第19話 空腹に負けて

 葉月さんとともに幻術の壁を通り抜けると、そこには第一の門と同様、巨大な門がそびえたっていた。


 第一の門は石でできていたが、今度はレンガ造りのようだ。

 この門も大きくひび割れていて、崩れたレンガの隙間からは常闇が広がっている。


 儀式の準備を進める葉月さんを眺めつつ、私は背負い籠から保存瓶を取り出した。

 中に入っているのは、以前森の中で見つけた青緑の花。

 神力を吸収するという、浅葱あさぎ蝶だ。


(なんとなく使えそうだから採っておいたんだよね。葉月さんは薬草として扱わない植物だって言っていたけど、それって多分、神力を吸収する特徴のせいで扱いづらいからなんじゃないかな)


 神力や妖力が当たり前に存在するこの世界で、人間は悲しいほど役立たずだ。

 けれど、力を持たないことが、逆に有利に働くこともある。


(今回がそのパターンな気がする。つまり、浅葱蝶は人間の私なら扱える……はず。雑草だから簡単に集められるし、もし薬として活用できるのなら、だいぶ重宝されるよね)


 我ながら素晴らしい発見をしてしまったのではなかろうか。

 一気にテンションの上がる私に、ふと冷静な自分の声が降ってきた。


(……いや、でも、普通に薬になるような成分が含まれていない可能性もあるじゃん。第一、私のような若輩者が思いつくくらいだもん。すでに葉月さんたちも試してるよね。試行錯誤して)


 うんうんと考え込んでいるうちに、どうやら儀式の準備が終わったらしい。

 門の前に立つ葉月さんを見て、私は無意識のうちに背筋を伸ばした。


 一枚のお札を手にした葉月さんは、まっすぐ門を見据えている。

 以前儀式をしたときと同じように、祝詞に似た言葉が紡がれる。


 同時に、葉月さんの持っているお札が、眩い光を放ちはじめた。

 寒々しい空気が一瞬で神聖なものに変わり、じんわりと熱を帯びる。

 

(そういえば、月結びの儀式をちゃんと見るのは初めてだな。第一の門は危険な場所にあったから、見張りをするために背を向けていたし。ちょっと緊張する……)


 固唾をのんで見守る私の眼前で、葉月さんが輝くお札をそっと離した。

 お札はしばらく空中に停滞していたが、やがて葉月さんのかざす手の動きに従って、軽やかに門の扉の前まで舞った。


 さながら指揮者のごとく繊細な仕草でお札を操り、扉にピタリと貼り付ける。

 次の瞬間、門全体に走っていたひび割れが、あたかも最初からなかったようにスッと消えていった。


(すごい……)


 私は声もなく呟いた。

 しばらく呆然と眺めていたが、ハッと我に返って足元に置いていた小瓶を掴む。

 そして、儀式が完全に終わったことを確認してから、葉月さんの元に駆け寄った。


「葉月さん、これ……」


 声をかけると、わずかに疲れの滲んだ笑顔で返してくれる。

 受け取った小瓶を傾ける葉月さんに、私はホッと安堵の息をついた。

 どうやらこの前よりは疲れていないようだ。


「二回目ということもあって、神力の流す量が分かってきました。これなら最後まで持ちそうです」


 なにか手ごたえを感じたようで、葉月さんが嬉しそうに微笑む。

 二人の視線の先には、神々しい気配を放つ門がひっそりと佇んでいた。


 無事に門を閉じ終えた私たちは、知識の町【ルアド】を去り、再びチェントロネプに向かった。

 本当は第一の門のあった森から真っ直ぐルアドまで行く予定だったのだが、その途中に通る町で何やら例の組織が怪しい動きを見せているらしく、わざわざ迂回したのだ。


 その情報を提供してくれた朔矢さんには、本当に感謝している。

 もちろん、情報を届けてくれた朔矢さんのお父さんにも。


 ぼんやりと馬車に揺られているうちに、景色はレンガや石畳の建物から一変、漆喰しっくい壁の家々が立ち並ぶ通りに出た。


 馬の爪音に交じって、微かに海の波打つ音も聞こえてくる。

 やがて、私たちを乗せた馬車は小さな停留所に止まった。

 終点の宿場区域だ。


「実は最近、避難するために海を渡ろうってひとが大勢いますの。向こうはまだあまり被害が出ていないらしくて。その影響で宿屋はてんやわんやしていらっしゃるとか。空いている部屋があると良いのですか」


 馬車をぎょしていた御者の女性が、困り顔で頬に手を当てた。

 

「それは困りましたね。もしかして、客船も……?」

「ええ、客船もたいてい満員ですわ。一日に何度も出港しているし、乗れないことはないけれど……快適な船旅は期待しないほうが良いわね」

「そうですか……」


 そんな会話をしてから、およそ一時間後。

 私たちは数軒目の宿屋をすごすごと後にした。

 御者の言うとおり、どこも満室らしい。

 

「……どうしますか?」

 

 グウグウと騒ぎ立てるお腹をさすりながら、私は尋ねた。


 そろそろ夕食の時間帯だ。

 そこかしこから美味しそうな香りが漂ってくるものだから、余計に空腹を感じてしまう。

 それは葉月さんも同じようで、ワンテンポ遅れて返事がきた。

 

「……そうですね。宿探しは一旦やめて、先にご飯にしましょう。私の記憶が正しければ、船着場のすぐ近くに海鮮の美味しい酒場がありますから」


 私は葉月さんの言葉に力強くうなずいて同意した。

 腹が減っては宿探しができぬ、ということだ。


 さっそく船着場に向かうと、徐々に明るい音楽が聞こえてくる。

 私と葉月さんは顔を見合せて笑った。


「なんか、すごく賑やかですね」

「ええ、本当に。位置的にみて、酒場の辺りから聞こえてくるようですね。ようやく食事にありつけそうでホッとしました」


 私たちは足取り軽く、酒場の方へ歩を進めた。

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