第13話 夜さりに追われて

 ヒュウヒュウと不安を掻き立ててくる風音に、私は一歩後退した。

 扉の先は墨をこぼしたような闇に包まれていて、見れば見るほど心がざわつく。


「この先には一体何があるんですか?」

 渇いた声で尋ねる。

 しかし、葉月さんは「分かりません」と首を横に振った。


「宇宙なのか、それとも虚無なのか。いずれにせよ、この先には行きたくありませんね」

 頷いて同意する私の横で、葉月さんが薬箱の中から何枚ものお札を取り出した。


「儀式が終わるまで、私は気配を察知することができなくなります。その間、結奈さんには出入り口の見張りを頼みたいのですが、よろしいですか?」


 歩数を計ってはお札を置いていた葉月さんが、顔を上げて尋ねる。

 その確かめるような眼差しに、私は背筋を伸ばした。


「わかりました」

 了解の意を示し、懐から小刀を取り出す。

 ずしりと重たいそれは、握った手のぬくもりを拒むように硬くひんやりしていた。


「でも、こんな状態から元通りになれるんですか? 半壊しているように見えますけど……」

 出入り口から目を逸らさずに聞く。


「外観だけならば修復できます。門を閉じることも可能です。……ただし、私ができるのはここまで。私は偽神と呼ばれていますけれど、神様ではないから」

「……それで十分なんじゃないんですか?」

 悔しそうな声に私は首を傾げた。

 

「今回の旅の目的は門を閉じることだって、葉月さん言っていたでしょう? 門を閉じれば世界の崩壊を止めることができるって」

 そう尋ねると、やや間をおいて「ええ、たしかに」と返された。


「すべての門を閉じれば、確実に世界の崩壊は収まるでしょう。しかし、常世と現世を一から結ぶことは、霊狐一族にも、偽神にもできません。月結びの儀式はあくまで結んだ縁をなぞるだけ。本当に二つの世界を繋げられるのは、神様ただひとりなのです」


 声音の節々から遣る瀬無い気持ちが伝わってくる。

 けれど、葉月さんの言っていること全てを理解することはできなかった。

 話自体は分かるのに、神様の名が挙がるたび、その話が途方もないものに思えてしまう。


(うまく言えないけど……なんというか、理解することを本能的に拒んでいるような気がする。これ以上考えちゃだめだって、脳が勝手に思考を止めちゃう。靄がかかったみたいに分からなくなる)


「準備が終わりました」

 見張りをしつつ考え込んでいた私は、上から降ってきた声に驚いて肩をびくっと揺らした。

 そんな私に気づいて、葉月さんがふと複雑な表情を浮かべる。

 悲しそうな、ホッとしているような、そんな顔をしつつ微笑んだ彼は、私が何かを言う前に踵を返した。


「それでは、見張りをよろしくお願いしますね」

「は、はい……」

 その瞬間、混沌としていた脳内がスッと落ち着いた。


 困惑を押し殺して、私はとりあえず見張りに専念することにする。

 勝手についてきたのだ。

 役に立たなければ、私がここにいる意味がない。


 気を引き締めたところで、門の方から柔らかな深緑の光が差し込んできた。

 凍てつくような空気がじんわり暖かくなる。

 どうやら儀式が始まったらしい。


「この厳門いつもんすために 我が眷族けんぞくの力を贖物あがものにて差し上ぐ。さては随神かむながら門繕い 月結びの儀式を終わらすることを誓言せいげん仕る」


 どこまでも凪いだ声が、祝詞のりとに似た言葉を紡ぐ。

 一つ一つ、大事に告げられたそれは、古い言葉であるという理由だけではない、なにか特別な力を感じた。

 それから少しして、差した光は温かい風とともに消えていった。

 

「結奈さん、終わりました」

 力のない声に慌てて振り返ると、儀式の前に見たときより幾分か憔悴した葉月さんが、困った様に微笑んでいた。


 緩慢な仕草で立ち上がった彼を見て、私は急いで薬箱を開ける。

 そして小瓶を一つ掴むと、門の方へ駆け寄った。


「大丈夫ですか? これ、回復薬です」

 蓋を開けて手渡しつつ、葉月さんの様子をじっと観察する。

 疲れの滲んだ顔が、貧血を起こしたときのように青ざめていた。

 

「葉月さん、顔色が……」

「あはは……思ったよりも消耗が激しくて。私も驚きました」

 空になった小瓶を片付けながら、葉月さんが苦笑した。

 心配をかけまいと気丈に振舞っているようだが、一目で空元気だとわかるほどの顔色の悪さだ。


「少し休んでから移動しますか?」

 水筒を取り出しながら聞くと、無言で首を横に振られた。

 なんだか小さい子供を相手しているような気分になって、心配する気持ちとは別に、愛おしさが湧く。


 荷物を手早くまとめた私は、少しぼんやりとしている葉月さんに近寄ると、力の限り抱きしめた。


「結奈さん……」

 驚いたような声に顔を上げるが、葉月さんと目が合う前に、頭を彼の胸に押し付けられてしまった。

「見ないでください。情けない顔をしていると思うので」

「わ、わかりました……」 


 私は少し残念に思いつつ、ホッとして肩の力を抜いた。

(らしくないことをしてしまった……。葉月さん、絶対びっくりしていたよね。恥ずかしい……)

 小さく呻いて、真っ赤に染まった顔を隠すように俯く。

 お互いに落ち着いたところで、私たちは幻術の外に出た。


「それで、次はどこへ向かうんですか?」

 まだ少し熱い頬を冷気で冷ましながら、私は尋ねる。

「次は、この山の麓にある集落に行きます。安全な宿を朔矢のお父さんから教えてもらいましたから──」


 そこまで言いかけて、葉月さんはパッと顔を上げた。

 フードを僅かに持ち上げ、三角の耳をせわしなく動かす。

 理解の追いついていない私は、ひとまず邪魔にならないよう口を噤んだ。


 やがて何かを捉えた葉月さんが、フードを目深に被りなおし、鋭い眼光で後方をジッと睨む。

 積もった雪によって音が吸収されるせいか、辺りは耳鳴りがするほど静まり返っている。

 しかし、葉月さんは顔を青ざめさせたかと思うと、次の瞬間には覚悟を決めた表情で私に向き直った。


「どうやら気づかれたようです。走れますか?」

 真剣そのものの眼差しに圧倒されて、私は考える間もなく大きく頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る