第6.5話 姫野宮の想い、立花の想い
立花月葉
――
『立花さんのことを奏夢っちが見てたからさ、ついに奏夢っちにも春が来たのかなって』
嘘でしょって思った。でも、奏夢君の表情を見て、それが藤堂君の付いた適当な言葉だって直ぐに気付いて。私もそれなりの適当な返事で終わりにしたけど。
表には出さなかったけど、嬉しかった。
夏休みのある日、私は奏夢君に命を助けて貰った事がある。
たった一回のそれだけで惚れる様な女の子じゃないって自分では思っていたつもりだったけど、思いのほか私は惚れっぽかったらしい。
夏休み中も大会に向けて私は毎日の走り込みをしていて、その日はいつもよりも暑かったのを覚えている。普段使用していた市で運営するスポーツジムが休館していて、注意報とか流れてたけど、ちゃんと準備しておけば大丈夫でしょって思いこみ、一人走りに行く事に。
いつもと同じペースで走っていたのだけど、その日の暑さは尋常じゃ無かった。
日射の対策はしてた。帽子にタオル、水筒にランニングウェアだったのに。
八キロほど走ったところで、吸い込む息が急に熱を持った。
あ、ヤバイって思ったけど、そうなった時には遅くって。
息を吸いたいのに、吸った息が肺に入らない感じ。
ランニングウェアを脱ぎたいのに指もおぼつかなくて、目の前がぐにゃりと歪んだ。
とにかく日陰に入らないとって入ったけど、夏の暑さは日陰なんかじゃ治まらない。
苦しい、このままじゃ死ぬ。熱中症で倒れた時の対策とか前に教わったけど、出来ない。
だって、身体が動かない。
息が吸えない、このままアタシ死ぬのかなって本気で考えた。
「大丈夫ですか⁉」
傍目に見て、私が異常な状態だって気付くのは難しい。
走っているランナーが木陰で休んでいるだけにしか見えないのに。
なのに、その人は分かっているみたいに語り掛けてきた。
「今すぐ冷たいもの用意しますね! 他にして欲しい事とかありますか⁉」
ぼやけた視界で彼を追った。日射病で倒れている私に冷たい飲み物をあてがうと、彼は「ごめんなさい!」といいながら少しだけ私の服を脱がし、パタパタと仰いでくれて。
濡らしたタオルで私の全身を拭いたり、何回も声掛けしてくれたり。彼の看護を受けている内に、私の呼吸も意識も普段と同じに戻り……そこでやっと、相手が同じクラスの奏夢君だって気付く。
正直なところ、私は奏夢君の事があまり好きでは無かった。八方美人だし、誰にでも良い顔をする彼を、男としてなんて軟弱な人なんだろうって、そう思っていたのに。
違うんだって、私の勘違いなんだって、その時初めて気付いた。彼は困っている人や助けて欲しい人がいる時に、何のためらいも無く助けの手を出す事が出来る人。こんな良い人を、私は軟弱だと思っていたのかって、少しだけ後悔する。
「……ありがと、もう、大丈夫だから」
そう伝えると、彼は笑顔になって「良かった」って。
多分、その笑顔にやられたんだと思う。
好きになるのに理由はいらないって言うけど、私の場合は違う。これが彼を好きな理由。奏夢君は私の事をどうとも思ってなさそうだけど、いつかは両想いになれたらいいなって、そう思い願う。
動くのは……怖くて出来ないけど。
そして、私の友達も怖くて動けないのが一人いる。
「あれ? なんで夏恵が図書室にいるの? 藤堂君と一緒に買い出しは?」
「……だって、何か怖くって」
「えー? なんで? せっかくのチャンスだったのに」
お人形さんみたいに図書室のカウンターに座っている夏恵の隣に、私も座る。
「それで? 思わず嘘ついて逃げちゃったから、律儀に図書委員の仕事を引き受けて嘘を真に変えたって言いたいの?」
「……うん、嘘ついたって思われたくないし」
「いやいや……でも、アタシもそんなこと言える立場じゃないけどさ」
「……瀬鱈君、だよね?」
夏恵の口から彼の名を聞き、カウンターに腕枕をして突っ伏す。
恋愛って勇気が必要なんだって、改めて認識した。
声を掛ける事も出来ないし、奏夢君を見る事だって、気付かれないようにって隠れながらじゃないと出来ない。見た感じ彼は一人だ。私の友達に聞いても誰かと付き合っているとか、そういう話は出てこないし。だから、私はどこか余裕を感じているのだと思う。
今動かなくても、多分大丈夫。彼を狙っている女子はいないはずだから。
「夏恵~」
「なぁに」
「恋愛ってさ、難しいよね」
「……そうだね」
静かな図書室で、私と夏恵は二人で慰め合う。
いつかはお互いちゃんと動かないといけない、失敗の無い恋愛をする為に。
でも、それは今日じゃなくてもいい。
焦る必要なんてないのだから。
「あ、瀬鱈君、帰ってきたみたいだよ」
カウンターのすぐ後ろにある窓から、夏恵が教えてくれた。
奏夢君が戻ってきたという事は、藤堂君も一緒ということ。
二人でお迎えに行こうかって言おうとして、私も窓へと視線を移したのだけど。
三階の窓から見える光景に、私は息を飲んだ。
「……誰、あの女の人」
奏夢君の側に一人、女の子がいる。
二年生の女子生徒……彼女と奏夢君の距離が近い。
近すぎるそれは、単なる知り合いではないと暗に物語っていて。
「月葉」
「……あ、うん、奏夢君八方美人だから、多分誰かを助けたとか、そんなのだよね」
そうでないと困る。
だって、私の方が――。
――
次話「彼女の嘘」
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