第31話 私は頑張りますから、大丈夫です

立花月葉

――


 ムカついたら殴ればいい、拳と拳で解決するのが一番手っ取り早い。

 男の子のそんな世界観を聞いて、少しだけ羨ましいと思った事がある。


 女の世界は、全部が回りくどいんだ。

 周囲から固めて、イジメる対象を孤立させる。


 直接手を下す事無く、間接的に苦しめて、自分は危険の及ばない安全圏から責める。

 なんて卑怯なのか、なんて意地汚いやり方なのか。


 幸いにも私はそんなイジメを受けた事がない。

 自分でもサバサバした方だとは思うし、人から恨まれる様な事は何も。


 イジメはやられる方にも原因があるって聞いた事がある。

 恥ずかしながら、私はその意見に少しだけ同調していた。


 やるべき事をやっていなかったり、汚かったり。そういったイジメられっ子を見て、私は助けの手を出すのではなく、遠くから見るだけで終わりにしていた。


 少し直せばイジメられなくなるのにって、心の中で思いながら。

 それに、イジメなんて大した事ないでしょって、軽んじていたのも事実。


 そう、思っていたのだけど。


「月葉……どうしたの?」


「あ、ううん、大丈夫」


 私は自分の机を見て、まさか自分がイジメの対象になる日が来るとは思わなかった。

 刻まれた言葉が、自分に向けられた言葉だなんて、どうしても思えなくて。




 最初は、皆との距離感だった。

 何となく喋り掛けてこなくなったなって、そんな程度。


 でも、私には夏恵がいるし、奏夢も隆君もいる。

 後夜祭で私の告白を聞いた人もいるだろうし、カップルには遠慮するのが道理。

 

 だから、何とも無いと思っていた。

 けど、それらが表面化してきたのは、女子だけの体育の時間。


 私から意図的に夏恵を奪い、私を完全に孤立させる。

 部活が終わった後の時間もそう。

 図書委員をしている夏恵の所に行っても、夏恵はいなくて。


『ごめん、登古島さん達のグループに誘われちゃってて』


 夏恵と登古島とで共通の趣味が出来たとは聞いていた。

 それに、彼女はその場で奏夢君の悪口を言っているとは聞いていない。

 だから、それでも良いと思っていた。


 けど、違ったんだ。

 周囲の思惑は、私の想いとは全然違う方向に向いていた。


 ――瀬鱈奏夢は、青森千奈と付き合っていた――


 この情報がどこからか流れてきて、そして、こう歪んだ。

 

 ――立花月葉が、瀬鱈奏夢を寝取った――


 私が彼女がいる瀬鱈君を寝取ったという根拠のない噂が、女子の間で流れる。

 そんな卑猥な噂が学年の女子全体に広まるのに、大した時間は必要なかった。

 学校という閉鎖空間でのスキャンダルは、広がるのが一瞬なんだ。


 それを耳にしたのも、直接聞いた訳じゃない。

 たまたま噂話を聞いただけ。


 そして、女子のコミュニティは、男子には流れない。

 今も普通の顔をして彼と接しているけど……でも、彼は私の変化にいち早く気付く。


「月葉……大丈夫?」


「……うん、大丈夫」


「大丈夫じゃない、その顔は、大丈夫の顔じゃない」


 彼の左目が、以前の様に顔色を伺う目をしていた。


「なんで、分かっちゃうのかな」


「分かるからだよ、月葉、後で時間取れる?」


「……うん、取れるよ」


 片手で隠せる程度で良かった。奏夢君は私の机に掘られた文字に気付いていない。

 寝取り女、死ねって書かれた、その文字に。


 一生懸命消しゴムやコンパスでその文字を消して、平然の顔をして授業を受ける。

 イジメは、反応すればするほど相手が喜ぶんだ。だから、顔には出さない。


 このイジメの主犯は、多分、登古島だ。

 

 部活に見学に来た私を見て、何かしらを感じ取ったに違いない。

 そして彼女は私へのイジメを計画したんだ。


 あんな可愛くてお金持ちの子が主導になるんだもん、やり方が半端じゃない。

 でも、私には奏夢君がいる、彼がいるから、私は大丈夫。


 大丈夫。大丈夫。大丈夫。

 大丈夫だから、大丈夫なのに。

 

 なんでかな、涙が出てきちゃう。

  

 いつの間にかスマホの画面にはヒビが入っていたり、財布がなくなって女子更衣室のゴミ箱に投げ込まれていたり。エスカレートするイジメに、精神がすり減っていて。あらぬ疑いを掛けられ続けて、その目的も終わりも見えないままに、私は一ヶ月もの間イジメられ続けていた。


 でも、奏夢君がいる。

 彼も小学生の時にイジメられてたって言ってた。頼る訳にはいかない。

 傷の舐めあいみたいになっちゃうかもしれないけど、彼がいれば、私は。


 でもね、女の子のイジメって、本当に陰湿なんだよ。

 大切なものほど奪い取って、相手から何にも無くしちゃうんだ。


 私にとって一番大切なもの……それは、奏夢君だった。


 彼に呼び出された休み時間に、私はそれを見てしまった。

 登古島さんが奏夢君と誰もいない体育館裏で、抱き着かれてキスをしている所を。


「やだ、やだよぉ……」


「月葉……月葉、これは、違うんだ!」


「私から全部取らないでよ……大切なもの全部、何もかも奪い取らないでよ!」


 私はまだ、ちゃんとしたキスを奏夢君としていない。

 告白の時にした時は、彼の目を隠していたから。

 

 全部取られちゃう、何もかも取られちゃうんだ。

 それが嫌で、我慢出来なくて、それが彼女の計画だとか、そんな所まで知恵が働かなくて。

 

 ――ぱぁんという、秋空に響く渇いた音。


 私は、登古島さんの事を思いっきり叩いた。

 一生懸命に奏夢君が止めようとしてくれたのに、それを振り切って叩いてしまった。


 そして、彼女の表情が醜く歪む。

 口の中を切った彼女は、血を流した彼女は、大声で悲鳴を上げた。



――



「前々から怖かったんです、一度陸上部に興味があって見学に行った時にも睨まれてて。私と奏夢君ですか? 実は小学校の時に彼とはちょっとした仲だったんです。その時にもキスをしようとしてたくらいですから……はい、それに、彼女には悪い噂がありまして。二年三組の青森千奈っていう先輩と奏夢君って、一時期付き合ってたらしいんですよね。先生も知ってますか? ああ、そうそう、それですそれです、救急車の。はい、あの二人、仲睦まじかったみたいなんですけど、それを立花さんが寝取ったらしいんですよね。そんな彼女だから、今回みたいな暴力手段に出たのかなって、そう思います。傷ですか……結構痛くって、彼女、停学とかになります? 同じクラスで勉強するの怖くて、はい、私は頑張りますから、大丈夫です」


――

次話「ざまぁ」

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