第9話 迷走する気持ち

 たまに千奈とは連絡が付かなくなることがある。帰りの待ち合わせをした時や、買い出しから戻った後なんかがそうだ。僕が送ったメッセージに既読すらつかなくて、一体千奈が何をしているのかが全然分からない。


 分からない事と言えば、千奈の気持ちだってそうだ。冨樫賢介に浮気されて死ぬ程辛かったはずなのに、だけど別れなくて。浮気相手になって欲しいって言われたから、僕はそれに軽い気持ちで返事をしてしまった。


 思えば、全ては僕の暴走なんじゃないだろうか。千奈には浮気したい気持ちが根っこからあった訳じゃない。千奈の浮気は、浮気した冨樫への復讐なんだ。


 言い換えれば、今も変わらず千奈は冨樫の事が好きってこと。好きの気持ちから何も変わっていない……だから王様ゲームとはいえ冨樫とはキスもするし、背後から抱き着かれても立花さんみたいに拒絶しない。


 でも、僕も言ったじゃないか。自分で言ったんだ、好きの気持ちが直ぐには変わらないって。

 ゆっくりと僕を好きになって欲しいって、自分で言ったのに……なんで急激な変化を求める。


 僕は本命じゃない。わきまえて行動するべきだ。

 立花さんに惚れられてるかもって勘違いもしちゃってたし。


「……ダメだな、最近、なんか全然ダメダメだ」


 雨が降る晴島駅の改札口脇のベンチで、独り言ひとりごちる。

 ちょっと前まで傘をさして走ってきた生徒で賑わいを見せていたけど、今は閑散としていて。


 掘っ立て小屋みたいな駅の屋根を叩く雨音が振動として伝わってくる。ゲリラ豪雨みたいな雨を眺めながら、イヤホンから流れる音楽に酔いしれた。動画サイトのミュージックの自動再生、延々と流れる様々な曲は、頭の中を空っぽにするのにちょうどいい。


 今は、何も考えたくない。

 信じるとか信じないとか、そういうのじゃなくて。


 なんでかな、とっても悔しい。

 千奈が冨樫とキスをした。


 それは、僕と知り合う前から付き合っていた二人なら、当然のことなんだ。

 いつから二人が付き合い始めたのかなんて知らない、どこまでの関係かも知らない。

 

 もう、知りたいとも思わない。知った所で僕のメンタルが壊れるだけだから。

 僕という存在で千奈の心が幾分でも救われたのなら、それでいい。


 現に今も千奈は生きている。僕みたいな存在でも命が救えたのなら、それで満足すべきだ。

 そう、欲張っちゃいけない、元々他の人の女性なのだから。




 図書室のやり取りから一週間が経過した。千奈からのメッセージの頻度はあからさまに減ってきていて、一緒に帰る事もほとんど無くなった。文化祭の準備っていうのが名目上の理由ではあるのだけど、多分それだけじゃない。


 大方、冨樫と寄りを戻したんだ。元々付き合っていた二人が元に戻るのなんて、恋愛なら良くある話だろう。冨樫の浮気も表に出る事はなくて、千奈の浮気も表に出る事はなくて。


 一番良い終わり方をしたに違いない。

 元々僕は部外者なんだ、このままフェードアウトすれば何も無かったあの日に戻れる。


 止まない雨の中、今日も僕は一人駅のベンチに座って音楽を聴く。

 相変わらずの豪雨は、まるで僕の心を表現しているみたいだ。


 悲しくて、辛くて、でも寂しくて、踏ん切りが付かなくて。

 ぼんやりと外を眺めていると、一人の女の子が雨のなか姿を現した。


「……あ、奏夢」


 傘なんて意味が無かったのだろう、全身びしょ濡れの千奈がとことこと歩いてきて「いきなり降って来るんだもんね」って言いながら、僕の横でブレザーを絞り始める。


「タオルあるけど、使う?」


「あ、ありがとう。うわ~物凄い助かる。リュックの中にも入ってたんだけど、こっちもやられちゃったみたいで……うわ、教科書とかも濡れちゃってるじゃん。もうヤダ~」


 教科書どころか、ブラウスまでずぶ濡れで……。下着が透けている千奈から視線を外しながら、今朝母さんから持たされていたタオルを数枚、千奈に手渡す。


「ほんと、助かる。奏夢はどうしてここにいたの?」


 濡れてしっとりとした髪の毛をタオルで拭きながら、千奈は普段と同じ口調で聞いてきた。

 

「……なんとなく、文化祭の買い出しもほとんど終わったし、僕がやる事があまりなくなったんだ。千奈の方は? ボールペン作り順調なの?」


 違う、僕が聞きたいのはそんな事じゃない。あの日の冨樫とのキスを、どうして嘘を付いてまで隠しているの? その理由は何なの? たまに僕との距離を取るのは何故? どうして冨樫と別れないの? この関係はいつまで続くの?


「順調だよ。結局私もレジンでアクセサリー作る事にしたし。知ってた? 押し花とか中に入れるのにちょうど良いんだって。奏夢のクラスは喫茶店もどきだっけ? 結局何を販売するの?」


 浮気という名の関係が段々と僕には辛くなってきてしまっている。明確な気持ちを知らないまま千奈と接することが、何だか悲しくて。道化の様な日々をいつまで僕は続けないといけないの? 気持ちの整理がつく日はいつなの? どうして今も君は嘘を付くの。


「インスタントのコーヒーと、手作りのお菓子をセットで販売するみたい。でも温める機械とかがダメみたいでさ、全部冷たいのだけなんだって。高校生にもなって火事とか心配されるんだなって思うと、まだまだ子供なんだなって思うよ」


 今の君の気持ちが僕には理解できない。どうしてピンク色をしているの。どうして青い冨樫と離れずキスまでしてしまうの。どうして、どうして。止まらない疑念の渦に頭の中がパンクしそうになる。全部聞けばいいのに、冷静を装う僕は一体なんなんだ。


 悩めるままに、仮面をかぶり続けて一体なにがある。

 けど……笑顔の千奈を見ていると、失うのを恐れる自分が言葉を止める。


 もう、良く分からないよ……。




「あ、僕次で降りるから」


「うん、タオル洗ってから返すね」


「ねえ、千奈……」


 雨に濡れる車窓が白銀の照明を照り返す中、僕は彼女の事を見つめる。

 聞いてしまえば終わる関係。それでも失いたくないと思ってしまう彼女。


 優柔不断な僕を見て、千奈は少しだけ首をかしげる。

 

「……なんでもない、またね」


 なんでもなくなんて無い、胸の中は色々な感情が渦巻いているのに。

 だけど、僕は何もしないままに電車を降りる。


 そして、気付かれない様に涙を拭った。


「ダメだな、本当に、僕はダメダメなんだな」


 前に言った言葉と同じ言葉を紡ぎながら、地面を見ながら歩き始めたその時。


「ねぇ、君、ちょっといいかな」


 僕の名を呼ぶ女の子の声がした。

 虚ろな目で見上げる視線のその先には、見覚えのある顔の女の子が。


「……ちょっと大事な話があるんだ。時間、いいよね」


 瀬々木渚砂が、冨樫の浮気相手で、千奈の親友の彼女が、そこにいた。


――

次話「真実が知りたい」

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