第12話 彼女の部屋
一歩踏み込んだ瞬間、千奈の香りが全身を包み込む。あ、この香りと雰囲気は間違いなく千奈だ。真っ白なカーペットにピンクの布団、戸棚の上には可愛らしい人形が沢山並んでいて。
勉強机には教科書や参考書、お手製の単語カードが並び、他には文化祭で販売すると言っていたハーバリウムボールペンだろう、それが製作途中の状態で置かれていた。
「ごめんね、お家に呼ぶとは思ってなくて、結構汚いよね」
「いや、そんな事は……あの、失礼します」
「あははは……うん、どうぞご自由に」
小さな白い丸机を挟む様にして僕はクッションに座り、彼女はベッドに腰掛ける。
壁には雨で濡れた制服が干されていて、なんていうか……物凄い生活感溢れる部屋だ。
ここで千奈は毎朝起きて、毎晩寝ている。そこに僕がいるという違和感。
……どうしよう、全然落ち着かないぞ。
「さっきの話だけど……ごめんね、嘘ついてたのは本当なんだ」
頭を切り替えよう、そうだ、僕は千奈の部屋を堪能しに来たんじゃない。
「そう、なんだ」
「うん、藤堂君って言ったっけ、彼の言う通り、私はあの日冨樫とキスをした。でも、それは無理やりのキスだったの」
ぬいぐるみの一つを抱きかかえて、顔をうずめながら千奈は語る。
「無理やり?」
「うん……部屋を飛び出していった奏夢を追いかけようとしたらね、冨樫が私の事を掴んで離してくれなくて。それで、無理やり……。藤堂君の言う通りだよ、舌も入れられたし、命令通りの状態にされてた。でも、そんなの伝えたら奏夢悲しむと思ったし、私、一応口とかゆすいでたから……。言えなくて、ごめんなさい」
ふつふつと怒りが湧いてくる。千奈の表情は黒い。
漆黒とまではいかないが、悲しみに包まれている。
藤堂の言った事が嘘じゃなかった、けど、嘘を付いた理由は僕を思う為だった。
がりがりと頭を掻いて、目を閉じる。
「謝るのは僕の方だ。ごめん、千奈はずっと僕の事を考えててくれてたんだよね」
「……だって、今は奏夢の事しか考えてないから……。けど、信じてくれてなくて、さっきは取り乱しちゃった。ごめんね、何か、情緒不安定なんだ……本当にごめんなさい」
ベッドの側まで近寄って、僕は千奈を抱き締める。
僕が千奈を信用しないで、一体誰が千奈を信用するんだ。
自分の馬鹿さ加減に呆れてくる、たった一人の女の子すら信じる事が出来ないなんて。
もう一度キスを交わし、僕は手を握り彼女の横に座った。
「そういえば、今日瀬々木さんに呼び出されたんだ」
「……え、渚砂から?」
「うん、電車で別れた後すぐに」
「それって加茂鹿駅って事だよね? 渚砂の家は雲間駅の方なのに……それで、渚砂は?」
「僕と千奈の関係性について聞かれた。それと……千奈を傷つけたら許さないって」
他にも捻じれがあるって彼女は言っていたけど、それが何を意味するのか。
僕の言葉を聞いて千奈は口に手を当て考える。けど、結果は同じだった。
「分からない……何だろう、捻じれって」
「でも、千奈が瀬々木さんを見たのは間違いないんでしょ?」
「うん、間違いないと思う。あんなネイルしてるの渚砂くらいしかいないし。……そういえば、奏夢が見て渚砂は、その、何色に見えてたの?」
瀬々木さんの色、それは基本青だった。食堂で見た時も、カラオケで見た時も。
ついでに僕と会った時も青だったけど……そう考えると、彼女は常時怒っている事に。
「あはは、渚砂怒りっぽいから……けど、カラオケの時に怒ってるって、一体何にだろう? ……分からないな。ねぇ、その奏夢の心を見るって、色以外じゃ見れないの? 言葉になったりとかは?」
「それは流石に、子供の頃から見れてたけど、文字になった事は一度も無い」
「そっか……ねぇ、私って何色に見えてたの?」
「初めて会った時は漆黒。千奈の輪郭や表情が分からないくらいに真っ黒だった。経験上、あの色をした人は自分から命を絶ってしまう事が多かったから……だから、助けなきゃって思った」
思えば、レストランでの千奈の色は漆黒まではいってなかった様な気がする。黒かったけど、純粋な悲しみだけの黒。黒にも種類があって、漆黒はなんか渦巻いてる感じなんだ。それが完全に死を意識した時の色。あの色をした人は、そう多くない。
「それで私の事を海まで……。不思議だったんだ、今まで何も無かったはずなのに、なんで分かったのかなって。でも、訊かなかった。訊いちゃったら奏夢の事を疑ってるって思われそうで、それは、もう耐えられないなって思ってたから」
横に座る千奈は両手をベッドについて、少しだけ俯き加減になって。
そして、上目遣いで僕を見る。
「要はね、私が嫌われる事に慣れてないから何だと思うよ。冨樫に嫌われる事も、渚砂に嫌われる事も……奏夢に嫌われる事も。だから、奏夢が私を信じてくれてないって思った時、あんな風になっちゃったんた。……あはは、子供だね、私」
「酷い事を言ったのは僕だ、本当に、ごめん」
「ううん、黙ってたのは私だし。嘘を付いたのも本当だから。ごめんね、でも、やっと決心がついたよ」
「……それって」
「うん、私、冨樫と別れる。優柔不断な私のせいで奏夢を困らせてるみたいだし。明日の放課後、冨樫と二人で話をしてくる。奏夢は駅で待っててよ、それが終わったら奏夢のこと両親に紹介するから」
嬉しかった。ただ嬉しかった。最高の幸せしか想像できなくて。
明日が終われば僕達は彼氏彼女の関係になれる、浮気じゃない、カップルって存在に。
「あれ? 彼氏さんご飯食べてかないの?」
「それはまた今度にするよ。月奈ちゃんだっけ、またね」
「姉ちゃんまた出かけるんだ」
「そこまで送っていくだけだから、すぐに戻るよ」
千奈と一緒に家を出た後、僕達はもう一度抱き締めあい、そしてキスをする。
「……今の私の色って、何色してるの?」
「今は、ピンクと白、そして赤」
「それって」
「恋心と歓喜、それに惚れてるってこと」
「……なんか、照れるね。筒抜けだったんだ。このこと知ってるのって」
「いないよ、千奈だけ」
「……ふふ、そっか、なんか嬉しい」
亀裂が入ってしまう程の悲しみを乗り越えて、僕は明日を目指す。
千奈が決心したのだから、終わりは間近だ。
けれど、翌日。
「昨日はどうも、ちょっと一緒に来てくれるかい?」
僕の前には瀬々木渚砂が立ちふさがる。
彼女の色は、相変わらずの青だ。
――
次話「親友の告白」
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