脱走計画
逢瀬が終わると、留める彼女をやんわりと断って、夜が明ける前に俺は部屋を出た。
同区画にある貸し切りの浴場へと入ると、汗を流す。
熱い湯を頭から被って、俺はやっと決意を固めた。近いうちにアリシアを連れてここから逃げ出す。これ以上、彼女に無理はさせられない。
何を今更と思われるかもしれないが、ついさっき彼女と触れ合ってわかった。アリシアはもう限界だ。今は自分に言い聞かせて無理をしているだけにすぎない。
愛情もなく乱暴に抱かれて、暴力を振るわれる。そんな環境に身を置いてまともで居られるはずがない。いずれ耐えられない時が必ず来る。
そうなる前に、この場所から彼女を連れ出す。
脱走の算段ならある。
とはいえ、悠長にしてはいられない。アリシアのこともだが、部隊の作戦決行日も近くなりつつある。
平行世界における侵略作戦が近々行われる予定だ。
ここにいる部隊の連中は、皆それに参加させられる。異世界への侵攻。それすなわち虐殺の始まりを意味する。
もちろん、死人の集まりであるこの部隊では隊員の生死は重要視されていない。生きて帰ってきても、死んでしまってもどちらでもいい。
だから、その前に逃げ出さないといけない。
準備に今日一日、手筈が整い次第、隙を見て脱出する。
濡れた髪をかき上げて、俺は鏡に映る自分の顔を見た。
決意の籠もった眼差し。今度は口だけじゃない。絶対に成し遂げて、彼女を安心させてやる。
風呂から上がって区画出口へ行くと、指揮官の男が俺の戻りを待っていた。
戻ってきた俺に気づいた彼は手枷を俺の手に嵌める。
「次の作戦時刻は明朝6時からだ。それまで自室で待機していろ」
必要事項だけを手短に告げると、指揮官はさっさと行けと顎で指図をする。それに従って俺は自室へと戻った。
作戦時刻まであと5時間。眠って身体を休めるべきだが、どうしても俺は寝付けなかった。
===
「ぐっ、うぅ……気持ち悪ぃ」
吐き気を感じながら俺は眩い朝陽に目を細めて、空中を浮遊していた。
どうあってもこの浮遊感は慣れない。それでも、あの山脈の天辺にある基地から出るには浮遊魔法が不可欠だ。
それが脱走の絶対条件。
それをクリアするには、少しばかり知恵を絞らなければならない。そして、俺にはひとつだけあてがあった。
昨日の作戦の殉職者二名。そいつらの装備を探し出して確保する。
部隊の人間がどれだけ死んでも上は気にしない。装備も未回収のまま。俺が目をつけたところはそこだ。
幸い二人分。バレずに装備を回収して、深夜か早朝、警備が少ない時間帯を見計らってあの場所から逃げ出す。
当然脱走なんてしたら規律違反。問答無用で殺される。でも一度あの場所から逃げさえすれば、奴らは地の果てまでは追いかけては来ない。
使い捨ての駒程度の存在だ。そんなのが二人、逃げ出したところで痛くも痒くもないのだろう。
だったら今頃脱走兵がわんさか出ていると思うだろうが……現実は過酷なものだ。今の世界情勢で言えば、あの基地の中は比較的安全な部類に入る。
外の世界ではいつ異世界の侵略が来るかわからない。突然、空から爆弾や機械兵が降ってこないとも限らないのだ。
未だ安全な地域に暮らしている住民だって、みな死の危険を感じながら生活している。
そして焦土作戦で故郷を失った俺たちに返る場所なんてない。だからこそ、皆あの場所に居ることを選ぶのだ。
辛くても苦しくても、明日死ぬかもしれないと知っていても。誰だって同じ苦痛を抱えている。自分ひとりだけが特別じゃない。
だからといって、その苦痛を耐えられるかといえば、そうとも限らない。アリシアの限界は迫っていて、俺は彼女を死なせたくはない。
だから、なんとしてでも彼女をあの場所から逃がす。その後の事はまだ何も考えていない。けれど、生きている限り、未来は誰にでも平等に訪れるものだ。
その中から幸せを掴み取る事だって出来るはずだ。
「あった……よし、ちゃんと使えるな」
作戦中に抜け出して、二人分の装備を回収した俺は何食わぬ顔で部隊の元へ戻る。
俺が抜けた事には、他の隊員は何も言わなかった。
それもそうだ。あの部隊にはまともな奴は殆どいない。たいていの奴らがクスリをやっているし、他人のことなんて気に掛けもしない。
苦痛や恐怖から逃れるにはそれが手っ取り早いのだ。俺だって、もしアリシアが居なくて独りだったならば……彼らと同じ末路を辿っていたかも知れない。
俺はたぶん、ものすごく恵まれている。あの場所に限りの話だけど……大事な人が傍に居て、まだ生きていてくれるのだから。これ以上、幸運なこともない。
であれば、それを失うことなどあってはならない。
回収した装備を服の中にしまって、俺は部隊と共に帰還した。
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