……浮気相手になってくれますか?

書峰颯@『幼馴染』12月25日3巻発売!

第1話 浮気相手になってくれますか?

 僕が便利屋って呼ばれる様になったのは、中学生になってからだ。

 小学生の頃にちょっとした事件があって、僕の目には人の顔色が見える。


 よく顔色を伺うって言うけど、そんな比喩表現じゃない。

 色として僕には見えるんだ。


 嬉しい時には白く、落ち込んでいる時には黒く。

 時には赤く、惚れてる時にはピンクに。


 相手の感情が見える状態での人付き合いに慣れるのに、数年を要した。

 僕が語り掛けるだけで人の顔が黒くなるんだ、無反応でいろと言うのは難しい。


『誰かの役に立つ』 


 普通に話しかけると皆表情が暗くなるけど、役に立ちたいって言うと陰りが薄まる。

 役に立った後の人の顔は、大抵が真っ白だ。


 話掛けた時にクラスメイトの顔が真っ白になっていないと、心が落ち着かない。 

 見知らぬ人はどうでもいいけど、身近な人に嫌われているのはちょっとキツイ。


 高校一年生も半分が過ぎて、秋に差し掛かる昨今。

 ようやく僕が話しかけても皆の顔が黒くならなくなったなって、安心していたその時。


「……なんだよ、あの顔色は」


 思わず呟いてしまう程に、漆黒に染まる表情の女の子を見つけてしまった。

 僕に向けられた感情じゃない、けど、あれは異常だ。


 過去に何度か見たことがある、輪郭や目鼻口が分からない程に真っ黒な人。

 そしてその感情に染まってしまった人が、どんな行動をとるのか。


 ネクタイの色が赤だから、僕の一個上の二年生の女の人。

 隣にいる彼に話しかけている声が聞こえてくるけど、僕には口の動きが見えない。


 彼だってそうだ、相槌をしているけど、彼女が話しかけると顔色が途端に黒くなる。

 他の人と話をする時は真っ白なのに、彼女に話しかけられた瞬間黒くなる。


 丸一日観察したけど、彼女は一人の時も、他の誰かといる時も顔が真っ黒だった。

 ここまで来ると、流石にほっておけない。


「あの、ちょっとだけお時間宜しいですか」


 僕が声を掛けると、彼女の顔がこちらを向いたのだけど。

 やっぱり、真っ黒で何も見えてこない。


 人の感情は時薬と呼ばれる見えない癒しで変わるものなのに、ずっとこの子は沈んでいる。

 半ば強引に連れ出して、僕は学校近くの駅まで彼女と二人でやってきた。


「ね、ねえ、君が誰なのか知らないけど、私付き合ってる人がいてね。悪いけど君と付き合う事は出来ないし、こんな所を誰かに見られたら不味いの。だから、ちょっと、手を離してくれたら嬉しいんだけどな」


「このまま遠くに行きましょうか」


「え? ねえ、人の話聞いてる?」


「聞いてます、だけど、今の貴女をほっておけないんです。だって貴女、死ぬつもりでしょ?」


 漆黒まで染まった人の行動は、全員が同じ末路を辿っている。

 電車に飛び込んだり、家で首を吊ったり。


 同じ学校の生徒でここまで漆黒になっている人は、この子だけだ。

 救ってあげようと考えるのは偽善かもしれないけど、救える命は救いたい。


 現に、僕が先の言葉を告げると、彼女は静かになり無抵抗になった。

 それを確認して、僕は彼女を掴んだ手を離さないまま、電車の切符を購入する。


 駅のホームでも、電車の中でも、ずっと僕は彼女の手を離さなかった。

 人は人に触れて貰えると、少しだけ嬉しくなってしまうもので。


 きっとこの状態の彼女に必要なのは、言葉じゃなくて温もりだ。

 本当は彼氏さんの方がいいのだろうけど、漆黒の原因が彼なのだからそれは無理な話。


「……はい、ここで叫ぶと少しはスッキリしますよ」


 僕の秘密の場所。

 まるでプライべートビーチみたいな人のいない海岸。


「僕ね、人から便利屋って呼ばれてるんです。人の役に立てればいいなって思って、色々と頑張るんですけど。やっぱり、たまには疲れちゃうんですよね。人って気紛れじゃないですか。そんな時に僕は一人でここに来るんです。そして、こうやって叫ぶんです」


 手でメガホンを作って、僕はすぅって息を吸い込み、そして。


「バカヤロー! 便利屋って名前のパシリにしてんじゃねぇよぉー!」


 たまに誰かに聞かれるけど、海に向かって叫ぶのは若者の特権だ。

 目が合っても白くなるだけで、誰も嫌がらない。


 漆黒の彼女もしばらくは躊躇していたけど、裸足になってゆっくりと波の中に足を入れ始める。

 細くて綺麗な指でメガホンを作り、漆黒の口の部分に当てると、こう叫んだ。


賢介けんすけ君のバカー! 渚砂なぎさのアホー! 二人が浮気してるの知ってるんだからー! 私だって浮気しちゃうからねー!」


 海風に髪を遊ばせる彼女を見ながら、僕はズボンのポケットに手を入れる。

 夕焼けに照らされた彼女の顔は、ようやく白くなり始めていて。


「少しはスッキリしました?」


 聞かなくても分かる。

 白くなって、この日初めて彼女の表情が、僕の目にも映る様になったのだから。

 ドキっとするほどに可愛らしい一個上の先輩は、はにかみながら僅かに頷く。

 

「じゃ、帰りましょうか。いきなりこんな所まで連れ出してごめんなさい」


 これで彼女が自ら命を絶つことはないはずだ。僕の役目はこれで終わり。

 帰りの電車の中で、僕達は少し離れて長椅子に座る。

 

 行きの電車みたいに手をつないでいる必要はない、だって、今も彼女の顔は白いから。

 少し寝ようかなって思っていたのだけど、ふいに彼女から話しかけてきた。


「ねぇ、君、名前は?」


「……瀬鱈せたら奏夢かなめです」 


「奏夢君か……私、青森あおもり千奈ちな。今日は本当にありがとうね……実は、君の言う通り、もう死のうかと思ってたんだ。今の彼氏と上手くいってなくてね、さっき叫んじゃったけど、なんか浮気してるみたいでさ……。しかも、浮気相手が私の友達みたいなの」


「そりゃまぁ、難儀な事で」


「友達も彼氏も信じられなくなっちゃってね。クラスでも何か浮いた感じになっちゃっててさ、学校に行くのも今日でやめようと思ってたんだけど。君に連れ出されて、何か気が変わっちゃった。あの二人に気を使う必要なんて無いよね」


 僕の方を見ながら語る千奈先輩は、今日一番の笑顔をしながら、ちょっとだけ拳を握った。

 彼氏と友達が浮気してたら、それは気まずいし、死にたくもなる。


「そうですね。自分の好きな様に生きればいいんだと思いますよ」


「自分の好きに……か、あはは、恥ずかしながら、あまり意識した事なかったや」


 人の顔色を誰よりも気にしている僕がどの口で言うんだか。

 そんな事を思いながらも、彼女の命を救えたことにどこか満足する。


「ね、良かったらだけどさ」


 千奈先輩は肩くらいまでの髪を耳にかけて僕を見た。

 今の彼女の表情は、少しだけピンク色をしていて。


「さっきの叫びの相手……君にしてもらえないかな」


 さっきの叫びの相手、つまり、浮気の相手をしろってことだ。

 僕が、千奈先輩の浮気相手? そんなの務まるとは思えない。


 椅子に手を掛け僕に近付ける頬から香水の良い匂いがするし、明眸皓歯めいぼうこうしって言うんだっけ? 白く透き通った瞳に、純白で綺麗な歯を見せて微笑む千奈先輩は、とても美人さんで。本当、僕なんかには勿体ないくらいの女性だ。


 もし本当に僕が千奈先輩とお付き合い出来るのだとしたら、絶対に浮気なんかしない。

 けど、さっきの叫びの通りという事は、千奈先輩は今の彼との付き合いはやめないと言う事。


「……考えさせてください」


 言葉少なに返事をして、目を瞑る。

 けど、距離を縮めてきた彼女から手を握られてしまい。


 緊張した僕の目は、どこでもない虚空を泳ぐ。


――

次話「青い春」

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