第19話 色の無い彼女

瀬鱈奏夢

――


「御堂中さんと、会って話そうと思います」


 文化祭前日、僕の姿は雲間駅のコーヒーショップの中にあった。

 前に座るのは千奈の親友である瀬々木渚砂さん。


 相も変わらずの派手めなヘアスタイルに、学校を終えた彼女のネイルはゴッテゴテに飾り付けられていて。注文してあったフラペチーノを口にしながら、僕の事をジロリと睨みつける。

 

「そんなの、アタシも行くに決まってんだろ。直接的に関わった訳じゃないからアタシからは動かなかったけど、奏夢が動くんならアタシも行くよ」


 頼りになる姉御肌の人だ、実際付いてきてもらった方が助かるとは思うけど。

 でも、それじゃダメだ。


「いえ、僕一人で行きます」


「……なんで」


「渚砂さん、御堂中さんと顔を合わせたら殴りかかっちゃいませんか?」


 ぽかんって顔をした後に、リップが付いたストローを口から外し、少しにやける。


「さすがのアタシもそこまでしないよ。奏夢、アンタアタシのこと獣か何かと勘違いしてないかい? 澄芽の頬を二、三十発ぶん殴るだけだから、安心しなって」


 だからダメなんですよって顔をしていると、流石に冗談だよって渚砂さんはストローを口に運ぶ。店内のBGMと雰囲気、渚砂さんはこういう所に来るとひと際目立つ人だ。多分、一緒にコーヒーを飲んでいる僕は相当に渚砂さんに相応しくない人物なのだと思う。


 そんな人と一緒に出歩いてしまっては、必要以上に目立ってしまう。できる限り穏便に事を済ませたいと思う僕としては、渚砂さんの提案はありがたいけど、申し訳ないがお断りさせて頂いた。


「何かあったら千奈も心配するからね、スマホの発信だけは出来るようにしとくんだよ」


「……ありがとうございます、ですが僕だって一応は男ですから。大丈夫ですよ」


 女性相手に力で負けるつもりはない。かと言って力で解決するつもりもない。

 僕が聞きたいのは一つだけ。多分、誰も気づいていない彼女の秘密……それだけだ。




「お待たせしました」


 文化祭で賑わう晴島高校から歩いて二十分ほどの運動公園に、僕は御堂中さんを呼び出した。

 そもそも来てくれるか不安だったけど、どうやらそれは杞憂に終わったらしい。


 木陰で一人スマホをいじっている彼女は、僕の言葉を聞くと視線を上にあげた。


「男に呼び出されて向かわないなんて、私じゃないからね。それで? 話しってなんだい」


 御堂中さんは僕を見る。冨樫と結託して千奈を騙すも、彼女を救う為のヒントを残す。

 きっと、彼女はこうやって寂しさを紛らわせてきたに違いない。

 思えば、御堂中さんの心の色はずっと無色だった。色の無い心、感情のない心。


 カラオケの場でも、藤堂君とキスをする時も、旧校舎に向かう前も。

 何をしても楽しいと思う事も、悲しいと思う事もない。


 それはきっと、生きる意味を見出す事すら出来ない、とても悲しい感情だ。


「御堂中さん」


「……はいよ」


「今度、千奈と会ってくれませんか?」


 ベンチに座ったまま僕を見ていた彼女の視線が、スマホへと戻る。心の色が、今も付かない。

 漆黒に渦巻く感情も珍しいけど、彼女みたいに何も無い人はもっと珍しい。


「……会わない。怒られるのは苦手なんだ」


「怒りはしません。だって、御堂中さんは千奈を助けてくれたから」


 スマホをいじる手が、止まる。


「貴女が旧校舎に行かない方が良いって言ってくれたから、僕は千奈が襲われているって気付くことが出来ました。あれが無かったら僕は彼女を見つけだす事が出来なかったでしょう、だから――」


「やめな」


 感謝を伝えようとすると、御堂中さんは立ちあがり僕へと近寄る。

 その眉は少しだけ下がっているが、相変わらず色はなくて。


「防音室の事を冨樫に教えたのは私だよ。アソコで何回かした事があるからね。例え近くを誰かが通っていても、施錠さえされていれば誰も気づくことがない。どれだけの声を上げても、何をされてもね」


 その語り口調は、彼女が本当に経験したから言える言葉なのであろう。

 思えば、音楽準備室だけは埃が少なかった気がする。


「……ですが」


「そんな事を期待したんじゃないんだよ。瀬鱈奏夢、アンタ、千奈と付き合ってるんだって?」


 抑揚の無い声で僕に近付きながら、囁くように声をかける。

 耳にかけられる吐息、蛇が舌先でチロチロするみたいに、耳たぶを這う薄い舌。


「私ね、そういう誰かの男って本当に魅力があると思うんだ……。だから、この前の時は抱かなかったけど、今の奏夢なら合格。このままホテルでも行く? それともここでする? 私はなんだっていいよ? 奏夢の好きな様にして構わないからさぁ」


「――貴女は、感情が無い人だ」


 僕に絡みついていた手足が動きを止める。

 

「人が認めた物しか受け入れない、自分に一切の価値が無いと思い込んでいる」


「……」


「だから他人に合わせようとする。自分を安く安く見積もって行動してしまう。違うよ、御堂中さん。貴女はもっと自分を大切にするべきだ。色を無くしてしまった貴女でも、きっともっと幸せになる事ができるから……だから、諦めちゃダメだ」


 巻き付いていた手足が離れると、とたんに彼女は僕の頬を叩く。

 一発、二発と叩かれるそれは、とても痛くて。


「そんな言葉、聞きたくない」


「……御堂中さん、それでも僕には貴女がそんな事を望む人には見えないんだ」


 興奮した口調で語る彼女に、僕も負けじと反論する。

 図星を付かれて、嘘を見抜かれて怒っている感じで振る舞う彼女なのだけど。


「アンタに私の何が分かるって言うんだ……適当なこと言ってんじゃないよ! 男なんだろ!? だったら女を抱くのが好きなんじゃないのかよ! ふざけんな! ふざけんなぁ!」


 叩き続ける彼女だけど、僕の眼帯が取れた瞬間にその手を止めた。

 ジンジンする程に頬が痛いけど、でも、僕は彼女を見る。

 色を失ってしまった僕の眼が、彼女の無くなってしまった色彩の無い輪郭を。 


「……御堂中さん、今のこれだって、全部嘘だ。怒りですらも仮初なんて、一体どんな人生を歩んできたら、そんな、悲しい感情になってしまうんですか――」


 僕は彼女へと近寄り、強く抱きしめる。


 きっと、御堂中さんは僕が思っていた以上の人生を歩んできたに違いない。

 けれど、彼女はまだ高校二年生だ。


 背負うには重すぎるんじゃないのか……何が彼女をこんなにしてしまったのか。

 許せないと思うのと同時に、彼女の事がとても可哀想になってしまって。


 ただただ強く抱きしめて、僕から逃げようとする彼女を、ずっと強く抱きしめて。

 そして、二人で泣いた。沢山泣いた、なんで世の中はこんなに不浄で溢れてるんだって。




「……私、アンタみたいな男初めてだよ」


 近くの自販機で買ってきたお茶を手渡すと、御堂中さんは素直に受け取って、一口。

 立ったままの僕のことをチラリとみて、隣に座るようベンチをぽんぽんと叩く。


 僕が座ったのを満足そうな表情で見て、彼女はその身を少しだけ近づけた。


「心が無い、か。はは、確かにそうかもね。でも、私の過去を語った所で何が変わる訳じゃない。ずっと何も変わらないんだよ、だから、私も変わらない」


「……それでも、未来は変えられますよ。今は変わらなくても、きっと」


 だって、泣いていた貴女は、黒い感情が少しだけ芽生えていたから。


 その色は本当ならあまり良くない色だけど、生まれたての赤ちゃんだって泣きながら生まれるんだ。きっと色々な感情が混じった色、それが黒なんだ。多原色にして、原点。それが、黒。


「なんか、さ。アンタの言葉、一個一個が胸に突き刺さってムカつくんだわ」


「そうですか、でも、それでもきっと良い事です。……言いたい事は伝えました。そろそろ文化祭に戻らないと、店番に間に合わなくなってしまいます」


 立ち上がった僕の手を、御堂中さんが掴む。

 ついさっきまで僕を叩いていたせいか、少しだけ熱を持ったその手は、赤くなっていて。


「……こんなの、柄じゃないって分かってるんだけどさ」


「……はい」


「…………また、こうして二人で会ってくれないか?」


 僅かに上がる口角、今まで見たことのない彼女の照れ笑いは、きっと女の子の最強の武器だ。


 精一杯の言葉。彼女が犯した罪は決して許される事じゃない。

 けど、冨樫とは違う。僅かながらの罪悪感があるのだとしたら、きっと。


――

次話「立花月葉、気づかれた想い」

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