてすらいないようだった。するとそれに入れ替わるようにして、父からメッセージが送られてきた。
『美春、これを見たということはもう試験は終わったのかな、お疲れ様。立て続けに悪いんだが、至急母さんの入院してる病院に来てくれ。俺はもうそこにいる。事情は会って話す』
胸騒ぎがした。もともと病院へ行くつもりでも至急来てくれとはどういうことなのか、何か自分は取り残されているように思えた。美春は夢中で足を走らせ、病院に向かった。
着いた時、美春とは裏腹にひどく落ち着いた様子の看護師に連れられ、中へ進んだ。美春は焦っていた。早く進んでくれと怒りさえ込み上げてくる程看護師は静かに、ゆっくりとした歩調だった。
そして美春は病院の一室に通され、父と母に会った。
しかし母の顔は青白くて、美春が今まで見たことのない姿で寝かされていた。父は俯いていた。頬には涙の跡がくっきりと残っていた。
それでも美春はその時、お母さんは生きていると思った。だって、それが当たり前の世の中で生きてきたのだから。
やがて、込み上げてくるままに、その感情に一切の抵抗を加えず、美春は叫んだ。
それからしばらくは記憶がない。気付けば自宅で寝かされていた。起きたのは翌朝。長い闘いを終えたばかりの美春には、負担が大きすぎた。
家にはたくさんの親戚と、表情の消えたお母さんもいた。亡くなったのは、試験の日の早朝だったと後で聞かされた。
これは親戚から聞かされたことだが、前日には危篤状態だと父に知らせがあったのだという。しかし美春の試験に影響がないように、苦渋の決断で家に残ったのだと。早朝にその連絡を受けた時も、その悲しみを一切表にすることなく、美春を送り出したのだと。それが母の本望でもあると判断したのだ。
美春はただ、涙が止まらなかった。言葉にできない数々の感情に支配されていた。
その後、合格通知を受け取っても、まるで実感が湧かなかった。
間もなく卒業式が行われた。いつも学校の行事となると母が駆けつけてくれるのだが、その日は父だった。そのことが返って美春の心を揺さぶった。
式が終わると名目上は解散なのだが、殆どの卒業生は校庭に留まり写真撮影であったり、友人と思い出を語り合う。
しかし美春はまるで身が入らなかった。一通り応対を済ませ、父と共に、母のもとへ向かった。
ここへ来るのは何度目だろうか、一人でも毎日来て、その立派な石を、今は空想になってしまった母を、ただ見つめて時を過ごすのだ。
─心の整理なんて、一生つかないよ─
卒業証書と記念の制服姿を見せて、そう呟いた。
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