第16話 狐の手袋
全身を襲う鈍い痛みと、猛烈な寒気。
それらを頼りに揺らぐ意識を必死にかき集め、重い瞼を持ち上げたのは、ここ一週間ほど行方不明になっていたタウフィークだ。
椅子に縛られていて身動きが取れないタウフィークは、緩慢な仕草で頭をもたげて辺りを見渡した。
(今日は何日だ……? 組織のやつらに捕まって、一体どれくらい経った?)
窓のない部屋に監禁されているせいで、今が夜なのか朝なのかすら分からない。
部屋に求めている情報がないと分かると、タウフィークは諦めて目を閉じた。
アルミラージの特徴の一つである、長いウサギ耳をピンと立てる。
(ひとの気配はあるけど、どれも遠いな。それから、少し離れたところに見張りが二人。……他に動きはない。今のうちに逃げる算段をつけておかないと、そろそろハサン達が痺れを切らして救出に来そうだ)
「それだけは避けないと……」
苦笑しつつ呟いた声は、水分の不足で掠れていた。
タウフィークが捕まったのは、今からちょうど一週間前のことだった。
組織の一員である
バレていることには気づいていたので、その段階で逃げることもできたのだが、タウフィークは葉月と結奈に手紙で警告することを選んだ。
転送機は、自分と同じく組織に潜入していた、レオドールの部下に借りた。
その際、レオドールの部下に離脱するよう伝えたのだが、彼は以前会ったときと同様、不愛想にこちらを見返すだけだった。
(まあ、何か考えがあるようだったし、好きにしたらいいと思うけど。……それにしても……っ)
タウフィークはわずかに身をよじって、顔をしかめた。
(思いのほか手酷くやられちゃったな。仕事上、拷問されること事態は訓練で慣れているけど、まさか自白剤を使われるとは)
それだけ本気なのだろう。
朦朧とした意識の中、簡単な質問を何度かされ、次第に本題に入っていく。
聞かれた内容は、やはりと言うべきか、葉月の居所についてがほとんどだった。
普通のひとならば、自白剤を使われた時点で秘密を隠すことは不可能だ。
正常な判断ができないため、隠し事などの難しい行為ができなくなるのだ。
しかし、タウフィークは答えなかった。
様々な拷問を受け、自白剤を投与されてもなお、無言を貫いた。
相手側もアルミラージ一族の次期族長を容易に殺すことはできず、結果的に監禁状態のまま放置されている。
たまに水を無理やり口に含ませてくるが、それ以上の干渉はしてこない。
それなりの地位を持つタウフィークを、扱いかねているのだろう。
(逃げなかったことに後悔はないけど、無駄だったかなって気はしてるんだよね。あの葉月が、黙って現世に居てくれるとは思えないし。……ていうか、そろそろ解放してくれないかなぁ)
ぐったりと首を垂れるタウフィークの耳に、ふと複数の足音が届いた。
徐々に大きくなってくることから、近づいてきているのだと察する。
やがて足音は、タウフィークのいる部屋の前で止まった。
鍵を回す音に顔を上げると、見慣れた拷問官の姿があった。
その後ろには体格の良い男が数名立っている。
「おやおや、起きていらっしゃいましたか。アルミラージ一族の副族長殿。元気そうでなによりです」
にこやかに話す拷問官を、タウフィークは黙って睨みつけた。
拷問官は肩をすくめてから、男たちに何やら合図を出す。
それを受けて、彼らは素早くタウフィークを取り囲んだ。
「政府からの命でしてね。悪いけど、あなたには死んでもらいます」
タウフィークは一瞬呆気にとられたが、すぐに冷静な表情で拷問官に目を向けた。
「そんなことをして、うちの一族が黙っているとは思えないが。アルミラージ一族を敵に回すと怖いってことを、お前は良く知っているはずだ」
乾ききって痛む喉を酷使して、タウフィークは言い返す。
すると、拷問官はニヤリと気味の悪い笑みを浮かべて口を開いた。
「もちろん知っていますよ。なんたって私、元アルミラージ一族ですから」
拷問官はアルミラージの特徴の一つである真っ赤な瞳を細め、笑みを深める。
「皆さん口が堅いもので、あなたの情報を集めるの苦労したんですよ。でも、ほら、あなたの可愛がっている弟さん……ラティーフといいましたか。彼が教えてくれましたよ。あなたがこの組織に潜入調査をしていること」
「はっ、嘘ばかり吐きやがって。ラティーフは何があっても情報を軽々しく口にしない。正義感のある、優しい子だ。馬鹿にするな」
そう言い切ると、拷問官は実に楽しそうに頷いた。
「さすが、尊敬すべし族長一家! 一族みんなが心酔するわけだ!」
言い終えると同時に、ふっと拷問官の顔から笑みが消える。
凍えきった視線がタウフィークを見下ろした。
「……胸くそわりぃな」
急な変わり様に驚くタウフィークの目の前で、拷問官は手にしていた大きめの箱を開けた。
カチャカチャとガラス同士の擦れる音が辺りに響く。
「アルミラージ一族は血を大事にする。族長の子供が次期族長に。私はそれが不思議でなりませんでした」
拷問官は、小瓶の中身を注射器で吸い上げながら、なおも続けた。
「誰にだって上に立つ権利はあるでしょう? 族長の息子よりも……あなたよりも、私の方が全てにおいて出来が良かった。それなのに……それなのに……!!」
声を荒らげながら、拷問官が小瓶を床に叩きつける。
ガラスがパリンと派手な音を立てて割れ、中身の液体が飛び散った。
その様を眺めながら、タウフィークは「そういうことか」と心の中で呟いた。
要は嫉妬だ。
族長になりたくてもなれない境遇が悔しくて、それでこの組織に入ったのだろう。
何かで一番になりたくて。
どう返そうか迷っているうちに、縛られている体が、屈強な数人の男によってさらに押さえつけられた。
「なっ……! 離せ!!」
抵抗しようと身をよじるが、びくともしない。
「ようやく、あなたを正当な理由で殺せる日が来ました。ですが、すぐに殺っては勿体ない。ゆっくりじっくり、死なせてあげましょう」
再び笑みを浮かべた拷問官が、注射器片手に近づいてくる。
タウフィークは死の恐怖で怯みそうな自身を必死に律し、前を見据えた。
「これが最後です。偽神の居所と、彼の協力者の名前を言いなさい」
「……死んでも言わないよ」
タウフィークが不敵な笑みを浮かべて答えた。
アルミラージ一族の副族長として、そしてなにより兄として、恥じない最期でありたい。
そんな願いとともに、タウフィークは覚悟を決める。
「そうですか。それは残念。では、愛する狐の手袋で殺して差し上げましょう」
拷問官はにこりと微笑むと、乱暴にタウフィークの腕をつかみ、容赦なく注射針を突き立てた。
鋭い痛みに体が硬直する。
頭痛と吐き気に
だらりと四肢の力が抜けたタウフィークを、複数の男が運んでいく。
その様子を悠然と眺めながら、拷問官はひっそりとほくそ笑んだ。
「残念でしたね、副族長殿。あなたが辛い拷問に耐えて必死に守った情報は、政府によってすでに入手済みです。近いうちに偽神は殺される。それを知った時のあなたの表情が、今から楽しみです」
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