暗転


 基地に帰還すると、いつもの指揮官が俺に装備の提出を求めた。


「帰還兵は装備を全て外せ」


 同じ文句を言って、彼は俺から装備を受け取る。

 服の中に隠した回収品がバレないか不安だったが、ボディチェックは行われなかった。俺はそれにほっと息を吐く。


 それと入れ替わりで、俺の手にはいつもの手枷が嵌められた。

 この手枷も外せればいいが、最悪無理でも問題はない。少しだけなら自由は利くし、脱走するには多少不便だが、逃げ出した後に時間を掛けて外せばいい。


 自由時間が与えられた俺は、さっそくアリシアを探しに出た。

 彼女はいつも俺が帰還した時を見計らって会いに来てくれる。だから、ゆっくりと宿舎まで歩きながら、その姿を探していた。


「……アリシア?」


 おかしい。アリシアの姿がどこにも見えない。いつもなら、俺の姿を見つけるとすぐに駆け寄ってくる。それが、どれだけ待てども訪れない。


 仕事の時間なのかとも考えた。けれど今は昼時だ。この時間帯はいつも自由時間だと言っていた。ならば仕事の線は薄い。


「何か急用でもあったのか?」


 脱走を計画していることは、アリシアにはまだ話していない。いますぐに打ち明けて彼女を安心させてやりたかった。もう大丈夫だと言ってやりたい。

 それなのに、アリシアの姿はどこにもなかった。


 俺は待つのをやめて彼女の元へ向かう事にした。

 昨日訪れた別区画の宿舎。女性専用のそこに足を運ぶと、何やら区画の入り口が騒がしかった。


「……なんだ?」


 見ると人だかりが出来ている。ざわざわと喧騒が響く中、俺はそれに近付く。

 すると喧騒の中から徐々に話し声が聞こえてきた。


「はあ、またかよ。この間も無茶のしすぎで死んじまったばっかだろ?」

「俺たちの楽しみを奪いやがって! ふざけんな!!」


 喧騒は怒号になりつつあった。

 俺は至近距離で聞こえたそれに、言葉を失う。

 ……しんだ? ころされたのか? だれが? 


「――っ、だれだ!?」

「うっ、あえ?」

「そいつの名前は!?」

「し、しらねえよお。俺も噂きいただけ……うおっ!」


 噂話をしていた男の襟首を乱暴に掴んで問い詰める。けれど決定的な事は何もわからない。俺はそれに痺れを切らして、乱暴に男を解放すると区画の入り口へと向かった。


 逸る気持ちを抑えて、俺は努めて冷静に振る舞おうとする。

 上官に謀反を起こしたと勘違いされたくはない。そんなことになれば懲罰房に入れられる。脱走計画どころの話ではなくなるからだ。


 それに単純に俺の勘違いかも知れない。早とちりだ。死んだのは別の女で、アリシアは事情でも聞かれている。その可能性だってある。きっとそうだ。


「野次馬は消えろ。邪魔だ」


 仏頂面をした指揮官は、俺が目の前に立つと邪険にする。けれど気にすることなく、俺は彼に詰め寄った。


「こ、殺されたって……死んだって聞いた。誰か知りたい」

「女の名前は知らない。だが、事件現場はあの部屋だと聞いている」


 そう言って、彼はある部屋を指差した。

 その先を見る。部屋番号は13と書かれていた。


「う、うそだ……」


 あそこは昨日、俺が訪れた場所。アリシアの仕事部屋。


「そんなの、う――だ、だってき、きのう」


 彼女の身体に触れた感触がまだ残っている。ほっとする暖かな温度。俺はそれを守りたいと思った。だから――


「本当に、面倒な事をしてくれた」


 聞こえた声に顔を上げると、そこにはあの指揮官がいた。彼はいつものように、こめかみを押さえることはしないで、それでも顔を顰めて俺を一瞥している。


「あ、アリシアなはずがない……きっと他のやつだ」

「そうだろう。お前は自分の目で見ないと信じられない」

「あたりまえだ!」

「確かめたいと言うなら案内しよう。おすすめはしないが……酷い有様だからな」


 無表情で言うと、彼は俺を13番の部屋へ案内した。手枷を掛けられたまま、俺は先に入った男の後に続く。

 室内は昨日見た光景そのままだった。簡素なベッドに、その上に横たわる人影。それを目にした瞬間、俺は言葉を失って呆然と立ち尽くした。


「あ――う、ぐっぅ」


 事実を認めたくなくて、身体が拒絶反応を起こす。吐き気が込み上げてきて、胃液を吐いて蹲っていると、ふと視界の端に何かが映り込んだ。


 部屋の隅に誰かが蹲っている。

 それは昨日、食事をしているときにアリシアに突っかかってきた男だった。


「あいつ、なんで……」


 瞬時に脳裏にある考えが浮かぶ。呼吸も忘れて呆けていると俺の背後にいた指揮官が事件の概要を語り出した。


「彼女は仕事に対して従順だった。問題も起こしたことはない。それが何を思ったか、今回は職務を放り出して拒んだ。それに逆上した男に嬲られて、これだ」


 彼の言葉はあの男がアリシアを嬲り殺したのだと断言していた。

 それを聞いた瞬間、俺は激情に任せて男に掴みかかっていた。


「おまえ――っ、おまえがやったのか!?」

「お、おれはわるくない。あ、あいつがおれのこと、拒んだんだ。し、しごとなのに! 昨日はいいって言ってたのに! それなのにあいつが!!」

「ああああああああああ――ッ!!!!!」


 それ以上、戯言を聞きたくなくて俺は男に殴りかかった。重い殴打の音が響く。

 どれだけ殴っても俺の気は治まらない。


 アリシアの身体は痣だらけだった。顔もどれだけ殴られたのか。判別も付かないほどにボコボコにされて、彼女だとわからないほどだ。

 けれど、昨日目にした身体の傷跡が、あの死体は彼女であると物語っている。


 その事実は、嘘だと思いたい俺の心をいとも容易く砕いていった。



 男は俺の暴力に対抗してきた。

 蹲っていたのが俺を突き飛ばして馬乗りになる。拳同士の殴り合い。目を覆いたくなるほどの泥仕合だ。


 指揮官の男は、そんな俺たちを止めるもしないで遠巻きに眺めていた。

 彼の真意はわからないが、止めてくれないのは俺としても好都合だ。アリシアが殺されたのにコイツが生きているなんてあり得ない。俺が殺してやる。


「殺してやるッ!」

「うう、うるさいいぃ!! おれはわるくないんだっ!!」


 男はろれつの回らないまま、叫び続ける。典型的なクスリの中毒症状だ。まともではない。そんな奴らの相手をアリシアはずっとしていた。

 どれだけ怖かっただろう。恐ろしかっただろう。殴られても、どんなことをされても逆らわないで、仕事だからと自分に言い聞かせる。


 毎日増えていく傷跡に、痛くないから気にしなくても良いと俺に言った。

 俺に心配をかけないためだ。逆上して馬鹿な事をさせないためだ。


 彼女に無理をさせていたのは、俺だった。俺だったんだ。


「おまえ、なんで生きてるんだよ! さっさと死ねよ!!」


 吐き出した暴言は誰に向けたものかわからなかった。怒りだけが胸の内に燻っている。きっとこの男を殺しても、この激情が消えることはないのだろう。

 それでも、コイツが生きていることだけは耐えられない。


 馬乗りになった男は俺の首を絞めてきた。それは徐々に力を増していく。どれだけ殴られようとも手を離すことはしなかった。


 首を絞められて頭に血が上っていく。呼吸も苦しい。正常な判断はもう出来ていない。

 そんなとき――


「おっと……」


 カン――っ、と何かが床に落ちた。

 指揮官の男が手を滑らせて落としたのは、抜き身のナイフだった。それが視界の端に入った途端、俺はそれに手を伸ばして切っ先を男の頭蓋に突き刺していた。


「はっ――はぁ」


 飛び散る鮮血に、部屋中が赤く染まる。

 温く気持ち悪い温度。それが俺の身体を包み込んでいく。生臭さに吐き気を催しながら、動かなくなった男を身体の上から退けた。


 俺はナイフを抜くと、事切れた男に向けて何度も振り下ろした。

 たった一回。死んだくらいじゃ俺の怒りは治まらない。一刺しごとに、胸に溜まった憎悪を消化するように、俺は夢中になって男を嬲り続けた。


 俺がそれを辞めたのは、ナイフの刃が柄から折れて、壊れてしまったからだ。

 息も荒くただ立ち尽くしている俺に向かって、背後から声が聞こえてきた。


「気は済んだか?」


 血まみれの顔で振り返ると、俺の背後には指揮官の男が立っていた。

 彼はずっと俺の行為を見ていたらしい。その顔は相変わらずの顰めっ面で、腹の底では何を考えているのか。わかったものじゃない。


「おれは、ころされるのか?」

「俺がここでの事を報告しない限りそれはない。そして、俺はお前のしでかした事を報告するつもりはない」


 安心しろ、と彼は言った。

 どうして俺を庇うような事を言うのか。不明だが、俺は彼の証言を聞いて、心の底から落胆していた。


「……そうか」

「遺恨を残すと作戦に支障が出る。どうせ死んでもいい人間だ。お前が殺したところで何の問題もない」

「……っ、そうか」

「嬉しくなさそうだ」

「これ以上、生きていてもおれは」

「なんだ。死にたいのか?」


 指揮官の言葉に俺はゆっくりと頷いた。

 それを見た彼は、少しだけ口角をあげる。


「ならお前に、うってつけの話がある。まだ秘密裏の作戦だ。明後日の殲滅作戦の事はしっているな?」


 彼の問いかけに俺は無言で肯首した。


「その前日、明日の明朝。先行で別働隊を先に動かす手筈だ。しかし、それの隊員が決まらず難航している。作戦内容上、死にに行けと言うようなものだ。ここの部隊はクズばかりだが、それでも皆、死ぬとわかっていると自分の命が惜しいらしい」

「それに参加しろって言いたいのか」

「あくまで俺は作戦があるという話をしている。それに志願するかは……お前の自由だ。拒否しても何の罰則もない。もちろん今の事だって口外はしない」


 ――どうする?

 指揮官は俺に尋ねた。


 どうするもなにも、決まっている。

 俺は彼の手を取った。安易な自殺の方法に、喜んで飛びついたのだ。

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