第2話 青い春
「……あ、僕、次の駅なので」
結局返事は伝えないまま、僕は椅子から立ち上がる。繋いだ手は温かかったし、返事を今すぐにするべきかも考えたけど。何故か、その時は言葉が出なかった。浮気相手というものに抵抗があったのかもしれないし、ただ単に緊張しただけかもしれないし。
千奈先輩は離した手を名残惜しい感じで眺めたあと、鞄の中からスマホを取り出し、SNSのアイコンを長押ししてこう言った。
「連絡先、交換しない? まだ返事貰えてないし、そうじゃなくても何て言うか、奏夢君とは繋がっていたいと思うの……ダメ、かな?」
断る理由はない、むしろ大歓迎です。連絡先の交換を終えると、僕のスマホのSNS一覧には『千奈さんが追加されました』と表示された。そしてそこに映るアイコンを見ると、彼氏と千奈さんが笑顔になったツーショット写真が表示されていて。
彼氏さん、結構爽やかな感じだ。千奈先輩と付き合って浮気するって、何て贅沢な男なんだろう。本当、僕が千奈先輩と付き合ったら浮気の『う』の字もしないと思うけど。
「……ありがと、奏夢君が何か伝えたい事があったらいつでも送ってね。恋の相談でも何でも乗るから。あと、例の件も、ね」
ウィンクって美少女がすると、それだけで殺戮兵器になるって初めて知った。
心臓が止まる程にcuteなウィンクをした千奈先輩にお辞儀をして、僕は電車を降りる。
心なしか周囲の他校の生徒に睨まれてた感じがしたけど、きっと気のせいじゃない。
それぐらいに千奈先輩は魅力的だったし、車内では間違いなく僕が彼氏だったのだから。
僕が彼氏……違う、浮気相手だ。でも、千奈先輩の彼氏も浮気してるって事は、いつかは二人は破局するって事だよね? 僕には理解できないけど、千奈先輩の事をフルって事だ。
という事は、僕は名実共に千奈先輩の彼氏になるって事で……。
わしゃわしゃと頭を掻いて、自分に舞い込んできた幸運に感謝する。
何故だか嬉しくて、ちょっとジャンプして塀の上の猫に話しかけたりして。
多分、今の僕は変人だと思う。だって嬉しいんだもの、しょうがない。
「ただいまー」
誰もいない我が家に帰宅を告げると、ポケットの中のスマホが震える。
便利屋として僕はクラスメイトのほとんどに連絡先を教えているけど、今は違うって直感で分かった。そして、その直感は的中する。
『今日はありがとう、私も駅についたよ』
写真付きで送られてきたメッセージには、ハートマークまで付いていて。
気を付けて帰って下さいって返事を送ると、直ぐに返信が付いた。
『そう言えばなんだけど、奏夢君って彼女さんいたりするの? いるんだとしたら、今日のは無しにしとこうと思ったんだけど……』
いません。誰一人としていません。
昔失恋した事はありますけど、それだって自爆しただけだし。
『そっか、意外。奏夢君良い人だから、片思いとかは多そうな気がするな』
そんな事ないです。だからこうして浮気相手をするかどうかも悩んでいる訳でして。
でも、この会話からも千奈先輩の好意っていうのが目に見えて分かってしまう。
そうじゃなくても顔色で分かるんだ、あの時の千奈先輩はピンクに染まっていた。
ピンク……それは、恋心の証。つまり、千奈先輩は僕に惚れている。
僕に向けられた感情以外でも色は変わるけど、あの状況で他の選択肢は無いはず。
自意識過剰な訳ではない、状況証拠って奴だ。
『お家ついたから、またね。あ、そうだ、明日から奏夢君と一緒に登校しても平気?』
もちろん平気、だけど、浮気相手にバレないようにした方が良いと思う。
破局という結末が変わっていなくても、千奈先輩が悪になる必要は無い。
『……そっか、じゃあこっそりと一緒に行こうね』
どうやって? 突っ込みたくなったけど、僕は『了解』とだけ打ってスマホを机に置いた。
にやけが止まらない、勝手に垂れて来る頬を両手で持ち上げて、僕は明日に備えて筋トレをする。
あんな彼氏に負けない様にしないと、それに、少しくらいは筋肉があった方がきっと喜ぶ。
喜びを噛み締めたくて、僕は再度千奈先輩とのやり取りを見直す為にスマホを手にして。
そして、ちょっとした変化に気付く。
「あれ、千奈先輩のアイコンが海の景色に変わってる……これ、僕の秘密の場所じゃ」
いつの間に写真を撮ったのか。
いいや違う、アイコンをこれに変えたって事は、そういう事だ。
それを見て、僕はまたしても一人にやけ、その場で足をバタバタさせた。
浮気相手の返事は未だにしてないけど、これは僕も覚悟をしないといけない。
一通りのトレーニングを終えた後、僕はメッセージを打ち込んだ。
『例の件、宜しくお願いします』
なんか、マフィアか何かの暗号みたいだ。けど、万が一彼氏さんに見られてもいい様にしておかないといけない。だから、例の件、電車の中で千奈先輩も言っていた言葉を選んだ。
直ぐに返事が来るかと思いきや、千奈先輩からのメッセージがその日の内に来ることはなくって。目が覚めてからもスマホをチェックしたけど、既読にはなってるけど返事は無い状態だった。
正直、かなり気になる。けど、僕から催促をするのもおかしいだろうし。
いつもの時間に家を出て、最寄り駅である
今日から一緒に学校に行くって書いてあったけど、電車通学の僕と一体どうやって?
ちょっとした疑問や返事が無い事を不安に感じていたけど……それらはあっさりと霧散する。
「……あ」
冴えない木製のこじんまりとした加茂鹿駅、単線で一番線と二番線しかないローカル駅に似つかわしくない程の美少女が僕を待っているじゃないか。朝の通勤のサラリーマンが思わず二度見してしまう程の可愛さ満点の笑顔を僕にくれる彼女。
制服姿の青森千奈先輩が、そこにいた。
「おはよ……って、何か変だった? それともやっぱり迷惑だったかな」
「い、いいえ! とんでもないです! 可愛くて思わず見惚れてしまっただけですから!」
――――何を言っているんだ僕は。
こんな事を衆人環視の中で言われたら、きっと千奈先輩も恥ずかしいに決まってる。
「……くす、ありがと。お世辞でも嬉しいよ」
「そ、そんな、お世辞なんかじゃ」
「行こ、電車に遅れちゃうよ?」
言われ慣れてるのかな? 千奈先輩は僕の赤面してしまう様な言葉を受けても、にっこりとした笑顔で受け止めてくれた。そして僕はいつもの癖で彼女の顔色を見てしまう。
今日の彼女の顔は紅白な感じの色だ。ピンク一色ではなく、喜びの白と恋愛の赤が混じった感じ。
あまり見た事の無い二色の感情、僕に会えて嬉しいって感情と、大好きって感情。
これが俗にいう愛してるの状態……だとしたら、もう僕とお付き合いするのは確定事項じゃないか。後は千奈先輩が浮気している彼氏さんと別れるのを待つだけの状態。ルールをあまり知らないけど、麻雀で言う所のリーチって奴だ。
その日が一日でも早く来てくれると嬉しいなって思いつつ、一日ぶりの千奈先輩の手の感触を堪能しながら、僕は構内に入ってきた電車に二人仲良く乗車した。
――
次話「浮気相手から見るカップル」
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