第18話 本の森
薬屋から出て少し歩いたところに専門店街がある。
そのお店の一つ、手芸用品店の前で、耳あてにローブ姿の私はポツンと立っていた。
道行くひとびとの
一緒に行こうとした私を慌てて制し、すぐ戻るからと言い残して去っていく彼女に寂しく思いながら、私はその場に留まった。
それにしても、結奈さんは手芸用品店で一体なにを買おうとしているのだろう。
裁縫道具は簡易的なものであれば持っているし、ともすれば専門店でしか買えないような
(……いや、やめよう。こうやってひとの真意を探るのは失礼だろう。もしかしたら、女性にしか分からないようなもの……例えばブラジャーなるものの留め金が……)
そこまで考えてハッと我に返った。
(私はいったい何を考えて……! いつからそんな邪念ばかりの男になったんだ。これはいけない。早く振り払わねばっ)
私はブンブンと頭を振って、そのままお店の壁に額を打ちつける。
……普通に痛い。
しかし、どうやら余計なことを考える自分は去っていったようだ。
そのことにホッとするのと、戻ってきた結奈さんが小さく悲鳴を上げたのは同時だった。
「うわぁ! 葉月さん何しているんですか!! おでこが赤くなっていますよ!?」
紙袋を小脇に抱え、ただならない形相で私の額を撫でる結奈さんに思わず笑みがこぼれた。
何事にも一生懸命な彼女の、真剣な眼差しが好きだ。
「もう、笑っている場合じゃありませんよ。絶対痛かったでしょ」
「ふふっ、痛かったです」
「ほらぁ」と私よりも痛そうな顔をしてから、結奈さんは思い出したように顔を上げた。
「あっ、葉月さん、寒いなか待たせしてしまってすみません」
「いえいえ。欲しいものは買えましたか?」
私の問いに、結奈さんは満面の笑みで頷いた。
「はい、バッチリ! 楽しみにしていてくださいね!」
「えっ!」
「え?」
あれだけ大事にしようと決めていたのに、つい期待してしまう浅ましい自分に呆れる。
ごまかすように咳払いをして、私は懐から地図を取り出した。
「そろそろ目的地へ向かいましょうか」
「はい! ええと、第二の門は図書館の中にあるんでしたっけ?」
心なしか目がキラキラしている結奈さんに頷いてから、私は道順を確認し始めた。
「そうなんです。それも一日では回りきれないほど巨大な図書館で、一説によると現世の書物が全て所蔵されているのだとか」
「現世の全ての本が……! それは本好きには堪りませんね」
そう言って目を輝かせる結奈さんも、彼女のいう『本好き』の仲間なのだろう。
思ったことがすぐに顔に出るので、結奈さんはとても分かりやすい。
ついでに図書館のある隣町【ルアド】の説明もしようとして、私は開きかけた口を
(町の説明をしようとすると、どうしても神様の話が出てきてしまう。結奈さんにどこまで話して良いのか、正直わからない。人間が世界の核心に触れることは禁じられているから)
これは人と唯一かかわりを持つ霊狐一族が長年言い伝えてきた禁戒の一つでもある。
世界の仕組みを本能的に理解する我々とは違い、人間は何百何千もの学者が一生をかけて
しかし、その代わりに人は世の中を発展させる力を持っている。
常世ではこれを『応用力』と呼んでいて、つまりは学んだ事を樹形図のように広げていく能力を指す。
常世が中途半端に発展している原因はここにあった。
我々あやかしは何かを発展させる能力がないから、いつだって現世の知恵を取り入れることでしか世界の時間を進めることができないのだ。
人間の力がどれほど素晴らしいのか、おそらく彼らに話しても理解してもらえないだろう。
神力や妖力をすごいと言ってくれる結奈さんに、何度心の中で言い返したことか。
まだ私たちが現世にいたころ、一度だけこの話をしたことがあるが、どこまで理解してくれたのかは分からない。
半信半疑な反応を見せた後、彼女はそれでも人間は無力だと笑っていた。
妖と人間。常世と現世。
近くて遠いこの関係が、五つの門を全て開けてしまったせいで壊れようとしている。
神様の存在するこの世界も、結奈さんの大切な人たちがいる現世も、どちらも守りたい。
そのためにすることはただ一つ。
「ここが、第二の門のある図書館……?」
隣で結奈さんが呆然と呟いた。
チェントロネプから馬車で
別名【知識の町】とも呼ばれたそこは、本屋や資料館などで溢れている。
中でも目立つのが、この目の前にそびえ立つデルバイス図書館だ。
私と結奈さんは、連れ立て図書館の中に入っていった。
半球状の天井と静まり返った館内のおかげで、少しの物音でも良く響く。
しかし、そのどれもが
「この図書館は1700年以上前に設立されたものですから、改増築を重ねているとはいえ、かなり年季の入った見た目をしていたでしょう。膨大な本棚の最奥に幻術が施されているので、少し歩かなければなりません」
小声で話しかけると、結奈さんは忙しなく視線を泳がしながらうなずいた。
「術が手前にあったらバレちゃいますもんね」
こそこそと話しながら、本の森をどんどん歩いていく。
途中何回かお互い歩みを止めかけたが、なんとか求知心を振り切って前に進む。
建物の極地にたどり着くと、そこには何の変哲もない壁が広がっていた。
いや、一見壁のように見えて、わずかに同胞の神力の気配がしている。
結奈さんに見守られながら、私はそっと壁に手を伸ばした。
ピリッと微かな痺れとともに、手が壁をすり抜ける。
周囲を気にしながら二人そろって幻術を抜けると、少し離れたところに巨大な門が佇んでいた。
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