第24話 ……浮気相手になってくれますか?

瀬鱈奏夢

――


 あれだけ燃え盛っていたキャンプファイアーの炎も、今は下火になっている。夜のとばりが下りるのを、校庭に設置された照明と、今も残る賑やかな生徒達で精一杯防いでいて。みんな、心の底から文化祭を楽しんだ、文化祭最終日、最後の時間。


 もう間もなく先生方の指導が入るであろう時刻だけど、僕は立花さんの話に耳を傾ける。


 千奈の心変わりの原因、その全てが明らかになった。

 渚砂さんも言っていた、成長したいって嘆く千奈の言葉。


 僕がいなくなった未来を想像し、このままだと僕に依存してしまう未来を、彼女は否定したんだ。僕が千奈を助け続ける、それが僕の負担になると考えて、つまりは僕の為に千奈はその身を退いた。そして、千奈自身が成長する為に。


 僕が人を助けるのは、自分が負った心の闇が原因だ。人から嫌われる事を恐れている内に、自然と困っている人を助ける様になり、それが当たり前だと思うようになっていた。


 色が見えるから、感情が見えるから。僕は、なによりも人が怖いんだ。

 嫌われたくない、離れて欲しくない。笑顔が笑顔のままでいてくれれば、それでいい。


 でも、そんな僕に頼りきってしまう自分が嫌で、千奈は僕の下を去ってしまった。

 頼って欲しかった、もっと遠慮なく頼って欲しいと思っていたのに。


「…………ぅ、っく……」


 じゃあ、一体どうすれば良かったんだ。千奈が僕と一緒に居れる未来は、どうすれば手に入れる事ができたんだ。僕は出来ること全部をしてきた、なのに、それじゃダメって言われるのだとしたら、もう、何も分からないよ。


「奏夢君……」


「……ごめん、ごめん、泣いてるなんて、男らしくないよね」


「ううん、いいよ。別におかしくなんてない」


「だって……だって」


 男は泣く生き物じゃないから。男だから、ずっと強くないといけないから。

 助けなくちゃいけなくて、頼られなくきゃいけなくて、応えなきゃいけなくて。


「……いいの、私の前じゃ、そんなに無理する必要ないから。いいんだよ、ありのままの奏夢君で。あれだけ沢山の人を助けたんだもん、そろそろ助けられる番だよ?」


 失恋。


 僕は失恋をした翌日に、恋をしてしまいそうになる。

 なんて簡単な生き物なんだと、嘲笑う自分がいる。


 千奈の事が忘れられなくて、朝日で目が覚めても千奈の事を考えてたのに。

 ……今は、立花さんの事を見ている僕がいる。


 優しく頭を撫でてくれて、包み込む体温は、香りは、やっぱり千奈とは違う。

 けど……安心する、一人じゃないって、とても安心する。


「ねぇ、一個だけ聞いてもいい?」


「……うん」


「私にさ、彼氏がいるって、どうして思ったの?」


「……それは、冨樫の時に、立花さんが彼氏がいるって言ってたから」


「え? それ、いつの話?」


「いつって……結構前、図書室で絡まれたの、覚えてない?」


 もたれかかっていた身体を起こして、立花さんを見ると……どうやら、本当に覚えていないみたいで、首をこてんと下げてどこでもない虚空を見ていた。


 長い睫毛に、ポニーテールにした髪が風に揺れている。細いけど鍛えられた足は、柔らかさよりも筋が浮かぶ程に筋肉がついていて。腰回りも、制服を押し上げる胸も、全部千奈とは違う。


 けど、立花さんは立花さんの美しさがある。


「……あ、もしかしてあの時の」


 見惚れていると、ぽんと手を叩き僕を見る。


「思い出した?」


「ふふ、うん、思い出した。そう言えばそんなこと言ってたっけ。え~、意外、奏夢君って何でも見透かす様な雰囲気あったのに、あんなのに騙されるんだね」


「騙されるって」


 丸太に座っていた足をピンと投げ出して、立花さんは飛ぶようにして立ち上がる。

 後ろでに手を繋ぎ、少しだけ振り返って八重歯を見せ、笑顔に。


「……いないよ、彼氏なんて」 


「え」


「ふふ、奏夢君は人の言葉をそのまま信じる所があるみたいだね。そんな所も可愛いと思うけど。でも、残念でした、私には彼氏はいません。だって、もし居たらさ……」


 僕の手を取って、引っ張るようにして起こすと、彼女は笑顔になってこう言った。


「……浮気相手になってくれますか? ……なんて、こんな告白になっちゃうよ?」


 鎮火しつつあるキャンプファイアーが、彼女の頬を赤く照らす。

 そろそろ最後のともしびになろうという時に、僕の目は立花さんの色を捕らえた。


 ――が、急に塞がれる。立花さんの手が、僕の眼帯を付けていない左目を塞いだ。


「見ちゃダメ、言葉だけで気付いて」


 真っ暗な世界、立花さんの言葉だけの世界。


「私はね、奏夢君の事が好き。どうしようも無いくらいに好き。でも、今は奏夢君が失恋したてだって分かってる。だから、時間が掛かってでもいい、私に惚れて。どうしようもないくらいに私に惚れて。困った事があったら全部私に頼って、無理しなくていい、何にも気にしなくていい、私は、奏夢君の全部を受け入れるから」


 温かいものが唇に振れる。

 目を塞がれたままでしたキスは、普段とは全然違う感触がした。


「……分かった?」


「…………わかっ、た」


「ならば宜しい」


 満足そうな笑みを浮かべた彼女は、小さな頭をくてんと僕の胸に預ける。完全脱力状態なのか、上半身全部を僕に預けると、彼女はそのままズルズルと落ちていきそうになる。慌てて支えたけど……軽いな、立花さん。そのままふわっと持ち上がりそうなくらい軽い。


「あ~緊張したぁ~……」


「だ、大丈夫?」


「無理、心の底から緊張したから。告白って、度胸と勇気、めっちゃ必要だね」


「そう、かもね」


 ひょこって顔を上げて僕を見るその目は……なんだか小動物みたい。

 ポニーテールがゆらゆら揺れてて、尻尾に見える。可愛い。


「奏夢君さ」


「うん」


「告白、した事ないの?」


「どうだろう? 好きとか、愛してるは言ったけど、付き合って下さいとかは無いかな」


「なんそれ、ちょっとショック。私にも言ってよね」


「……あ、えっと、うん。え? 本当にいいの、僕なんかで」


「いいよ? 貴方なんかで」


 ちょっと棘のある言い方をした彼女は、それでも笑顔になって僕の手を取る。

 千奈との事を忘れられるかって言ったら、多分忘れられないと思うけど。


 いつの日か成長した千奈とは、友人としてお付き合いできたらなって、心のどこかで思う。 

 そうじゃないと、別れた意味がないから……それに、僕も成長しないといけない。


「ずっと立花さんに甘える訳にはいかないからね」


「別に? 私はそれでも構いませんが? あと、いつまで苗字で呼ぶのさ」


「……月葉、さん」


「うん、これからはそれで宜しくね。あ、おーい、夏恵~」


 ぴょんって跳ねながら姫野宮さんの所に行くと、今度は月葉が頭を撫でられていて。

 側にいた藤堂君がテクテクと歩いてきて、僕の肩に腕を回す。


「よ、大告白だったじゃん」


「……まぁ、ね」


「それで、受けたんだろ?」


「……うん。結構酷い男だよね。昨日失恋して、今日彼女が出来るって」


「別に、いいんじゃね? 奏夢が元気ならそれでいい。それよりもさ、夏恵が一緒にWデート行こうって言ってるんだけどよ。明日奏夢っち暇してる? っていうか暇だよな? だから明日の十時、雲間駅に集合な」


「あ、ちょっと待って。藤堂君、君いつから姫野宮さんと仲良くなったのさ」


「あ? 別にいいだろ人の恋路は」


「良くない、僕のは全部見てたんでしょ? ちゃんと全部聞かせて貰うからね」


 「いつまで男二人で仲良くしてんのさ! 帰るよ!」って月葉が叫ぶ。


 浮気から始まった恋は、失恋という形を迎えてしまったけど。

 僕は、千奈との日々を忘れる事は、きっとないと思う。




『ね、ねえ、君が誰なのか知らないけど、私付き合ってる人がいてね。悪いけど君と付き合う事は出来ないし、こんな所を誰かに見られたら不味いの。だから、ちょっと、手を離してくれたら嬉しいんだけどな』

 

『え? ねえ、人の話聞いてる?』


 あの時の君の表情を、掴んだ腕の柔らかさを。

 忘れることなんかできない、今もあの日の事を鮮明に思い出せてしまうから。

 

『ね、良かったらだけどさ』


『さっきの叫びの相手……君にしてもらえないかな』


 秘密の浜辺で夕陽に包まれた君を。

 照れながらも、笑顔を取り戻した君を。




 思い出すと、悲しみと喜びで溢れてしまうあの日を、僕は忘れない。

 甘くてしょっぱくて、涙が出てきてしまうけど、それでも。


 大好きでした、心の底から。

 愛してました、誰よりも。


 だけど、貴女がそれを選んだのならば、僕もそれを受け入れます。

 だって、大好きだったから。愛してたから。


 ありがとう、千奈。


――

次話「身近にいた人が、一番自分を理解していた件について」


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