第17話 親友

 パーティーのお開きのあと。

 俺は眠ることができずにベッドに仰向けに寝転がっていた。

 酒を飲むと眠れなくなるタイプだからということもあるが、主な理由はいろいろ考えなくてはならないことがあったということだ。

 例えば。

 使おうとしている隠れ家も見つかってしまったときのためにどこか別のところも用意しておきたい……とか。

 ブイの着替えやらなにやらをどこかに寄って買いに行かなくてはならないがどういう場所がいいのだろうか……とか。

 アレックスがいるとはいえこれからはブイと一緒に住むことになるが、薄い本でよくあるようなエッチなハプニングが発生しやしないだろうか……とか。

 そんなことを考えてぼーっと天井をみつめていると――


 ――キャー!


 という悲鳴が聞こえてきた。鼓膜が破れそうなくらい強烈な音波だ。

 恐ろしい事態を想像し心臓が跳ねる。

 慌てて部屋を飛び出し、音のするほうへ走ると――

「ええと……」

 ブイが台所のすみっこで尻もちをついていた。

 涙がたっぷり溜まった目でこちらを振り返る。

「ど、どうしたの?」

「ゴキブリが……」

「うえっ!」

 反対側のすみっこには黒いダイヤモンドがいた。アキハバラ・セセッションからの旅行客であろうか?

 正直いって俺も得意なほうじゃない。普段は『ゴキブリなんてネコチャンのようにかわいい』と豪語するアレックスに相手をしてもらっているのだが、この時間ではやつはテコでも起きないし、だいいち情けなさすぎる。

「う、うおおおおお!」

 俺はテーブルに置いてあったティッシュペーパーを掴むとゴキブリに向かって突進。目をつぶったままティッシュペーパー越しにヤツをつまみ上げると、排気口を開けてティッシュペーパーごと投げ捨てた。

「み、ミッションコンプリート」

 床に尻もちをついてハアハアと息をつく。

「あ、ありがとう。ケガはない?」

「ああ……なんとかな」

「ねえ宇宙空間にほおり出されたゴキブリはどうなるの?」

「50%ぐらいの確率で宇宙空間にすら適応するらしい」

「うえっ。じゃあ宇宙空間にはたくさんのゴキブリが……?」

「やめてくれ想像したくない」

 とりあえずテーブルに座りなおす。ブイもその正面に腰を下ろした。

 改めて彼女を見ると長い髪をゆるく三つ編みにして、テルテルポーズを思わせるぶかぶかなパジャマを着ているためいつもよりかなり幼く見える。

「ん? これは?」

「あっ――」

 机の上にはさっきゴキブリ退治に使ったのとは別に一枚のティッシュペーパーが置かれている。それには爽やかにほほ笑むショートカットの快活そうな少女が描かれていた。

 机のどこにもペンがないというヒントを参考にするまでもなく作者は明らかだ。

「ら、落書きだから恥ずかしいな」

 などと両手で自分のほっぺたで挟んだ。ずいぶんと幼い仕草だなと思ったけど、酋長さんがいうにはまだ十八歳らしいから歳相応かもしれない。

「これは――モデルはアレックスかい?」

「えっ!」ブイは大げさに飛び跳ねて見せた。

「よ、よくわかったね」

「わかるよ。髪型も顔も全然違うけど、あいつこういう表情するもん。さすがよく見てるな」

「……さすがなのはあなたのほうだと思う」

「そうか? まあなんにしても」

 ティッシュペーパーに顔を近づけて改めてじっくりと鑑賞する。

「ティッシュに描いた絵でも凡庸でないのがわかる。こんな時代でなければ何十万人という人を楽しませていただろうになあ」

 ブイが俺から目を逸らし、無言でガシガシと頭を掻き始める。

「おおげさ。身内びいきしてるんだよ」

「そんなことないよ。ところでさ――」

 ずっと聞きたかったことを彼女に尋ねた。

「ブイはなんでマンガを描き始めたんだ?」

 この時代においてはマンガを描くことは犯罪行為とされる。なにか理由があると考えるのが普通だ。

「いいづらかったら言わなくてもいいんだけどさ」

「いや。言っておきたい」

 ブイはちょっと待っててと立ち上がり台所を出た。

 ――一分ほどで戻ってくる。手には一冊の本を持っていた。

「これを私の父方のお祖母ちゃんが大事に持っていた。私にだけこっそり見せてくれた」

 ひどくボロボロの本だ。表紙なんて色が落ち切ってほとんど真っ白になっている。

 俺は折ったり破いたりしないように慎重にページをめくった。

「――これは」

 ページをめくるごとに胸が締め付けられる。

「えっ――!?」

 ブイはそんな俺を見て目を見開いた。

「泣いてるの?」

「ちょっとな」

 袖で目を拭ってムリヤリ流れるものを止めた。

「理由を聞いてもいいのかな?」

「これを描いた人を知っているからだ」

 ブイはアゴに手を当てて首をひねった。

「もしかして。さっき言っていた画材をくれたっていう知り合いの人かな」

「正解だよ。そしてその人はな。俺のばあちゃんの母親――ひいばあちゃんさ」

「えっ!?」

「表紙がかすれちゃって見えないけどこのマンガの作者は『ライオネックエレン』っていうんだろう? たぶんいまのところ最後のマンガ家だろうな」

『いまのところ』というのは重要だ。

「俺もばあちゃんに読ませてもらって、彼女のマンガを読んで育った。だがダイヤモンド・カイに押収されて手元には一冊もない」

「そんなことが――」

「そうか。ひいばあちゃんはアキハバラ・セセッションにいたんだな。あそこはいいところだもんな」

「うん。私のおばあちゃんとは歳は離れていたけど親友だったって聞いている。いつも手を繋いでお散歩してたんだって。素敵だよね」

「ああ。本当に。そういうところが作風にも反映されてるんだろうな」

 俺はもういちどその薄い本をはじめから読み直した。

 セリフが読めなかったり、絵が消えてしまっている部分もあったが、それでも心に染み入るような作品だった。自分の曾祖母の作品だということを抜きにしても。

「ありがとう読ませてくれて。大切にしてくれよな」

 ――うんもちろん。

 そんな答えが当然かえってくるものだと思っていた。

 だが彼女は「ううん」などと首を横に振る。

「えっ?」

 彼女は本を手に取って卒業証書でも渡すように前に突き出した。

「これはサルペンにあげる」

 不覚にも彼女が発したその内容よりも名前を呼ばれたことにドキっとしてしまった。たぶんこのときが初めてだったと思う。それにこのイタズラっぽくニカっと歯を見せる表情。いい年こいてけっこう年下の娘に顔を赤くしているのは本人にも伝わってしまったらしく彼女はクスっと笑った。

「まさかどっかのおばちゃんみたいにもらうのもらわないのっていう小競り合いにはならないよねえ」

 などと俺の胸あたりを小突く。

 どうも彼女の申し出を断れそうもない。俺はその古ぼけた本を受け取った。

「はい。これでサルペンのものです」

 そいつを胸にギュッと抱きしめる。

「ありがとうブイ。いまはまだなんだか実感がわかないけど、明日になったらすげえ嬉しくなると思う」

 下手くそなお礼に彼女はまたクスっと笑った。

「なにかお礼をしよう。そうだマンガをやるよ。好きなのを持っていけ」

「ホント? でもあんまりエッチなのはいやだよ?」

「そうじゃないのもあるよ」

「じゃあ見に行っていい? サルペンの部屋にあるの?」

「あ、ああ」

「じゃあ行こうよ」

 ブイに袖を引っ張られて台所を出た。

「でもさ。お礼はそれだけじゃいや」

「ええっ?」

「もっと私に優しくしてよ。アレックスにばっかり優しくしたらやだ」

「そんなことは……」

「結構冷たいじゃないサルペンは。全然目を合わせてくれないし」

「それはその……」

 そんな話をしながら廊下を歩いていると、パジャマ姿のスタンが部屋から出てきた。

「よお。どうしたの二人そろって」

 じゃっかんながら気まずい。

 ブイも意外なことに顔を真っ赤にして下を向いていた。

「ちょ、ちょっと台所で話してたんだ」

「へえ。そいつは仲良しでごきげんだ。そんなナイスな二人に素晴らしいジョークをプレゼントするよ」

 ――それは唐突。本当に突然に起こった。

「妻が陣痛に苦しんでいます。

 旦那はなんとかしてそれを和らげてやれないものかと産婦人科医に相談しました。

 すると、出産の痛みを父親に移す装置があるとのこと。

 妻思いの旦那はその装置を使ってくれ! と医師に頼みました。

 装置を使うと妻の痛みはキレイさっぱり無くなりました。

 それに旦那の方の痛みもぜんぜん、ありません。

『ハハハ! やっぱり男の方が体が強いからね』

 妻は無事出産を終え帰宅。

 しかし家に帰ると。隣に住む男子大学生のジョージが死んでいました。

 なんてな! HAHAHA!」

 スタンが単なる軽口としてジョークを言う場合と、ラフター・ブルロープを使用するためにジョークを言う場合はほんの少し声のトーンが異なる。

 今回の場合は『後者』だった。

 ――まさか。

 マッドドリルを起動しようとしたが間に合わない。体調が万全であれば間に合った可能性があるがそんなことを言ってもしようがない。

 俺とブイは大蛇に胴体をからめとられた。

「ええと。スタンさん。これはどういう種類の冗談でしょうか……?」

 ブイがそんなことを問う。スタンはまったく無邪気な笑顔でその質問に答えた。

「冗談ってゆうか。『裏切り』なんだ。ごめんね」

 そしてはホルスターから取り出した拳銃でブイの頭を打ちぬいた。

「――――――!?」

「まァ僕の顔は冗談みたいにハンサムだけどな! HAHAHA!」

「ス、スタンおまえ――」

「安心してよ。麻酔銃だからさ。殺さないように言われているんだ」

 スタンはその銃口を今度は俺に向けた。

「でもアレックスちゃんはぶっ壊しちゃった。とはいえ安心してよ。キミたちもほどなくして死ぬからさ。さみしくはないさ」

「き、貴様ああああああああああああ!」

 マンガと違っていくら怒ろうがものすごいパワーを発揮してロープを引きちぎるなんてことはできなかった。

「とりあえずお休みなさい」

 薄れゆく意識の中でスタンが通信機に向かってしゃべっている声が聞こえた。

「もしもし。ライトネス・ダイヤモンドさん? ういっす。サルペンとブイを捕まえたよ。ダイヤモンド・キャッスルに持っていけばいい?」

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