第37話 アイツに相応しい女なんていませんよ
青森千奈
――
私がそれを耳にしたのは、テニス部の活動が終わり渚砂と合流した後の事だった。今日の昼休みに体育館裏で渚砂の後輩である、登古島ちゃんが襲われたという話を聞いて、一旦は彼女の身を案じたのだけど。
「……どうやら、その相手ってのが立花らしいんだよな」
「立花って、月葉ちゃん?」
「ああ、しかもその場には奏夢もいたらしい。流石に知らない相手じゃないからさ、ちょっと調べてみたんだ。そしたら一年生の間にこんな噂が流れてたみたいでさ……千奈、知ってた?」
一年生の間に流れていた噂。
それは、私が立花月葉ちゃんに彼氏である奏夢君を寝取られたという、事実無根の噂。
「でもま、傍から見たらそう見えちゃうかもしれないよな。直前まで千奈と奏夢は誰がどう見ても付き合ってたとしか思えなかっただろうし、立花が奏夢を寝取ったって言われたら、ああそうなんだとしか思えないわな」
「……でも、それがどうして暴力事件になっちゃうような事態になったのかな。その噂だけなら、月葉ちゃんが登古島さんを叩いたりはしないと思うんだけど」
「これも、その時に知ったんだけどよ。どうやら立花の事を集団でイジメてたらしいんだわ。千奈から彼氏を寝取った女って言われたら、イジメの対象にはなっちまうわな」
浮気、寝取りは世間一般的に見て悪だ。付き合っていた二人を引き裂く行為は、相手が結婚していたらそれだけで犯罪行為へと扱われる程のもの。
私と奏夢君が付き合っていたのは、多分数多くの人が知っていたと思うし、文化祭のたった一日で関係が変わった何て誰も思わないのだろう。でも、関係が変わったのが月葉ちゃんの寝取りにあるって言われたら、状況的に第三者としてはそうとしか思えない。
「悪を叩くのは正義。例えそのやり方がイジメであったとしてもな」
「……そんなの、月葉ちゃんが可哀想だよ」
「大事になるまで隠されてたんだ、ウチ等じゃ気付くことすら出来やしないさ。登古島の奴が奏夢と何らかの因果関係があるのかもしれないけど、アイツがやってた事は浮気魔への粛清みたいなもんだったんだろ。立花には申し訳ないが第三者目線で見ると、どっちに正義があるかって言われたら、登古島の方にあるとアタシは思うぜ?」
「……正義とか悪とか、この話に存在するのかな」
「するさ、だから一年生の女どもは登古島に従ったんだろ」
全然気づかなかった、私は噂の張本人、しかも内容的には彼氏を寝取られた悲劇のヒロインだ。今からでも奏夢君のクラスに行って説明するべきなのかな。もしくは先生の所に行って月葉ちゃんに対する罰を少しでも軽くしてもらうよう、お願いするべきかな。
「別に、何かする必要なんざないだろ?」
「そう、かな」
「というか、出来やしないさ。もう立花へのイジメを止める手段はないだろうし、噂を否定した所で何も変わらない。悲劇のヒロインが何を言っても、悲劇は悲劇のままなんだよ。奏夢を思って嘘を付いているとしか思われないさ」
渚砂は諦めろ、千奈は無関係だって言うけど。
私には、とてもそうは思えなかった。
「先輩、どこ行くんですか」
翌日のお昼休みに廊下で突如声を掛けられる。
振り返らなくても分かる、この声は登古島ルエムさんだ。
「まさか、あーしに会いに行こうとしてたとか?」
金髪の彼女は仲が良い人にだけにしか使わない『あーし』という言葉を使い、私を見る。
渚砂の話は本当だったのだろう。
月葉ちゃんに叩かれた跡を隠す様に、登古島さんの頬にガーゼが貼られていた。
「うん、ちょっと登古島さんに話を聞きたくてね。一年三組に行こうと思ってたところ。ちょうど良かった、今から一緒に中庭に行かない? 購買で買っておいたサンドイッチもあるし、お昼は心配しなくても良いから……もちろん、行くよね?」
「何かこわーい。せっかく可愛いんですから、もっと可愛い顔しましょうよぉ! それに、どうせなら皆呼んでも良くないですか? あーしの交友関係を先輩にも――」
「ううん、一人でいい。大事なお話だから」
雰囲気は、以前と変わらない。
雲間駅で一緒に遊んだ時の様に、彼女はアイドルの様にはにかみ私を見る。
けれど、一瞬、ほんの一瞬だけ私を見る目が奏夢君と似ていた。
その変化は、奏夢君の力を知っている私だから分かる変化。
奏夢君との因果関係が分からないと渚砂は言っていたけど、多分、何かある。
吹く風から冷たさを感じる中庭には人の姿があまりなくて。
ベンチに私が座ると、彼女も直ぐ横に座った。
サンドイッチを手渡すと、私は早速の質問を飛ばす。
「昨日のことなんだけど」
「体育館裏であーしが襲われた話ですかぁ? もう先生にもいつメンにも喋りまくって疲れちゃったんですけど。でも、先輩のお願いなら何でも聞きますから! 特別に許可します!」
変わらないノリに、私は眉を下げながらも微笑みで返した。
「……ありがとう。あのね、まず誤解を解いておこうと思うの」
「誤解?」
誤解、それは、私と奏夢君が別れた理由。月葉ちゃんが寝取ったのではなく、私から別れを切り出したという事実。奏夢君に対して私が抱いていた感情は、恋愛感情よりも
憧れを持ち、強い彼にどこまでも甘えてしまう事を、私は否定した。彼に頼らなくても、いずれは立花さんの様に彼を助けられる人間になりたいって、そう思ったあの時の願いの様な想いを、登古島さんへと伝える。
「……と言う事は、先輩はまだ瀬鱈の事が好きって事ですか?」
サンドイッチを頬張っていた手を止めて、彼女は私を見る。
その目はやっぱり奏夢君の様な目、感情を、色で見分けている独特の瞳。
「貴女なら、言葉にしなくても分かるんじゃない?」
「……」
人は口以上に目で物を語る。その言葉をより具現化したのが奏夢君の特別な力。
もし登古島さんにも同じ力が宿っているのだとしたら、感情に嘘は付けない。
私が奏夢君の事を今でも想っているかと聞かれれば……その答えは一つしかない。
「出来たらね、噂を否定して欲しいの。確かに私と月葉ちゃんは同じ人を好きになってしまった。けれど、彼女が寝取ったんじゃない。私が身を退いたの……月葉ちゃんの方が、きっと奏夢君に相応しいから」
「(アイツに相応しい女なんていませんよ)」
目をそらしぽつり呟いた言葉を、私は聞き逃さなかった。
瞳に宿る憎悪が、彼女の青い瞳がまるで燃えているかの様な憎しみに包まれる。
「……登古島さん、貴女――」
「いえいえ! なんでもないです! そっかー先輩の方が可愛いと私は思いますけどねぇ! ほらほら、先輩もサンドイッチ食べて下さいよ! 時間無くなっちゃいますよ⁉」
憎悪から一瞬で楽天家の表情へと切り替わると、彼女は美味しいなぁと言いながらサンドイッチを口に運び、その場を去った。
てっきり私は、渚砂の親友である私を思って彼女が行動したのかと思っていた。付き合っていた奏夢君を寝取らてしまった私が可哀想で、助けたいって思いから登古島さんが噂を流したのだと思っていたのだけど。
これは、私の思い違いなんだ。
彼女の目的は奏夢君。
因果関係が何なのかは分からないって渚砂も言っていたけど。
絶対に何かがある……奏夢君に聞かないとかな。
でも、別れた彼と私が連絡取っても大丈夫かな……ちょっと、悩む。
そんな時だ、彼から久しぶりに連絡が入ったのは。
「今度の日曜日に、公民館……? うん、分かった、大丈夫」
もう既に動いているんだ。さすが奏夢君、よし、出来る事は何でも協力しよう。
そうだ、渚砂にも連絡しようかな……。
――
次話「対登古島作戦会議①」
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