第30話 今は、違うから。

 幸いな事に、クラス内での登古島との距離は遠い。けど、近くには月葉と夏恵の二人がいる。

 もし僕の小学生の時が話題に上がったら、あの二人はどんな感情を抱いてしまうのか。


「奏夢っち、ちょっといいか?」


 一時限目を終えた直後に、隆君が僕を男子トイレへと誘った。

 隆はトイレに入るなり誰もいないのを確認して、扉を背に語り掛ける。


「あの女、何か訳アリか?」


「……なんで、そう思ったの」


「後ろから見ててな、奏夢っち絶対に目を合わそうとしてなかったし。それに、背中のシャツが浮き出るくらいに汗かいてるぜ? 病気を疑ったけど、どうやらそうじゃねぇみてぇだし。何でも話せよ、俺達には隠し事は無しだぜ?」


 この高校に来て、僕は自分の過去を誰かに喋った事は一度も無い。

 知ってしまったら、絶対に侮辱と軽蔑の感情を抱いてしまうから。


 そして、それに耐えられない僕は、きっと他の人達から壁を作る。

 一人になるのは、とても簡単なんだ。


「……うん、分かった」


 でも、隆と夏恵、月葉だけは信じたい。十分間だけの休憩時間だと時間が足りないからと、お昼休みまで待ってもらう事にした。その間、月葉と夏恵の二人にも何かを伝えたかったのだけど……けれど、女子には女子の付き合い方というものがあるのだろう。


 転校生である登古島を囲う様にして、皆で色々な話をしているその輪に、二人もいた。

 あそこから無理して引きはがして話をするのも、正直どうかと思う。


 小学生じゃないんだ、自己紹介をする必要なんかない。

 極力目を合わさない様にし、お昼時間までを無事やり過ごす。


 ――そして。




「え、奏夢って昔イジメられてたの? 可哀想……おいで、私が慰めてあげるからね」


 食堂、例の如く談話室は上級生に占拠されていて、僕達は長机に横一列で座って食事をする。

 夏恵お手製のお弁当に舌鼓をしつつ、隆は僕の話を「そっか、辛かったな」って。


 真面目に聞いているのだろうけど、よっぽど美味しいのかコロッケを口に含む手が止まらない。そんな隆の手を、夏恵さんがぴしゃり叩く。


「真面目に」


「う、うっす。でもよ、その話が本当だとしたら、あの転校生相当ヤバイってことじゃねぇの? 奏夢っちがキレちゃうくらいだろ? でもまぁ、した事はちょっとアレだけどな」


「あの時は、……ううん、何も言い訳が出来ないな」


 一番恐れていた事は、この話を聞いた月葉達が僕と距離を取ってしまう事だったのだけど。

 そんな心配は、一切する必要が無かったみたいだ。


 月葉は今もなお、僕の事をぎゅっと抱き締めてくれている。

 とくんとくんと聞こえてくる彼女の鼓動が、とても温かい。安心する。


「私達もあの子と会話したけど、昔はここに住んでたってだけで、他は何も言ってなかったよ。多分奏夢の事も見てただろうけど、奏夢に対して何か……っていうのも無かったし」


「ね、特別何も……だよね。でも、何も心配する事はないよ。私は何があっても奏夢の事をずっと大好きのままだから。それよりも、本当に奏夢が可哀想だよ。私だったら辛くて学校なんか行けなくなっちゃうもん」


「私、じゃなくて私達、ね。奏夢君、安心していいからね」


「そうだな、まさに、助ける時が来たって感じだよな」


 ……ごめん、何だか、嬉しくて泣いちゃいそうだ。

 孤独が嫌で、一人が嫌で、小学校なんか心の底から行きたくなかった。


 けれど、行かないことは、負けること。

 負けたくなかった、あんな女に。


 抱きしめられていた月葉のお腹から『私、お腹減ったよ』の音が。

 慌てて離れてお腹を押さえる月葉。


「……聞いた?」


「あはは、うん。僕達も食べようか」


 机には、既に冷めかけている学食のカレーライスが二つ。

 冷めているけど、僕にはとても温かく感じられた。


「美味しいね」


 そんな何気ない会話の一つ一つが、僕の欲しかった温もりだ。




 授業が終わると、隆は剣道部に、月葉は陸上部へと向かい。

 夏恵さんは図書委員の仕事をしに図書室へと向かう。


 帰宅部の僕は素直に家に帰って、迫りくる中間試験に向けて勉強でもすればいいのだろうけど。どうしても教室の窓から見える月葉が気になって、帰るに帰れないでいる。


 このまま陸上部の活動が終わるまで教室にいようかな。

 月葉の事だから、待っててくれて嬉しい……みたいな事を言ってくれるだろうし。


 けれど、このまま教室にいるのは危険だ。

 登古島も部活動に当然の如く入っていないのだから、話掛けられたら溜まったもんじゃない。


 となると……図書室かな。

 夏恵さんと一緒なら何となく心強いし、あそこは元々勉強の場でもあるから、丁度いい。

 



「あは、そうなんだ! 姫野宮さんって――」


 図書室の扉を開ける直前に、耳に覚えのある声が聞こえて来た。

 この無駄に少し高いアニメ声は、登古島ルエムの声だ。

 

 扉を開ける前で良かった、一体何の話をしてるんだ?

 ちょっと聞き耳立ててみようかな……。


「ZTSって超カッコいいよね! ウチもアミアミだからさぁ、アミボムも持ってるし、ボラヘとか超いいよね! もう惚れちゃってエグすぎる! えーでもヤバミ感じる、ZTS好きに悪い人いないっていうしさぁ、しかもヨルシでしょ!? あーしはパル君だから同担じゃなくって本当に良かったぁ! 姫野宮さんとはいつメンになれそうだよぉー!」


 ごめん、何語これ? 海外に行ってたからか? 何を喋ってるのか分からないぞ?


「え、アミボムも持ってるって事は直メンしたの!? 生ヨルシってこと!?」


「いひひひ、いいでしょー? あーしは親の力が凄いからねぇ! 姫野宮さんがどうしてもって言うなら次のライブ一緒に行ってもいいよ?」


「本当に!? えーどうしよう、量産型のメイクしか出来ないよ!」

 

 どうやら日本語らしい。そういえばこの前、夏恵さんはZTSが好きだって言ってたっけ。

 共通の趣味が出来ちゃったって事か……あまり仲良くなって欲しくないのが本だけど。


「それ、姫野宮さんのスマホ? あ、分かった、ロック画面とかヨルシ君でしょー? 見せてみー、あーしがチェックしてあげっからさぁ」


「あ、ちょっと」


「……これ、同じクラスの。なに、付き合ってるの?」


 多分、月葉が入れ替えた写真だ。夏恵さんそのままにしておいてくれたんだ。

 でも、それを見たって事は、僕が映ってる写真ってこと。


「藤堂君と」


「……ふぅん」


 なんだ、一気に静まり返ったぞ。多分写真を見てるんだろうけど、どんな顔してるんだ?

 気になるが、とっても気になるが……流石に扉を開けるのは不味いよな。


「ま、良かったじゃん。この四人がいつメンなん?」


「うん、そう。大切な人達」


「そっか、大切にしなね。あーしは転校が多くて友達作れなかったからさ。あ、あと喋り方もZTSファンのアミアミとしかこうやって喋らないから、内緒にしてね」


 じゃ、校内ぐるっと見て来るから! って声と共に足音が。

 慌てて近くの階段裏に隠れて、登古島の足音が消えるまで全集中で気配を消す。


 ――――――よし、行ったな。

 図書室専用の木製の飾り扉を開けると、入り口左側にあるカウンター席の夏恵が僕に気付く。


「……あ、奏夢君」


「ごめん、勉強しにきたんだけど、話し声が聞こえたから」


 僕との事情は夏恵さんも知っている。

 近づくなり、彼女は登古島についての情報を教えてくれた。


「登古島さん、喋ってる感じでは普通な感じだったけど……でも、多分まだ奏夢君のこと、あまり良く思ってないかも。写真を見た時にね、一瞬だけ凄い表情になったの。何て言うか、険のある表情って言うのかな……眉間にシワを寄せて、睨む感じ」


「そう、なんだ、ありがとう。やっぱり、直接会わない様に気を付けた方が良さそうだね」


 事前に話しをしておいて良かった、このまま会わない様にして帰宅した方が無難だな。

 また半年もすれば転校するかもしれないし、波風立たせないよう注意しないと。



――立花月葉――


 はぁっはぁっ、タイム、思ったよりも縮まらないな。

 三千メートル、前は十一分切ってたのに。


 昼間カレーとか食べてる場合じゃなかったのかも。

 来年の大会までには何としても十一分切るようにしたい。


「月葉、何かお客さんだってさ」


「お客さん? アタシに?」


「クールダウンがてら、相手してくれば?」


 誰だろう、流石に奏夢君は部活の最中には来ないと思うけど。

 冷えない様にタオルで汗を拭いて、上からジャージを羽織る。

 スポーツドリンク片手に向かった先に居た人物を見て、一瞬だけ私は眉を顰める。


「こんにちは、立花さん」


 透き通る様な金髪、皆が可愛いって思うこの女の子を、私はそうとは思えない。

 登古島ルエム、小学生時代の奏夢君がイジメられた原因の人。


「……何の用ですか」


「ううん、別に、もう用事は終わったから」

  

 じゃあねって言いながら彼女は振り返り、立ち去ろうとする。

 その背中に私は叫ぶように言葉をぶつけた。


「今は、違うから!」


 その言葉の真意を理解したのか、一瞬だけ歩みを止めて、彼女は手だけを振っていなくなる。


 この時の彼女の目的が私には分からなかった。

 奏夢君をターゲットにして何かするんじゃないのかって、そんな事を心配していたのだけど。


 けど、それ以上に心配しなくちゃいけないのは、私自身の事だった。


――

次話「私は頑張りますから、大丈夫です」

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