第17話 チェントロネプ

 撓雪しおりゆきをまとう木々から一転、辺りは西洋の街並みに囲まれていた。

 屋根はうっすら雪をかぶっていたが、港のある街でひと気がある分、山の中よりは寒さが和らいだように感じる。


 見知らぬ老爺の家に泊めてもらった私と葉月さんは、翌朝の早い時間帯に出発した。

 山のふもとの集落で物売りをしていた商人の荷馬車に乗せてもらい、数時間かけてたどり着いたのが、この【チェントロネプ】と呼ばれる港町だ。


 イタリアのアマルフィ海岸を思わすそこは、この異常気象さえなければ、日光と暖かな海風に包まれたバケーションとなっていたことだろう。

 一口に現世といっても、場所によって世界観が全然違うようだ。


 そんなこんなで今、私たちは街灯に照らされたチェントロネプの街中を歩きつつ、第二の門を目指しているところである。


「この辺りは政府側の管轄ではないので、仮に見つかったとしても、彼らが私たちに手を出すことは不可能です。ただ、ひとの出入りは基本的に自由ですし、切羽詰まった追っ手が何をするか分かりませんから、周囲への警戒は怠らないようにしましょう」


「わかりました。ところで、その政府側というのは……?」


 声を潜めて言う葉月さんに頷いてから、私は小さく首を傾げた。

 質問を受けた葉月さんの表情が、少しだけ強張る。

 葉月さんはしばし逡巡し、ゆっくり口を開いた。


「ええと、つまり神様の……いや、違うな。そうではなくて、ええと……」


 説明上手な葉月さんにしては珍しい。

 言葉を詰まらせる彼に、私は思わず眉を上げた。


「説明が難しいのなら大丈夫ですよ。ちょっと気になっただけですから。それより──」


 困らせてはいけないと話題を変えかけたとき、突如街中に蒸気船の汽笛の音が鳴りわたった。

 重く響くその音は、鼓膜だけでなく体中を震わせる。

 耳の良い葉月さんが、少しばかり大袈裟に肩をすくめた。

 

「……この街に哺乳類の妖が住まない理由が、今なんとなくわかりました」


 フードの上から耳を抑えながら、葉月さんが苦々しく言う。

 私は心配になって眉を下げた。


「大丈夫ですか? どこかで耳あてを買った方が良いかもしれませんね」


 この街は観光地でもあるため、様々なお土産屋さんが立ち並んでいる。

 おしゃれなレストランやカフェ、カラフルな食器類を扱う陶器店などなど。

 その中にアパレルショップもいくらかあったはずだ。


「そうですね。せっかくですし、少し買い物をしていきましょうか。この地ならではの物がたくさんあって、きっと楽しいですよ」

「いいですね!」


 そんなわけで、私と葉月さんはしばしのショッピングデートに興じた。

 荷物になるので多くは買えなかったが、こういうのは周遊するだけで十分楽しい。

 いわゆるウィンドウショッピングだ。

 

 アパレルショップで無事に耳あてを購入し、色々な雑貨屋を見ては「かわいい」や「綺麗」と感想を口にした。

 街外れのカフェで休憩した後、葉月さんの先導で私たちは複雑な道に入った。

 迷路のように入り組んだそこをしばらく進むと、小さな店が一つ、ポツンと建っている。


「葉月さん、ここは?」


 尋ねる私に、葉月さんはしたり顔で振り返った。


「薬屋です。天中や月夜町近辺では手に入らないような、珍しい薬草や薬液が売られています」


 それを聞いて、一気に体温が上がるのを感じた。

 私たちはギラギラと目を光らせて、店の戸口に立った。

 取っ手を掴む葉月さんが、ちらりとこちらに視線を送る。

 そのまま私たちはこくんと頷きあった。


「では、参りましょうか」

「はい。いざ、尋常に──」


 迷惑にならない程度に勢いよく入店すると、ドアに取り付けられたベルが軽やかに鳴った。

 店内はひとの気配がなく、大きな薬品棚がそこかしこに設置されている。

 少し埃っぽいのは、それだけマイナーな店であるという証拠だ。


(うわぁ、すっごくファンタジーな雰囲気。魔女の薬屋さんって感じだ)


 至る所に薬草が置いてあり、棚には大小様々なガラス瓶が飾られている。

 葉月さんについて店の奥まで進むと、カウンターに一人、店主らしきひとが座っていた。


 眼鏡をかけた白髪交じりの老婆で、まるで本物の魔女のような出で立ちだ。

 私の視線に気づいて、老婆はふっと目を細めて笑った。


「いらっしゃい。ゆっくり見ていってね」

「ありがとうございます」


 二人そろって会釈すると、老婆はいっそう優しく微笑んだ。


 店をしばらく見て回ってから、葉月さんはいくつか薬品を手に取った。

 どの薬もおしゃれな瓶に入っていて、見ているだけでワクワクする。


「何の薬ですか?」

顛茄てんかです。ベラドンナという呼び名の方が有名でしょうか。鎮痛薬や筋弛緩薬として用いるのですが、強い毒性を持つので、薬師の免許証がないと買えないのです。稀少なため、扱っているお店も少なくて」


 私の問いに答えながらも、葉月さんは嬉々として次の棚に向かう。

 紫石英しせきえいと呼ばれる鉱石や、冬虫夏草とうちゅうかそうという奇妙な形のキノコなど、どの棚も珍しい生薬が並んでいる。

 

(うーん、やっぱり薬草かなぁ)


 私は嬉しそうに商品を吟味する彼の横顔を見つつ、心の内で呟く。

 何を悩んでいるのかというと、葉月さんの誕生日プレゼントである。

 葉月さんには色々ともらってばかりだし、何より気持ちを形にして贈りたいと思ったのだ。


(でもなぁ……薬草をプレゼントって変すぎるよね……。たぶん喜んでくれるだろうけど)


「うーん、何かないかなぁ。…………あっ!」


 思案しながら店内を見渡していた私は、天井にマクラメのタペストリーを見つけて手をポンと打った。

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