第4話 キスの味

 夕闇の独特な青さに染まる空の下、僕は一人晴島駅へと向かって走っていた。


 文化祭の役割決めに時間が掛かり過ぎなんだよ。どうせ本気で取り組む訳じゃないんだから、あんなの適当でいいのに。LHRの時間だったからスマホをいじる訳にもいかなくて、どんどんと時間だけが無駄に過ぎてしまって。


 そして、今に至る。


 スマホの画面には千奈先輩とのSNSのやり取りが表示されているが、そこには昼休みの時の やり取り以降何も書かれていなくって。約束の時間は午後五時、なのに、既に現在の時刻は六時を回ろうとしている。


 いきなり約束を破ってしまって怒っているかもしれない。所詮千奈先輩の思い付きで始まった浮気の関係なんだ、そこまで本気じゃないかもしれないし。いつ終わってもおかしくない。


 はぁはぁと到着した駅のホームで、僕は千奈先輩を探す。

 加茂鹿駅とどっこいどっこいの田舎の駅である晴島駅、そこに到着して汗を拭っていると。


「あ、やっと来た」


 改札口横のベンチに座ってスマホをいじる美人……もとい、千奈先輩の姿を見つけた。


「ご、ごめんなさい、文化祭の準備とかで遅れました」


「この時期はしょうがないよね。でも、誰もいないから、むしろ丁度良かったのかも」


 にっこりと微笑む千奈先輩を見て、僕は自分の気持ちを再確認する。

 惚れてるのは、間違いなく僕だ。


 誰もいないのを良い事に、手を繋ぐと千奈先輩は「行こ、電車来ちゃうよ」って。

 昨日は僕が無理やり引っ張っていったのに、今日は既に逆の状態だ。

 

「時間帯がズレてるだけで、電車って結構ガラガラなんだね」


「……そう、ですね。ウチの高校の生徒もほとんどいないですし」


「じゃあ、ここなら更に人目を気にする必要もないよね」


 電車の中にあった四人向かい合わせのボックス席に、僕達は二人で腰掛ける。


 手を繋いだまま隣に座った千奈先輩は、身体を密着させ、小さな頭をくてんと預けてきた。

 こんなこと、経験したことが無い。僕の心臓はバクバクし始めて、握っている手には汗が。


「奏夢君の匂い……安心する。昨日まで全部嫌で、奏夢君がいなかったら本気で死のうと思ったのに……今は全然違う。アイツ等の集団にいても、君がいるって分かっただけで私は嬉しくなっちゃったし、耐える事が出来たんだよ」


 すりすりと頭を僕に押し付けて、その後すんすんって匂いを嗅ぎ始める。甘えて来た子犬みたいな千奈先輩……僕も、そんな彼女の匂いに包まれて、幸せでいっぱいになった。


「なのに……ごめんね。奏夢君からしたら、お前とっとと別れろよって思うよね。でも、ごめん、まだ心のどこかで賢介の事が好きなんだと思う。浮気相手もいて、もう賢介の気持ちが離れてるって知ってるんだけど……」


 それは、僕も見たから知っている。そして、その相手が誰なのかも。

 

「僕は大丈夫です。昨日今日でそんな劇的に変わるなんてこと不可能でしょうし、待てと言われたらずっと待ちます。それよりも、千奈先輩、少しだけごめんなさい」


「……?」


 立ちあがり周囲に聞いている人がいないのを確認すると、席に戻り千奈先輩を抱き締める。

 抵抗はされなかった。彼女の肩に顔を乗せて、僕は彼女の耳元で語り掛ける。


「ごめんなさい、でも、千奈先輩きっと無理してます」


「……無理?」


「はい、昨日の千奈先輩は間違いなく死ぬつもりでした。それは、僕からしたらちょっと悔しいですが……死ぬほど彼氏が好きだったって意味でもあります。裏切られて、しかも友達が相手だった。まだ千奈先輩は失恋したてなんです。ですから、無理して僕に合わせる必要はありません」


 抱きしめていた千奈先輩から少し離れて、彼女の両肩に手を置き、僕は微笑んだ。


「僕は変わりませんから。ゆっくりとでいです。ゆっくりと僕の事を好きになってくれたら、それだけで嬉しいですから」


 人の感情は直ぐに変わるものではない、時間を掛けて変わっていくもの。

 けれど、好きになるのに理由は必要ないって言葉通り、好きになるのは一瞬。


 その熱量は途方もなく大きくて、なかなか冷めないって、僕も知っている。

 だから、千奈先輩が冨樫を好きって気持ちが直ぐに変わるなんて、最初から思っていない。


 僕達には時間があるんだから、それでいい。


 


 僕の言葉を受けて、千奈先輩の心の色が変わった。


 赤や白、ピンクだった色に青が混じり、黒が少しだけ顔を覗かせる。

 怒りと悲しみと喜びが入り混じり、感情の洪水が涙となって溢れて出た。


 ぽろぽろと流れ落ちる涙を僕が優しく拭うと、千奈先輩は僕に勢いよく抱き着く。声を殺し震えながら泣いて、抑えていた感情に身を任せる彼女の背を、僕は優しく撫で続けた。


「……ねぇ、奏夢君」


「……大丈夫ですよ、降りる駅までまだ時間はあります」


「ううん、違うの。私、キスしたい」


「……え?」


 僕の胸の中に顔を埋めていた千奈先輩が離れると、僕の顔を少しだけ見て、目を閉じそのまま唇を寄せる。泣いていたせいか、熱をもった彼女の唇が僕のそれに触れた。甘い香りと唇に残る熱。数秒だけくっついていた後に、数秒だけ離れて、またくっつく。


「……ん」


 僕の後頭部に腕を回しながらするそれは、とても甘くて、熱くて。僕の舌が彼女の舌を絡めると、味蕾のツブツブを舌先が認識して、そして裏側に回り込む。絡め合った舌が歯牙の様な八重歯を舐めて、僕の唇を甘噛みした。


「……ねぇ、奏夢君の唾液、飲みたい……」


 吐息が掛かる距離で囁いた千奈先輩の要求。止まらないリビドーに身を任せて、僕は口腔内の粘つく液体を彼女の口に中に移す。ぴちゃぴちゃと音がする長いキス、喉を通るのは僕の唾液なのか、それとも彼女の物なのか。気付けば千奈先輩の表情の色は完全なる赤へと変わっていて、昨日の漆黒とは別の感情に支配されてしまっていた。


「……奏夢君…………奏夢……」


 蕩ける様な甘いキスをし続けていく内に、自然と僕は彼女の制服に手を掛ける。腰に回した手を僕の方に引き寄せ、彼女の胸に手を当てた。汗ばんでいた彼女のワイシャツから、ピンク色の下着がうっすらと見える。それを見た後に彼女を見た次の瞬間。


『幅枚~幅枚~』

 

 彼女の降りる駅を告げるアナウンスが僕達の耳に入る。


 荒い吐息のまま少しだけそのままでいたけど、ゆっくりと僕達は離れた。

 崩れた制服を直しながら、千奈先輩は僕の事をじぃっと見つめる。


「ごめん、私、誰にでもこんな事する訳じゃないから……」


 必死に言い訳する千奈先輩を見て、僕は少しおかしくなってしまって。


「……僕も一緒に下ります」


「……うん」


 繋いだ手を離さないまま、僕達は電車を降りる。彼女の家に向かうでもなく、二人で駅を出て近くを散策した。離れたくない、離れてしまうのが心の底から寂しい。多分、同じ気持ち。


 公園のベンチに座って、僕達はもう一度キスをした。


「私、奏夢君で良かったって心の底から思ってる」


「……そう、ですか?」


「うん、とっても優しいし、温かいし。絶対に裏切らなそう。でも、奏夢君の言う通り、ちょっぴりだけ時間が欲しい。やっぱり、直ぐには気持ちが整理できそうになくて……ごめんね」


 別にいいですよって声を掛けながら、僕は持っていた飲み物を彼女に手渡す。

 

「千奈先輩と冨樫は間違いなく付き合っていたのでしょうから、しょうがないです」


 こくんと彼女がお茶を一口飲むと、僕に手渡してきて。僕も、それを一口だけ飲む。

 間接キスだなって思ったけど、さっきのキスをした後であっても、それはやっぱり嬉しい。


「……あ、スマホ、お母さんからだ。私、そろそろ帰らないと……」


「どうする? 家まで行きましょうか?」


「ううん、ここから近いから、大丈夫。それよりも」


 僕の頬に手をあてて、今日何度目かのキスをしたあと、千奈先輩は僕の事を抱き締める。


「色々とありがとう……私のこと、千奈って呼び捨てで良いからね」


「……わかりました、じゃあ千奈も僕の事を奏夢って呼び捨てで呼んで下さいね」


「ふふ、敬語は変わらないんだね。分かった、奏夢……これからも宜しくね」


 去り際にもう一度だけキスをして、僕達はお互いの家に向かう。

 一人になってから、何だか気分が高揚してしまって。


 昨日と同じ様に、飛び跳ねたりしながら帰る僕は……やっぱり、変人に見えたんだと思う。


――

次話「文化祭のお買い物」

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