しあわせが壊れる瞬間
ゲートから出て最初に見えた景色は、どこか知らない林の中だった。
けれど現在地は把握している。指揮官の指示通りならば、俺が降り立った場所はあの地図に記されていた地域なはずだ。
時刻はおそらく、明朝。平行世界であるからこれも変わらない。
俺は早速任務に取りかかろうとして、ふとある事を考えた。
あの地図で見た地域は、俺の故郷があった場所の近くだった。
俺の世界では既にない故郷。しかし、こちらの世界では未だに現存している。なんせ焦土作戦が成されたのは、俺の故郷なのだから。代わりにこちらの世界のあの場所は何の被害もなく、今でもそこに人が暮らしていて、俺たちが経験したような理不尽も訪れていない。
だったら――
俺は任務を言い渡された地域から離れて故郷を目指した。
きっと街の姿は違うだろうが場所は同じだ。ならば……そこに住んでいる人間だって、同じに決まっている。
何時間もかけて俺は故郷を目指して歩く。
鉄の馬車とすれ違うこともあった。でも誰も俺に話しかけてはこない。こんな奇妙な格好をしているならば当たり前だ。
故郷の街に入って、すれ違う人も同様。唯一俺に話しかけてきたのは、小さなちびっ子だった。
「おにいたん!」
「――っ、おっと」
その子供は俺の姿を見かけるや否や、足元目掛けて抱きついてきた。
それに蹴飛ばさないように立ち止まると、俺は彼女に目線を合わせてしゃがんだ。
「……どうしたんだ? 迷子か?」
「ううん!」
「父親か母親はいるか?」
「うん、ママといっしょ!」
ほら、と幼女は勢いよく振り返る。しかしそこにはそれらしい人影は何もなかった。
「あれえ? いないよ?」
「一人ってことは、迷子だな」
「おにいたんも、ひとり?」
「ああ」
「じゃあ、ミュシアとおんなじ!」
どうにもこの子に気に入られたみたいで俺は困り果てた。人捜しをしているというのに、このままでは迷子の親探しになってしまう。
――と思っていると、遠くからこの子の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
「ママはあっちだな」
「あっ! ママ!」
子供の無邪気さに微笑んで、俺は親の元にこの子を帰そうと歩き出す。
俺に抱っこされたミュシアはとてもご機嫌だった。
この世界の住人を殺しに来たというのに、心穏やかにこんな呑気な事をしているなんて、まともな精神じゃない。
それでもなぜか、俺はこの子を放っておけなかった。
そして――すぐにその理由を知ることになる。
「ミュシア!」
娘を見つけた彼女は、すぐに駆け寄ってきた。
それに俺はミュシアを地面に降ろす。すると彼女はすぐに母親の元へと駆けていった。
「ママッ!」
「もう、いきなり走らないでって言ってるでしょう」
「だって、おはなしながいんだもん」
頬を膨らませてミュシアは母親に抗議した。
それにはいはい、と適当に相づちを打つとその母親は俺の方を見る。
「娘がご迷惑をかけてしまって、すみません」
彼女の顔を見て、俺は驚愕に目を見開いた。
「――っ、あ、アリシア……」
そこには、俺の知っている女がいた。
彼女の名前を呼ぶと、その人は訝しげな眼差しを俺に向ける。
「私の名前……どこかで会いましたか?」
「あ、……ど、どうだったかな。俺の人違いかもしれない」
「そうですか?」
思わず俺は否定していた。
それでも、彼女の容姿は俺の知っているアリシアと同じだ。きっと名前も同じなのだろう。そして、彼女の子供と思しき幼女。
二人を目にした瞬間、俺はなぜかほっとした。心の底から安堵した。こちらの世界の俺の大切な人は、平穏の中に生きている。それがどうしようもなく嬉しかったんだ。
「ママぁ! だっこして!」
「はいはい、わがままですね~。もう少しでお姉ちゃんになるのに、これじゃあママ、心配ですよ」
「まだだからいいの!」
誰の目から見ても幸せな親子だ。
彼女が幸せなら俺も嬉しい。そのはずだ。
「……大丈夫ですか?」
気づくと俺は涙を流していた。
兜の下で、声を殺して泣いているとそれに気づいたのか。彼女が心配そうに声をかけてくる。
「い……っ、いや。だいじょうぶ」
声を詰まらせてなんとか答える。けれど、彼女には俺が密かに泣いていることがバレたみいたいだ。
途端に困り顔をして、俺の腕を引くと広場のベンチへと座らせる。その隣に一緒に腰を下ろして、彼女は俺が泣き止むまで傍に居てくれた。
「おにいたん、いたいとこある?」
「いいや、大丈夫だよ」
「そうなの? なきむしさんねぇ」
そう言ってミュシアは俺の頭を撫でた。きっと自分が泣いたら母親に同じことをされているのだろう。そう考えたら微笑ましくなって、俺の涙はいつの間にか引っ込んでいた。
「ありがとう。もう大丈夫だ」
「ほんとう?」
「ああ、君のおかげだな」
褒めてあげると、ミュシアは嬉しそうに破顔してアリシアの方を振り返る。その微笑ましい姿をもう一度目におさめて、俺はベンチから立ち上がった。
「もういくよ」
「ちゃんとしたお礼もできなくてすみません」
「気にしないでくれ。礼ならもう貰った」
俺の言葉にアリシアはきょとんとしていた。彼女には何を言っているんだと思われただろう。でも、それでいい。
踵を返して、俺は広間から去ろうとした。
背後からはミュシアが、さよなら、と手を振っている。それに片手をあげて、俺は親子から遠ざかっていく。
俺の中にあった憎悪が溶けていくのを感じた。
彼女たちが、こうして何不自由なく幸せに生きていてくれるなら、俺は――
「――アリシア!!」
俺のすぐ傍を、男が通り過ぎていった。
彼は彼女の名を呼んで、親子の元へ駆けていく。
俺は歩き出した足を止めて、それを振り返った。そして――直後に、心の底から絶望する。
「勝手にどっかいかないでくれよ」
「ふふっ、ごめんなさい。ミュシアが離れて行っちゃって」
「パパぁ、だっこして!」
「もう……仕方ないなあ」
やれやれと男は嘆息して、自分の娘を抱き上げる。ミュシアはそれにご機嫌で、声を上げて笑っていた。
その笑い声を聞きながら、俺はその男の顔から目を離せなかった。
そこには、俺と同じ顔をした男がいる。
彼には妻と可愛い娘がいて、近々第二子が産まれるようだ。絵に描いたような幸せな家族。
そして、それはきっと……俺が掴み取るはずだった未来の光景。
――なぜ?
どうして俺はあそこにいないんだろう。どうしてアリシアは死んだ? あの理不尽は誰が強いた?
簡単なことだ。すべての元凶は、こいつらが生きているから。偶然生かされているこいつらが、俺たちの未来を奪ったようなものだ。
ほんとうなら。本当なら、俺があの場所にいるはずだ。そのはずなのに、どうして俺はこんなことになっている?
何が悪い? 誰が悪い?
そんなの、アイツが悪いに決まっている。
気がつくと、俺は目の前の男を殴っていた。
アリシアの旦那。ミュシアの父親。そいつに殴りかかっていた。そいつは俺と同じ顔をしていて、何かを喚いている。
でも俺には彼が何を言っているのかわからない。吐き気を必死に堪えて、俺は奴に馬乗りになると殴り続けた。
怒りなのか憎悪なのか。身体中が熱い。心臓の鼓動が大きく響いて耳障りだ。それに酷く喉が渇く。なんだか強烈に腹が空いた。
俺は覚束ない意識のまま、眼下にある肉塊を見た。
顔の判別も出来ない程にグチャグチャにされたそれは既に事切れている。このままでは大きすぎると、それを爪で切り裂いて二つに裂くと俺はそれを飲み込んだ。
===
「――このっ、化物がッ!!」
聞こえた怒号に振り返ると、俺の頭を何かが弾いた。鳴り響く発砲音は武装した兵士から聞こえてくる。
彼らは銃火器で俺を攻撃しているのだ。
それを認識して、銃撃が降り注ぐ中、俺は戸惑った。どうすればいいんだろう。彼らの攻撃も痛くないし、無視を決め込もうと俺はおもむろに眼下を見遣る。
そこには、ミュシアがいた。
けれど、どうしてか彼女は火が付いたように泣いている。傍には母親の姿がない。きっとまたはぐれたのだ。
仕方ないなと嘆息して、俺はまた一緒に母親を探そうと彼女に手を伸ばす。
そうして握りしめていた手のひらを開いたところで、俺は手中に握っていたものの正体を知る。
「ア、アィイア?」
俺の手中にはアリシアがいた。けれど彼女はピクリとも動かない。しばらく呆然とそれを見つめて、俺はその理由がわかった。既に死んでいるんだ。だから、彼女は永遠に俺に笑いかけもしないし、話しかけもしない。
ふと泣き声が聞こえないことに気づいて、俺はミュシアに目を向けた。
泣き喚いていた幼子は、ばったりと地面に倒れて動かない。小さな身体にはいくつかの銃痕が見えて、彼女はそれに倒れたのだ。きっと流れ弾が当たったのだろう。
可哀想だと思いつつ、俺はミュシアを爪先でつまみ上げると自らの手のひらに乗せた。
俺の手のひらには、動かない親子が並んでいる。
俺はそれを愛しげに見つめて。大きな口を開くと、それを飲み込んだ。
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