第8話 第一次接触
二学期のイベントは文化祭に体育祭、更には遠足なんかもあるけど、一番のイベントは間違いなく中間テストだ。時期が悪すぎる、この時期は忙しすぎて勉強なんかろくすっぽしないままの生徒が沢山いるのに、容赦なくテストが襲って来るのだから、たまったものではない。
クラスでそれなりの立ち位置を得るのに、最低平均点以上は取らないといけないと自分の中でのルールがある。最近は僕を見て黒い顔をする人が減ってきているから油断しそうになるけど、人は気紛れだ。何がトリガーになって漆黒に染まるか分かったものじゃない。
見えない期待に応え続けないといけない、それが僕の心の安堵に繋がるのだから。
「だから、勉強したいんだけど……藤堂君?」
「奏夢っちぃ……俺、もうダメだぁ」
「何がダメなのか分からないけど、お昼食べた後の時間ぐらい勉強した方が良いと思うけど」
あのカラオケの日以降、藤堂君はずっとこんな調子だ。何があったのか教えてくれないし、まぁ、聞かなくても何となく想像つくけど。なんて言ったって、この男は好きな人がいるのに違う女子生徒キスをした不埒な男なのだ。……浮気相手の僕が言えた義理じゃないけど。
「そうそう、藤堂は勉強しないんならそこどいて欲しいんだけど。奏夢君には私が教わるんだからね」
図書室の長机にドサっと課題のプリントや教科書類を置く立花さん。千奈との一件があって以降、何かとつけては僕に接する様になった彼女だけど……うん、顔色が不味い事に白とピンクになってきてるね。どうしよう、間違いなく彼女は僕に惚れている。
千奈を裏切る訳にもいかないし、かといってクラスメイトを黒にする訳にもいかない。
最近の僕の贅沢な悩みだ。
「僕が勉強を教えるの? 僕平均点ちょいくらいしか取れてないけど」
「……それでも十分って言えば伝わる?」
「え」
伝わるね。もしかしたらピンクには恋心以外にも、恥じらいもあるのかもしれない。
無駄に僕との距離を縮めながら、立花さんは課題プリントを広げる。
小麦色の肌に大きくて綺麗な瞳の彼女は、ペンを口に加えながら数学の証明問題を前にさっそく頭を悩ませ始める。僕はというと、千奈とのキス以降、どうしても女子の唇が違う風に見えてしまっていて。柔らかさとか、香りとか、そういうのを妄想してしまう頭をぽかっと一発。
「どしたの?」
「あ、いや、気合……かな。……そういえば姫野宮さんは? 一学期の期末でクラス順位一桁だったよね? 立花さんと仲良さそうだし、彼女に教わった方が良さそうだけど?」
「夏恵は勉強がハイクラス過ぎて分からないの、何を言ってるのか分からないレベル」
一言で僕の浅知恵は終了する事に。
「……ねぇ、瀬鱈君」
「はい」
「私がここにいるの、迷惑だったりする?」
上目遣いで立花さんが問うてくる質問に、僕は素直に「うん」とは言えなくて。悩み向いて出した答えは、迷惑じゃないの一言。僕は意気地なしだ、こういう時にビシっと言えた方が良いと思うんだけど……身体が動かない。嫌われる事を本能で拒否してしまう。
変えないといけないと思うんだけど、変えられない。子供の頃のトラウマが蘇って来てしまって、人間関係だけは拗らせたくないって切に願ってしまう。
「勉強なら私が教えてあげようか?」
そんな言葉と共に僕の隣に座ったのは、赤いネクタイを付けた二年生。千奈だ。
彼女が横に座っただけで、僕の心は喜びで満ち溢れるのだけど。
真横から真っ青に染まったオーラをびんびんと感じる。
ちなみに千奈の表情も青だ。誰に対しての青なのかは言わずもがな。
「結構です。青森先輩だってテスト勉強で大変なんじゃないんですか?」
「そういう風に見える? これでも成績に関しては自慢できるぐらいの点数は取ってるよ?」
自慢できるぐらいの点数ってどれぐらいなのかな? ちょっと気になるけど、千奈が来たことでより一層勉強が出来る環境ではなくなってしまった事は確かだ。それに立花さんに勉強を教えるのなら僕を挟まないで欲しい、火花が目の前で飛び散ってるみたいで、ちょっと怖い。
他に勉強できる場所もないし、教室に行っても多分この面子は変わらない。どこか一人になれる場所はないかなってため息をついていると、ふいに背後から視線を感じた。
振り返った先に立つ男を見て、僕は表情を強張らせる。
「千奈、何してるの」
僕以外に千奈の事を千奈と呼ぶ男。冨樫だ。
カラオケの時みたいに整髪料を付けた状態のくしゅっとした髪、優しいマスクは如何にもって感じの優男の雰囲気。少し垂れ目の瞳に右目の下の泣きホクロ、170cmの僕よりも身長が10cmはありそうな背丈。どこかのホストって言われれば、そうなんだって思ってしまう程の男。
近づいてくるなり当たり前の様に椅子に座る千奈の背後から腕を回して、伸し掛かる様に身体を預ける。冨樫の手が千奈の胸の前で結ばれ、顔も後頭部にべったりだ。
「あれ? 君はこの前のカラオケの時の一年生だね。千奈が勉強教えてるの?」
千奈の頭に顔を乗っけたまま、目だけを僕に向ける。
その表情の色は……特に何も変化がない。強いて言うのならやんわりとした白。
「……せっかく知り合ったし、困ってるみたいだったから。ねえ、ここ図書室だよ? 止めてよこういうの」
「いいだろ、別に。俺達付き合ってるんだし」
「……」
千奈は冨樫の問いかけに返事をしなかった、けど、触れ合ってくる冨樫の事を拒否もせず。
真横でそれを僕はどういった表情で見れば良いのか分からなくて、ただ黙りながら俯く。
千奈を思えば、冨樫の事を突き飛ばして「止めろ」って言えれば良いのかもしれない。
踏ん切りが付かない千奈を急かす意味も込めて、ここで全てを公にしてしまえば。
けど、それは残りの学校生活や、千奈が守りたかった物が完全に崩れる事となる。
世間一般で言う浮気は悪だ、そしてこの場合、僕と千奈の関係の方が悪なのだから。
好きだから言えない。千奈が困る事はしたくない。
「……先輩達が使うなら、ここ譲りますけど……」
立花さんが申し無さげに冨樫に伝えるも、彼は首を横に振る。
「いいや、俺達はパス。千奈も一緒に教室戻るだろ?」
「……別に、勝手にすれば」
席から立ち上がると、千奈は図書室の入り口へと歩き始める。
来た時から青かった感情の色は、より一層青さを増していて。
立ち去った千奈を追いかけもせずに、冨樫は空いた椅子の背もたれに寄り掛かりながら僕を見る。そして、両手を少し上げてやれやれって感じで首を振りこう言った。
「なんなんだろうね、最近冷たくってさ。デートでもすれば良いのかもしれないけど、忙しくってね。……この前、君を追いかけて行っただろ? あの時、千奈は何か言ってなかった?」
なんでそんな質問を僕にするんだ。
「さぁ……? 僕もあの時が初めてでしたし、一緒に荷物を持ってくれた以外は何も。でも、青森先輩は見た感じ一途な感じがしますから、浮気でもされて怒ってるんじゃないんですか?」
少しだけ睨みつける様に僕は冨樫を見る。
……冷たい目だ、図星を付いたはずの僕の言葉に何の動揺も見せない。
この男のどこに千奈は惚れたのだろうか? 良いとこなんて顔以外どこにもないと思うけど。
「浮気ねぇ……んじゃ、有言実行しちゃおうかな。ねぇ、君は彼氏とかいるの?」
まるで僕の言葉に誘導されたみたいに、冨樫は立花さんの肩に腕を回しながら誘う。
「います。だから触らないで下さい」
「おっと、そいつは残念。それじゃ、彼氏さんにヨロシク!」
え、立花さん彼氏いるんだ。てっきり僕に惚れてるのかとばかり……。
自意識過剰の有無惚れ野郎だったか、そうだよな、僕なんかに惚れる要素なんかないし。
飄々とした足取りで図書室から出て行った冨樫を見て、ずっと隠れていた男が一人。
いつの間にか図書室の本棚の影に隠れていた藤堂君が、やれやれといった感じで姿を現す。
「冨樫の野郎、急に現れるんだもんな、焦ったぜ」
「剣道部の瞬発力には脱帽したよ、消えたかと思った」
「はは、すげえだろ? 逃げ足だけは俊足なんだよ。しかしあの二人仲良さそうに見えないけど……付き合ってるんだよなぁ。そりゃあんな激しいキスもするわな」
僕の横にぼやきながら座る藤堂君だったけど。
「……なに、その話」
「ん? なにって、王様ゲーム見てただろ。冨樫先輩がディープキスって命令してたじゃん。あ、そうか奏夢っち部屋から出て行っちゃったから見てないのか。すっごかったぜ、ベロ絡ませながら勢いよくしたんだから。あんな可愛い子とディープキスなんて、俺もしてみたいわぁ」
千奈と冨樫が、キス? でも、僕にはしてないって。
けど、藤堂君は目の前で見たんだ、彼が嘘を付く必要はない。
つまり、それは……千奈が嘘を付いていると言う事だ。
「……奏夢君、どうしたの?」
「…………あ、ううん、なんでもない。ごめん、ちょっとトイレ」
今すぐ問いただしたい、スマホを握り締めながら千奈とのトーク画面を開く。
けど、僕にそれを聞くだけの権利があるのだろうか? たかが浮気相手の僕に。
――
次話「迷走する気持ち」
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