第11話 誤解の真相

「なんで、嘘だって思うの」


 千奈の黒目が大きく広がったと思うと、その目が段々と細まっていく。涙袋から零れる様に溢れた雫が目じりへと溜まっていき、そして一筋の道となって頬を伝った。


 千奈の涙を見て、僕の心臓が痛む。心が痛い。二重螺旋の痛みが内外から僕を襲う。

 ごくりと渇いた喉を唾で潤してから、僕は言葉を続けた。


「聞いたんだ、藤堂から。千奈が冨樫とキスしてから僕の所に来たって」


「それは、あの時は」


 聞く必要は無かったんじゃないのか? けど、口にしてしまった以上、もう戻せない。

 だから悔いの無いように全てをきちんと聞く、何故嘘を付いたのか、その理由を。


 聞いた上で、これからを考えたってきっと遅くはない。

 何も無ければ千奈だって素直に全部語ってくれるはず。


「あの時、千奈は僕にしてないって言ってくれた。たった一個の嘘だったけど、それが僕の中にしこりとして残ってしまっているんだ。……教えて欲しい、どうしてあの時嘘を付いたのか」


「だから、私が浮気をどうして知ったのかって、そういうとこまで疑ったって奏夢は言うの?」


「そうじゃない、そうじゃないけど……でも、彼が嘘を付くメリットは何一つとして――」


 千奈はスカートの裾を握り締めながら、俯き震えていた。

 そして絞り出す様に僕を見ずにこう言ったんだ。


「……いいよ、もう」


「いいよって、良くない。だってあの時千奈は」


「どうせ信じてくれないんでしょ、もう私には奏夢しかいないって何度も言ったよ? 一番苦しい時に奏夢が助けてくれて本当に嬉しかった。不思議な力で私の事をずっと助けてくれてるって、そう思ってたのに……。疑われたりするのが、今はきついんだよ。奏夢が思ってるよりも、ずっと苦しいんだよ。耐えられないって思っちゃうんだよ」


「千奈!」


 ダメだ、失敗した、訊くべきじゃ無かった。

 今の千奈の色はあの時みたいに漆黒に染まっている。

  

 立ち上がった千奈の手を取って、僕は彼女を背後から抱き締める。


「離して」


「ダメだ! 離せない! だって今の千奈はあの時と同じになっているから!」


「なにそれ、意味分からないよ、あの時って……なに?」


「僕は……僕は! 人の心が見えるんだ!」


 僕一番の秘密、まだ誰にも打ち明けた事の無いスキル。

 こちらを見ないまま、千奈は逃げようとする足を止める。

 

「……なによそれ、そんなの出来る訳ないじゃない。嘘ばっかり言わないでよ」


「嘘じゃない、本当なんだ。僕には人の感情が色になって見る事ができる。今の千奈は冨樫と喧嘩してた時と同じ色をしている。真っ黒なんだよ、千奈の顔すら見えない程の闇だ……ごめん、僕が変な事を聞いてしまったから、本当にごめん」


 時刻は気付けば二十時を回ろうとしている。家族連れやカップルたちで賑わっていた店内が静まり返り、僕と千奈のやり取りを物珍し気に眺めている中、僕は自身の秘密を暴露した。


「……それ、本当なの」


「嘘じゃない、何ならこのお店の人たち全員の感情を言い当ててみせる」


「……じゃあ、さっきの私の気持ちだって見抜いてよ。嘘じゃなかったでしょ……」


 泣き声のまま語る千奈を見て、僕は後悔する。


 嘘じゃなかった。キスをした直後の千奈の顔は、ピンクと白、そして少しだけ黒の混じった色をしていた。不安が少しだけ顔を覗かせていたけど、安心と喜びが混ざった感情だって分かってたのに。


「千奈」


「……うん、分かった。でも、場所変えよ」


 奇異の視線が僕達に浴びせかける様に飛んできている。確かにこの場は難しい。

 かといって時間的にもどこかお店というのも厳しいだろう、僕の服装は制服のままだし。


 千奈は席に戻って荷物を纏めると、僕の手を引っ張る。


「……どこに?」


「お家」


「お家、お家って、千奈の? いや、それしかないよね……。え、千奈のお家? 今から行って親御さんとか大丈夫なの? っていうか、僕が千奈のお家に行っても平気なの?」


 慌てる僕を見て、千奈はくすりと笑う。


「……多分平気だよ。良かった、いつもの奏夢に戻ってくれて」


「いや、僕は……ううん、そうだね。ちょっと考えすぎてたみたい」


「行こ、ここからそんなに遠くないから」


 外に出ると雨は上がっていて。星空……までは見えないけど、雲の隙間から月の明かりが零れる様な夜空の下、僕と千奈は手を繋いで夜道を歩く。


 千奈の家は幅枚駅から徒歩で十五分ほどの住宅街の一角。

 分譲住宅かな、同じ様な家が立ち並ぶ家の中の一件が、千奈の家だった。


「チロ、しー、静かにね」


 外に飼われている真っ白な大型犬の頭を撫でて、千奈が僕を手招きする。

 大きな車も停まっているし、多分親御さんは帰宅していると思われるけど。

 

「ただいまー」


 千奈が大きな声で帰りを告げると、居間と繋がっていると思われる扉が開き、ツインテールの女の子がとことこと現れる。妹さんだろうか? 雰囲気が千奈とあまり似てないような。

 

「お帰り~、姉ちゃん今日の晩御飯は……って、誰、それ」


「姉ちゃんの友達。お母さんとお父さんには内緒にしててね」


「へぇ……この人が例の。なんか、冴えない顔してるね」


「いいから、月奈るなは余計なこと言わないの」


「へいへい、あ、お母さんとお父さん買い物行ってるから、多分一時間は帰らないよ」


 じゃ、ごゆっくり~って妹さんは居なくなったけど。

 僕を見て表情の色が付かなかった、好きでも嫌いでも何でもないって事か。

 それにしても例のって、なんだ。まぁいいか、とにかく上がろう。


「お邪魔しま…………っ!」


 階段を上がろうとして、前を歩く千奈のミニスカートの中が思わず視界に飛び込んでくる。

 違うだろ、そんな空気にする為に僕は千奈の家に来た訳じゃない。

 

 決して薄緑のパンツを見る為に来た訳じゃないのに。

 でも、ちょっとくらいなら、いいかな。ダメだ、ダメだダメだ。


「……どうしたの?」


「ううん、何でもない」


 振り向いた千奈の不思議そうな顔を裏切る訳にはいかない。

 ただでさえ泣かせてしまったのだから、もう同じ失敗は二度と。

 

――

次話「彼女の部屋」

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